秦一族と一神教について

いわゆる、トンデモ話のひとつなのかもしれないが、日本の古代に活躍した秦(はた)一族は、ユダヤ系のネストリウス派キリスト教徒だったという説がある。


それだけ聞くと突拍子もない話だが、いろいろと牽強付会のようでありながら、面白いポイントがいくつかある。


秦一族は渡来人で、彼らが崇めていた神が八幡神である。
この八幡という神はわりと出自が不明なのだけれど、いまは音読みするこの言葉が、一節によれば、もともと訓読みで、ヤハウェが訛ったものだという説がある。


これだけ聞くとトンデモも良いところな気がするが、秦氏の一族を束ね、聖徳太子に仕えた秦河勝を祀った神社が兵庫にあり、「大避神社」というそうである。
この神社、昔は「大闢神社」とも書いたそうだが、大闢は中国ではダビデを漢字で書く時にこう書くそうである。


秦一族と聖徳太子の関わりは極めて深いのだけれど、聖徳太子には奇妙な伝説がある。
片岡の聖伝説という、いわゆる復活伝説のようなものがある。
また、厩戸皇子という名前もまた奇妙なもので、馬小屋で生まれたキリストを髣髴とさせる呼び名である。


ネストリウス派キリスト教、つまり景教がなんらかの形で秦氏聖徳太子と関わりがあったことは、それほどトンデモな話ではなく、ある程度はありえた話かもしれない。
当時は中国において景教はかなり流行していた。


これらの話を聴いていて、ふと思ったことがある。


法然上人の母親は、秦氏の出身である。
法然上人が到達し、切り開いた浄土教は、非常に一神教によく似た構造のもので、多神教のそれまでの密教神道と全く異なり、極めて一神教的な、阿弥陀一仏に徹底して帰依する教えだった。
これは、もし秦氏が遠い昔に景教と関係があったのであれば、無意識に一神教的なものがあったのがふと顕在化したのか、あるいはひょっとしたら口伝や文化的なものにその名残があって幼少期に何らかのヒントを与えたのかもしれない。
もちろん、これは完全に推測の域を出ないことであるが。


また、親鸞聖人が聖徳太子に非常に帰依したことはよく知られているが、聖徳太子を通じて、親鸞聖人も若い時からどこかしら一神教的な感性をもともと感じ取っており、それがある時にひょんなきっかけで浄土教への劇的な回心となったのかもしれないという気もする。


以上のことは、完全なる推測の域を出ない、いわゆるトンデモな話である。


しかし、歴史においては、時々奇妙な一致や、潜在的に何か思いもよらない要素が働いている場合もある。


いずれにしろ、ザビエルが日本に来る前から、日本にも潜在的には一神教的なものへの憧れや衝動があったということは、言ってもさしつかえないような気がする。