先見性について

箴言を読んでいると、当たり前のようで、考えさせられる言葉がある。


A prudent man sees the evil and hides himself, but the simple pass on and are punished [with suffering].
(Proverbs 22.3 AMP)


The prudent see danger and take refuge,
but the simple keep going and pay the penalty.
(Proverbs 22.3 NIV)


賢い者は災を見て自ら避け、思慮のない者は進んでいって、罰をうける。
箴言 第二十二章 第三節 口語訳)


思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。
浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。
箴言 第二十二章 第三節 新共同訳)


思慮ある者は、災悪を見て回避する。
無思慮な者は、そのまま通り過ぎようとして、痛い目に遭う。
箴言 第二十二章 第三節 自分訳)


アルム・ラアー・ラアー・ヴェニスタル・ウフェタイーム・アヴェルー・ヴェネエナーシュー



これも、一見当たり前のようで、よく考えると、非常に大事なことだと思う。


ここで言われていることは、要するに「先見性」、先を読む力の有無だろう。


個々人においてももちろん最も重要なことだけれど、一つの民族や国家にとっても、このことこそが最も大切かもしれない。


昔むかし、あるところに、こんな国があった。


時々大きな津波が起るし、地震はしょっちゅう起こっている狭い島国なのに、原子力発電所をせっせと海の近くにつくった。
しかも、もともとは海面から35メートルも高い場所を、わざわざ25メートル削って、10メートルのところに原発をつくった。
しかも、電源が全て失われた時のことをあまり考えず、非常用電源は容易に水没するところに置いていた。
その結果、大きな地震津波があった時に、とてつもない大きな原発事故が起きてしまったとさ。


という話を聴いたら、まずもって、普通の人は、その国にまともな先を読む力があるとは思えないかもしれない。


今も、国の財政赤字がこれほど増えても、前政権の財政再建路線をひっくり返して、またすさまじい巨額のばら撒きを行っている。
お金をばら撒けば一時的には景気も良くなるのは当たり前だろうに、いまいちよく実体のわからないムードで浮かれ騒いでいる。
これも、はたして思慮ある者なのか、無思慮な者なのか。


その国は、随分と昔にも、むやみに果てしもない大陸との戦争に突っ込んで、石油の禁輸措置を受けてはじめてことの深刻さに気付いて驚き慌てて、さらに無謀な戦争に突っ込んで行った。
これもまた、思慮のある者だったのか、無思慮な者だったのか。


災いや悪を事前に予測して注意深く避けるか、あるいはそのまま突っ込んで行って痛い目に遭うか。
人間は、常にこの二つの間で選択を迫られているのだろう。