以下は、ある方が書いた文章なのだけれど、私はとても納得がいった。
御本人の御承諾を得たので、以下に転載する。
昨今は、ツイッター等で、ずいぶんと慰安婦問題について金福童さんらをうそつき呼ばわりする言葉がかけめぐっているようだが、以下を読めば、軽率にうそつきと断定することは決してできないと私には思われてならない。
「慰安婦ウソつき論のまやかし」
本人の記憶にはあいまいな所がある。
私の部隊配属は八戸の第5高射特科群だったのだが、いつのまにか第4高射特科群だと思い違いをしていた。
そんな場合、公文書と本人の記憶に食い違いがあったら、公文書に合わせて記憶間違いを訂正するのではあるまいか。
ところが世の中には不思議な人がたくさんいる。
「お前は第4高射特科群に所属していたと証言していたのに、実際は第5高射特科群に所属していたという公文書が見つかった。お前の証言は嘘だった!お前が自衛隊にいたという嘘が暴かれた!」
・・・おいおい、と誰でも思うだろう。
「所属は間違っていたけど、自衛隊にいたってことは逆に証明されたんじゃないか」と。
ところが、こんな不思議な議論をして悦に入っている人がいるのだ。
元慰安婦の金福童さんのことだ。
ウソつきばあさんだとか、酷い言われようである。
ところで、南方軍第10陸軍病院の1945年8月31日付の記録に、軍の傭人として金福童さんの名前が載っているそうだ。19歳と記してある。
元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見(朝鮮日報記事 魚拓)
http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k285.html
これは文玉珠さんと同じく、敗戦後に元慰安婦を陸軍病院で雇ったケースだ。
だったらこの記録を元にして、彼女の証言を聞くべきだろう。
彼女は14歳でだまされて拉致され、第15師団と一緒に広東、マレー、シンガポール、インドネシアと移動しながら、8年間も慰安婦をさせられ、22歳で帰ってきたと証言している。
ところが年齢が合わないとか、第15師団はビルマの部隊だ、そんな移動をしていないとか、彼女はニセ慰安婦だという非難が絶えない。
第15師団はインドネシアに行かなかった。
それは事実だ。
けれど、彼女は確かにインドネシアにいたのだ。
だったら「第15師団」という記憶が誤っているだけじゃないか。
私が第5高射特科群と第4高射特科群を思い違いしていたようなものだ。
年齢のこともそうだ。
1945年、彼女は19歳だった。
これが公文書で確認できる事実だ。
帰国したのは翌年以後だから、20歳を過ぎている。
数え年なら21か22歳だ。
金さんの証言に矛盾はない。
彼女は8年間も慰安婦をしたというが、1946年をさかのぼること足かけ8年なら、1939年頃ということになる。
満13歳だ。
数え年なら14歳か15歳ということになる。
14歳で連れて行かれたという証言にも矛盾はない。
このようにどこも矛盾はないのに、数字をひねくったり証言の揚げ足を取ったりして、無理くりに矛盾をひねりだして大嘘つきだと罵倒する。
慰安婦否定派は、どっか神経が病んでやしないか。
(追記)元慰安婦・金福童さんは本人の証言する「第15師団」ではなく「第18師団」の慰安所にいたという仮説
証言
「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」
「初めは広東に行った。」
「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
「8年間、慰安婦にさせられました。」
■金福童さん年表
1926年
金福童さん生誕。数え年1歳
証言「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」「初めは広東に行った。」
1938年
日本軍、広東作戦開始。
参加部隊は第18師団、第104師団。
広東を占領し、日本軍の大部隊が駐留した。
1939年
金福童さん、数え年14歳。広東の慰安所に入れられた。
証言「陸軍第15師団の本部について、①台湾、②広東、③香港、④マレーシア、⑤スマトラ、⑥インドネシア、⑦ジャワ、⑧シンガポール、⑨バンコクと連れ回されました。」
1941年11月
大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備下令。
マレー作戦は第18師団、近衛師団、第5師団。
(証言にある第15師団は参加していない。)
第18師団が渡航準備のため広東から③香港を経由して①台湾に移動。
1941年12月
マレー作戦開始。
第18師団、⑨バンコク進駐。
1941年12月
第25軍(第18師団、近衛師団、第5師団、第56師団)が編成された。
規則により金福童さんの慰安所は第25軍の軍政当局の管轄下に置かれた。
マレー侵攻開始。
1942年2月
第25軍、④マレーシア全域を占領。
シンガポール作戦開始。同、占領。
第25軍は⑧シンガポール駐留。
1942年4月
第18師団が第25軍から離れてビルマに移動。
金福童さんの慰安所は第25軍の下にとどまった模様。
1943年5月
第25軍司令部が⑤スマトラ島のブキッティンギに移駐。(スマトラは⑥インドネシアの地名)
1944年3月
第7方面軍を編成。
隷下兵団は第16軍(ジャワ軍政)、第25軍(スマトラ軍政)、第29軍。
1945 9月
第10陸軍病院(⑦ジャワ)の名簿に「金福童 19歳」との記録。
(「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)
この年は正しく満19歳にあたる。
このころ金福童さんは米軍捕虜収容所に入った。
スマトラの第25軍からジャワの第16軍に移ったのは、引き揚げ準備のためと思われる。
(日本軍は解散していたが、邦人の管理のために軍政システムが必要だった)
ジャワでは慰安婦をしていないと思われる。
1946年〜1948
インドネシアからの引き揚げ。金福童帰国。
1946年の帰国ならば1939年から足かけ8年。数え年22歳。
1947年の帰国ならば満8年にあたる。満22歳。
こうして年表をつくってみると、金福童さんはどうやら第15師団ではなくて第18師団に随行していたように見える。
第15師団が第18師団の記憶違いだと仮定すると、年齢にも経歴にも矛盾が見あたらず、
すべての地名がピッタリと符合する。
(追記転載 twitter用)
【慰安婦】当時は合法だったという嘘。娼伎取締法を守っていれば合法だが、①鑑札を持たない業者が②未成年の少女を③警察区長に届けず④前借金で買って売春させた。これは当時でも娼伎取締法違反だ。
【慰安婦】民間業者がしたことという嘘。軍が選定した業者に軍専用の慰安婦を集めさせ、軍属の身分を与え、軍が護送し、軍が慰安所を建てて、軍が料金を決めて管理し、軍が慰安婦を拘束し、軍が食糧を提供し、軍医が診察して、「民間が」なんて通らない。
【慰安婦】悪いのは民間業者という嘘。国外移送にあたって名簿を作成しているので未成年者がいるのを軍も外務省も承知のはずだが渡航を許可している。刑法266条、267条違反。外出制限など身体拘束は監禁にあたり刑法220条違反。共同正犯だ。
【慰安婦】どの国にもあったという嘘。人身売買に官権が荷担したり、部隊が直営売春施設を持ったり、軍機関が占領地の女性を拉致したり、こういった手段で数万人規模の慰安婦制度を運営した国は日本だけだ
【慰安婦】他の国も強姦しているという論理の破綻。強姦を防ぐ目的があるから強制売春が許されるというのは、飲酒運転を防ぐ目的で酒に代えて運転手に脱法ハーブを許すようなもの。認められる筈がない。しかも日本軍は強姦も強制売春もしているから二重の罪。
【慰安婦】日韓条約で賠償済みという嘘。条約で政府同士は互いに賠償を放棄した。国民の請求を政府が肩代わりすることもしないと決めた。しかし国民が政府を通さず相手政府に請求する権利はなくせないと、日本政府が何度も答弁している。賠償は解決していない。
【慰安婦】日本が支払った賠償金に個人補償分も含まれていたという嘘。日韓条約で両国政府は相互に賠償請求を放棄した。放棄したのだから、日本はビタ一文賠償していない。日本がしたのは賠償ではなく《政府間援助》。個人には一円も支払っていない。
【慰安婦】日本が渡した賠償金を韓国政府が使い込んだという嘘。日本は援助金を現金で渡したのではない。条約で使途は「日本の物資を買う」「日本人の人件費を支払う」の二つに限定されており現金は日本政府から日本企業に渡された。使い込み不可能。
【慰安婦】韓国は何度も賠償を蒸し返す泥棒国家という嘘。いま請求しているのは個人。国家ではない。個人請求権はある、と日本政府が何度も答弁している。日本は一度も賠償していないのだから「何度も蒸し返している」わけではない
【慰安婦】金ほしさにやっているという嘘。金ほしさでもいいと思うが、本丸は金ではなく名誉回復。お金を要求する理由は、民事訴訟は失われた名誉がいくらにつくのか「訴訟物の価格」を訴状に書かないと裁判所が受け付けてくれないからだ。