■一生金ヅルしんどい・やっと楽に…自殺高1メモ
(読売新聞 - 07月28日 18:51)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120728-OYT1T00822.htm
いじめで自殺に追い込まれる場合、もちろん悪いのは加害者であり、また傍観者であって、被害者が気の毒なことは言うまでもないことだし、まず第一に正されるべきは加害者や周囲の不甲斐ない大人であることは言うまでもない事なのだけれど、
それを前提にしたうえで、あえて言いたいことは、自殺してもラクにはならないのではないかということだ。
もちろん、人間死んだらどうなるかということは、私をはじめとして普通の人間にはわからないわけだけれど、逆に言えば、死んだらラクになるかどうかということも、本当のところはわからないわけだ。
生きていれば、また状況も変わってくるし、打つ手もある。
学校なんて、何も無理していかなくてもいいと思うし、相手が法律に違反した行為を行っている場合、学校か、学校が頼りにならない場合はしかるべき相談機関か警察に話を持ちかけるべきだと思う。
特に、金銭に関する恐喝の場合、明らかに法に違反しているので、単なるいじめとしてよりも、明白に法に違反した恐喝として処置すべきだろう。
苦しい時はどうしても視野が狭くなるし、追い詰められている時にはなかなか難しいことかもしれないが、
ともかくも、いじめやさまざまな困難にあっても、自殺しないことが一番大事だし、周囲もまたそのことをこそお互いに大事にすべきではないかと思う。
死が無である可能性もないわけではないが、仮に死後に意識があったとしたら、やっぱり自殺してしまった場合、自分自身がなんとも悔やまれる場合が多いのではないかと思う。
自殺はたぶん、何の問題の解決にもならないのだと思う。
ただ、自殺を回避させるためには、他ならぬ我々大人たちが、子どもたちが自殺しなくてもきちんと問題を解決できるように、アドヴァイスや、必要な場合はきちんと介入し、法や道徳に反した行為は断固として矯正する覚悟や力を持っていないといけないのだろう。
このところ、なんともひどい事件ばかりだが、なんとかこれ以上貴重な人命が失われないように願うばかりである。
もちろん、社会的な観点からだけでなく、単純にいのちとして、どの人のいのちも尊いものなわけだけれど、それに加えて、社会的な観点から言っても、少子高齢化を迎える日本においては、ただでさえ数少ない若い世代の人々は、どの若者のいのちも、日本にとって宝のようなものである。
将来の日本を支えてもらわないといけない若いいのちが、これ以上無にならないようにしなければならない。