増支部経典 第十集 抜粋メモ

支部経典 第十集 第一節 何義


一、かくの如く我聞けり。ある時、世尊は舎衛城、祇樹林、給孤独園に住したまえり。時に、具寿阿難は世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して、具寿阿難は世尊は白して言えり―
大徳よ、善戒は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、善戒は不悔を義と為し、不悔を功徳と為す。
大徳よ、また不悔は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、不悔は歓悦を義と為し、歓悦を功徳と為す。
大徳よ、また歓悦は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、歓悦は喜を義と為し、喜を功徳と為す。
大徳よ、また喜は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、喜は止を義と為し、止を功徳と為す。
大徳よ、また止は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、止は楽を義と為し、楽を功徳と為す。
大徳よ、また楽は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、楽は定を義と為し、定を功徳と為す。
大徳よ、また定は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、定は如実智見を義と為し、如実智見を功徳と為す。
大徳よ、また如実智見は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、如実智見は厭離を義と為し、厭離を功徳と為す。
大徳よ、また厭離は何を義と為し、何を功徳と為すや。
阿難よ、厭離は解脱智見を義と為し、解脱智見を功徳と為す。

二、阿難よ、かくの如く、善戒は不悔を義と為し、不悔を功徳と為す、不悔は歓悦を義と為し、歓悦を功徳と為す、歓悦は喜を義と為し、喜を功徳と為す、喜は止を義と為し、止を功徳と為す、止は楽を義と為し、楽を功徳と為す、楽は定を義と為し、定を功徳と為す、定は如実智見を義と為し、如実智見を功徳と為す、如実智見は厭離を義と為し、厭離を功徳と為す、厭離は解脱智見を義と為し、解脱智見を功徳と為す。
阿難よ、かくの如く善戒は次第して最勝に趣く。


支部経典 第十集 第二節 思


一、諸比丘よ、持戒・具戒の者は、「我、不悔を得ん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として持戒・具戒の者は不悔を得。
諸比丘よ、不悔ある者は、「我、歓悦を得ん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として不悔ある者は歓悦を得。
諸比丘よ、歓悦ある者は、「我、喜を得ん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として歓悦ある者は喜を得。
諸比丘よ、意に喜ある者は、「我、身に止を得ん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として意に喜ある者は止を得。
諸比丘よ、身に止ある者は、「我、楽を覚せん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として身に止ある者は楽を覚す。
諸比丘よ、楽ある者は、「我、定心を得ん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として楽ある者は定心を得。
諸比丘よ、定を得たる者は、「我、如実に知見せん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として定を得たる者は如実に知見す。
諸比丘よ、如実に知見する者は、「我、厭離せん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として如実に知見する者は厭離す。
諸比丘よ、厭離せる者は、「我、解脱智見を現証せん」と思すべきにあらず。諸比丘よ、法爾として厭離せる者は厭離す。
二、諸比丘よ、かくの如く、厭離は解脱智見を義と為し、解脱智見を功徳と為す、如実智見は厭離を義と為し、厭離を功徳と為す、定は如実智見を義と為し、如実智見を功徳と為す、楽は定を義と為し、定を功徳と為す、止は楽を義と為し、楽を功徳と為す、喜は止を義と為し、止を功徳と為す、歓悦は喜を義と為し、喜を功徳と為す、不悔は歓悦を義と為し、歓悦を功徳と為す、善戒は不悔を義と為し、不悔を功徳と為す。
諸比丘よ、かくの如く法は法を生じ、法は法を円満して此岸より彼岸に至らしむ。


支部経典 第十集 第十七節 救護(一)


一、諸比丘よ、救護ありて住すべく、救護なかるべからず。救護なくして住すは苦なり。諸比丘よ、十の救護事法あり。何をか十と為すや。
二、諸比丘よ、ここに比丘あり、戒を具し、波羅提木叉の律儀に防護せられ、行・所行具足して住し、微小の罪において怖畏を見、受持して学処を学す。諸比丘よ、比丘、戒を具し、波羅提木叉の律儀に防護せられ、行・所行具足して住し、微小の罪において怖畏を見、受持して学処を学すは、これ救護事法なり。
三、諸比丘よ、また次に比丘あり、多聞にして所聞を持し、所聞を積習し、諸の法の、初善中善後善にして、義具わり、文具わり、純一・円満・清浄なる梵行を宣説するが如き諸の法を多く聞き、持し、言にて通利し、意を以て観察し、見を以て善く通達す。諸比丘よ、比丘、多聞にして所聞を持し、所聞を積習し、諸の法の、初善中善後善にして、義具わり、文具わり、純一・円満・清浄なる梵行を宣説するが如き諸の法を多く聞き、持し、言にて通利し、意を以て観察し、見を以て善く通達するはこれ、救護事法なり。
四、諸比丘よ、また次に比丘あり、善友・善朋・善輩あり。諸比丘よ、比丘、善友・善朋・善輩あるはこれ、救護事法なり。
五、諸比丘よ、また次に比丘あり、従順にして、従順事法を成就し、堪忍し、善く教誡を受く。諸比丘よ、比丘、従順にして、従順事法を成就し、堪忍し、善く教誡を受くるはこれ、救護事法なり。
六、諸比丘よ、また次に比丘あり、同梵行者の貴賤の事業において、これを能くし、懈怠ならず、これに応ずる所の思量を成就し、能く作し、能く調う。諸比丘よ、比丘、同梵行者の貴賤の事業において、これを能くし、懈怠ならず、これに応ずる所の思量を成就し、能く作し、能く調うはこれ、救護事法なり。
七、諸比丘よ、また次に比丘あり、法を楽い、愛語し、勝法・勝律において広大の勝喜あり。諸比丘よ、比丘、法を楽い、愛語し、勝法・勝律において広大の勝喜あるはこれ、救護事法なり。
八、諸比丘よ、また次に比丘あり、発勤して信じ、不善法を断じ、善法を具足せんが為にして、努力あり、勇健堅固にして、諸の善法において軛を捨てず。諸比丘よ、比丘、発勤して信じ、不善法を断じ、善法を具足せんが為にして、努力あり、勇健堅固にして、諸の善法において軛を捨てざるはこれ、救護事法なり。
九、諸比丘よ、また次に比丘あり、いずれの衣・食・坐臥具・病薬・資具を以ても満足す。諸比丘よ、比丘、いずれの衣・食・坐臥具・病薬・資具を以ても満足するはこれ、救護事法なり。
十、諸比丘よ、また次に比丘あり、念あり、最勝の念慧を成就して、久しき以前の所作、久しき以前の所説をも憶念し随念す。諸比丘よ、比丘、念あり、最勝の念慧を成就して、久しき以前の所作、久しき以前の所説をも憶念し随念するはこれ、救護事法なり。
十一、諸比丘よ、また次に比丘あり、慧あり、聖、決択にして正しく苦尽に順ずる生滅慧を成就す。諸比丘よ、比丘、慧あり、聖、決択にして正しく苦尽に順ずる生滅慧を成就するは、これ、救護事法なり。
諸比丘よ、救護ありて住すべく、救護なかるべからず。救護なくして住すは苦なり。諸比丘よ、これ、十の救護事法なり。


支部経典 第十集 第二十七節 大問(一)


一、ある時、世尊は舎衛城、祇樹林、給孤独園に住したまえり。時に、衆多の比丘、晨朝時に下衣を著け、鉢衣を持し、舎衛城に入りて乞食せんとせり。時に、かの諸比丘思念せり、「しばらく舎衛城にて乞食に行かんには早きに過ぐ。我等よろしく外道修行者の園に至べし」と。時に、かの諸比丘は外道修行者の園に至れり、至りてかの諸外道修行者と相倶に慶慰し、歓喜すべく、感銘すべき談を交して一面に坐せり。一面に坐せるとき、かの諸比丘にかの諸外道修行者は言えり―

二、友等よ、沙門瞿曇は諸弟子に法を説いて「いざ諸比丘よ、汝等、一切法を証知せよ、一切法を数々証知して住せよ」と言う。友等よ、我等もまた諸弟子に法を説いて「いざ友等よ、汝等、一切法を証知せよ、一切法を数々証知して住せよ」と言う。友等よ、ここに沙門瞿曇と我等とにおいて、説法と説法、教誡と教誡とに何の差別、何の特相、何の相異ありや。

三、時に、かの諸比丘はかの諸外道修行者の所説に歓喜せず非難せざりき。歓喜せず非難せずして坐より起ちて去り、「世尊のみ許においてこの所説の義を知らん」と為せり。時に、かの諸比丘は舎衛城にて乞食に行き食後、乞食より還りて世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐してかの諸比丘は世尊に白して言えり―

四、大徳よ、ここに我等、晨朝時に下衣を著け、鉢衣を持し、舎衛城に入りて乞食せんとせり。大徳よ、時に、我等思念せり、「しばらく舎衛城にて乞食に行かんには早きに過ぐ。我等よろしく外道修行者の園に至べし」と。大徳よ、時に、我等は外道修行者の園に至れり、至りてかの諸外道修行者と相倶に慶慰し、歓喜すべく、感銘すべき談を交して一面に坐せり。大徳よ、一面に坐せるとき、かの諸外道修行者は我等に言えり、「友等よ、沙門瞿曇は諸弟子に法を説いて「いざ諸比丘よ、汝等、一切法を証知せよ、一切法を数々証知して住せよ」と言う。友等よ、我等もまた諸弟子に法を説いて「いざ友等よ、汝等、一切法を証知せよ、一切法を数々証知して住せよ」と言う。友等よ、ここに沙門瞿曇と我等とにおいて、説法と説法、教誡と教誡とに何の差別、何の特相、何の相異ありや」と。大徳よ、時に、我等はかの諸外道修行者の所説に歓喜せず非難せざりき。歓喜せず非難せずして坐より起ちて去り、「世尊のみ許においてこの所説の義を知らん」と為せり。

五、諸比丘よ、外道修行者かくの如く説かばまさに言うべし、「一問・一説・一答、二問・二説・二答、三問・三説・三答、四問・四説・四答、五問・五説・五答、六問・六説・六答、七問・七説・七答、八問・八説・八答、九問・九説・九答、十問・十説・十答」と。諸比丘よ、かくの如く問わんに外道修行者は答うること能わず、さらにまた困惑に堕せん。何を以ての故なりや。諸比丘よ、その境界にあらざればなり。諸比丘よ、我、天・魔・梵世、沙門・人衆生において、この問に応えて心を悦ばしむる者あるを見ず、ただし如来と、如来の弟子と、これより聞けるとを除く。

六、一問・一説・一答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、一法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか一と為すや。
一切衆生、食にありて住す。
諸比丘よ、比丘、この一法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
一問・一説・一答と説くはこれに縁りてかく説く。

七、二問・二説・二答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、二法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか二と為すや。
名と色となり。
諸比丘よ、比丘、この二法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
二問・二説・二答と説くはこれに縁りてかく説く。

八、三問・三説・三答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、三法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか三と為すや。
三受なり。
諸比丘よ、比丘、この三法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
三問・三説・三答と説くはこれに縁りてかく説く。

九、四問・四説・四答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、四法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか四と為すや。
四食なり。
諸比丘よ、比丘、この四法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
四問・四説・四答と説くはこれに縁りてかく説く。

十、五問・五説・五答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、五法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか五と為すや。
五取蘊なり。
諸比丘よ、比丘、この五法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
五問・五説・五答と説くはこれに縁りてかく説く。

十一、六問・六説・六答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、六法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか六と為すや。
六内処なり。
諸比丘よ、比丘、この六法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
六問・六説・六答と説くはこれに縁りてかく説く。

十二、七問・七説・七答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、七法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか七と為すや。
七識住なり。
諸比丘よ、比丘、この七法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
七問・七説・七答と説くはこれに縁りてかく説く。

十三、八問・八説・八答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、八法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか八と為すや。
八世法なり。
諸比丘よ、比丘、この八法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
八問・八説・八答と説くはこれに縁りてかく説く。

十四、九問・九説・九答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、九法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか九と為すや。
九有情居(※瞋、痴、忿、怨、覆、悩、慳、悪嫉、悪欲)なり。
諸比丘よ、比丘、この九法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
九問・九説・九答と説くはこれに縁りてかく説く。

十五、十問・十説・十答と説くは何に縁りてかく説くや。
諸比丘よ、比丘、十法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか十と為すや。
十不善道なり。
諸比丘よ、比丘、この十法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
十問・十説・十答と説くはこれに縁りてかく説く。


支部経典 第十集 第二十八節 大問(二)


一、ある時、世尊は迦戦羅(カジャンガラー)、竹園に住したまえり。時に、衆多の迦戦羅の優婆塞、迦戦羅比丘尼の処に到れり、到りてかの迦戦羅比丘尼を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して迦戦羅の優婆塞は迦戦羅比丘尼に言えり―

二、大姉よ、世尊、大問中に説きたまえり、「一問・一説・一答、二問・二説・二答、三問・三説・三答、四問・四説・四答、五問・五説・五答、六問・六説・六答、七問・七説・七答、八問・八説・八答、九問・九説・九答、十問・十説・十答」と。大姉よ、世尊の略して説きたまう義を云何に広く解すべきや。

三、友等よ、我、これを世尊より親しく聴き親しく受持せるにも非ず、意修習の諸比丘より親しく聴き親しく受持せるにも非ざれども、我思う所を聴け、善く作意せよ、我説かん。
唯唯大姉よ。
と迦戦羅の優婆夷は迦戦羅比丘尼に応えたり。迦戦羅比丘尼は説けり―

四、一問・一説・一答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、一法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか一と為すや。
一切衆生、食によりて住す。
友等よ、比丘、この一法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
一問・一説・一答と世尊の説きたまえるはこれに縁りてかく説きたまえり。

五、二問・二説・二答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、二法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか二と為すや。
名と色となり。
友等よ、比丘、この二法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
二問・二説・二答と世尊の説きたまえるはこれに縁りてかく説きたまえり。

三問・三説・三答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、三法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか三と為すや。
三受なり。
友等よ、比丘、この三法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
三問・三説・三答と世尊の説きたまえるはこれに縁りてかく説きたまえり。

六、四問・四説・四答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、四法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか四と為すや。
四念処なり。
友等よ、比丘、この四法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
四問・四説・四答と世尊の説きたまえるはこれに縁りてかく説きたまえり。

七、五問・五説・五答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、五法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか五と為すや。
五根なり。
友等よ、比丘、この五法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
五問・五説・五答と世尊の説きたまえるはこれに縁りてかく説きたまえり。

六問・六説・六答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、六法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか六と為すや。
六出離界なり。
友等よ、比丘、この六法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
六問・六説・六答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。

七問・七説・七答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、七法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか七と為すや。
七覚分なり。
友等よ、比丘、この七法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
七問・七説・七答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。

八問・八説・八答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、八法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか八と為すや。
八支聖道なり。
友等よ、比丘、この八法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
八問・八説・八答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。

八、九問・九説・九答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、九法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか九と為すや。
九有情居(※瞋、痴、忿、怨、覆、悩、慳、悪嫉、悪欲)なり。
友等よ、比丘、この九法において正しく厭患し、正しく離貪し、正しく解脱し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
九問・九説・九答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。

九、十問・十説・十答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。
友等よ、比丘、十法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。何をか十と為すや。
十善業道なり。
友等よ、比丘、この十法において正しく善く心を修習し、正しく辺際を観じ、正しく義を現観して、現法において苦際を尽す。
十問・十説・十答と世尊の説きたまえるは何に縁りてかく説きたまえるや。

十、友等よ、かくの如く世尊、大問中に説いて、「一問・一説・一答、二問・二説・二答、三問・三説・三答、四問・四説・四答、五問・五説・五答、六問・六説・六答、七問・七説・七答、八問・八説・八答、九問・九説・九答、十問・十説・十答」と世尊略して説きたまうところの義を、我かくの如く広く解す。
友等よ、汝等もし疑わば、世尊の在す処に詣りてこの義を問いたてまつれ。世尊の説きたまうが如く受持せよ。
唯唯大姉よ。
と迦戦羅の優婆夷は迦戦羅比丘尼の所説に歓喜し随喜し、座より起ちて迦戦羅比丘尼を敬礼し、右遶を作し、世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して迦戦羅の優婆夷は、迦戦羅比丘尼と相俱に談話せし所をすべて世尊に告げたてまつれり。

十一、善い哉、善い哉、居士等よ。居士等よ、迦戦羅比丘尼は聡明なり。居士等よ、迦戦羅比丘尼は大慧あり。居士等よ、汝等、もし我の処に至りてこの義を問わましかば我もまた、迦戦羅比丘尼の説きしが如く説きしならん。この義かくの如し。かくの如く受持せよ。


支部経典 第十集 第四十七節 摩訶離


一、ある時、世尊は、毗舎離、大林、重閣講堂に住したまえり。時に、離車人摩訶離(マハーリ)は世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して離車人摩訶離は世尊に白して言えり―

二、大徳よ、何を因とし、何を縁として悪業を作し、悪業転ずるや。
摩訶離よ、貪を因とし、貪を縁として悪業を作し、悪業転ず。
摩訶離よ、瞋を因とし、瞋を縁として悪業を作し、悪業転ず。
摩訶離よ、痴を因とし、痴を縁として悪業を作し、悪業転ず。
摩訶離よ、非如理作意を因とし、非如理作意を縁として悪業を作し、悪業転ず。
摩訶離よ、邪願心を因とし、邪願心を縁として悪業を作し、悪業転ず。
摩訶離よ、此を因とし、此を縁として悪業を作し、悪業転ず。

三、大徳よ、また次に何を因とし、何を縁として善業を作し、善業転ずるや。
摩訶離よ、無貪を因とし、無貪を縁として善業を作し、善業転ず。
摩訶離よ、無瞋を因とし、無瞋を縁として善業を作し、善業転ず。
摩訶離よ、無痴を因とし、無痴を縁として善業を作し、善業転ず。
摩訶離よ、如理作意を因とし、如理作意を縁として善業を作し、善業転ず。
摩訶離よ、正願心を因とし、正し願心を縁として善業を作し、善業転ず。
摩訶離よ、此を因とし、此を縁として善業を作し、善業転ず。

摩訶離よ、もしこの十法、世間に無かりせば、ここに施説して、非法行・不平等行といい、如法行・平等行ということ無けん。摩訶離よ、しかれどもこの十法、世間にあるがゆえに、施説して非法行・不平等行といい、如法行・平等行という。


支部経典 第十集 第四十八節 法


一、諸比丘よ、出家者は数々、十法を観察すべし。何をか十と為すや。

二、「彩色」を棄てたりと出家者は数々観察すべし。
「我命は他に繋属す」と出家者は数々観察すべし。
「我、行儀を改めん」と出家者は数々観察すべし。
「我、自ら我持戒を非難すること無きや」と出家者は数々観察すべし。
「有智の同梵行者、審にして我持戒を非難すること無きや」と出家者は数々観察すべし。
「我一切の可愛・可意と処を異にし別離す」と出家者は数々観察すべし。
「我は業を所有し、業を領受し、業を胎とし、業を縁者とし、業を帰趣とし、我所造の善悪業を我、領受せん」と出家者は数々観察すべし。
「我、云何にして日夜を過さん」と出家者は数々観察すべし。
「我、空閑処を喜ぶや」と出家者は数々観察すべし。
「我、上人法、能く聖となる殊勝智見を証得せりや、かくて末期に同梵行者に問われて羞愧せざらんや」と出家者は数々観察すべし。
諸比丘よ、出家者は数々、この十法を観察すべし。


支部経典 第十集 第五十一節 己心


一、ある時、世尊は舎衛城、祇樹林、給孤独園に住したまえり。ここに世尊は諸比丘に告げて言いたまえり―
諸比丘よ。
大徳よ。
とかの諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―

二、諸比丘よ、もし比丘、他心において善能ならずば、「己心において善能とならん」と、諸比丘よ、かくの如く学すべし。諸比丘よ、云何にせば比丘、己心において善能となるや。

三、諸比丘よ、譬えば男女の壮年年少にして荘飾を好む者、清浄潔白なる明鏡、明澄なる水鉢において自ら面相を観察するに、もしそこに垢・塵を見ば、その垢・塵を断ぜんがために精進し、もしそこに垢・塵を見ずば、歓喜し思惟円満し、「幸なる哉、我、清浄なるを得たり」と為す。諸比丘よ、かくの如く、比丘に観察あらば善法において饒益多し。
「我、多く貪欲ありて住するや、多く無貪にして住するや。我、多く瞋恚心ありて住するや、多く無瞋心にして住するや。我、多く惛眠に纏われて住するや、多く惛眠を離れて住するや。我、多く掉挙にして住するや、多く無掉挙にして住するや。我、多く疑惑して住するや、多く疑惑を超えて住するや。我、多く忿りて住するや、多く無忿にして住するや。我、多く染汚心にて住するや、多く不染汚心にて住するや。我、多く躁暴身にて住するや、多く非躁暴身にて住するや。我、多く懈怠にて住するや、多く発勤して住するや。我、多く定を得ずして住するや、多く定を得て住するや」と。

四、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、多く貪欲ありて住し、多く瞋恚心ありて住し、多く惛眠に纏われて住し、多く掉挙にして住し、多く疑惑して住し、多く忿りて住し、多く染汚心にて住し、多く躁暴身にて住し、多く懈怠にて住し、多く定を得ずして住す」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの悪不善法を断ぜんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。諸比丘よ、譬えば衣燃え、頭燃えんに、その衣・頭を消却せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すが如し。諸比丘よ、かくの如くその比丘は悪不善法を断ぜんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。

五、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、多く無貪にして住し、多く無瞋心にして住し、多く惛眠を離れて住し、多く無掉挙にして住し、多く疑惑を超えて住し、多く無忿にして住し、多く不染汚心にて住し、多く非躁暴身にて住し、多く発勤して住し、多く定を得て住す」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの善法に安住し、さらに諸漏を尽くさんがために努むべし。


支部経典 第十集 第五十三節 止住


一、諸比丘よ、我、善法における止住を讃嘆せず、いわんや衰退をや。諸比丘よ、我、善法における増長を讃嘆す、止住にあらず、衰退にあらず。
諸比丘よ、云何なるをか善法における衰退にして、止住にあらず、増長にあらずと為すや。

二、諸比丘よ、ここに比丘あり、もし篤信・禁戒・所聞・布施・智慧・弁才あらんも、彼においてかの諸法、止住せず、増長せずば、諸比丘よ、これを善法における衰退にして、止住にあらず増長にあらずと説く。諸比丘よ、かくの如きを善法における衰退にして、止住にあらず増長にあらずと為す。
諸比丘よ、云何なるをか善法における止住にして、衰退にあらず増長にあらずと為すや。

三、諸比丘よ、ここに比丘あり、もし篤信・禁戒・所聞・布施・智慧・弁才あらんも、彼においてかの諸法、衰退せず、増長せずば、諸比丘よ、これを善法における止住にして、衰退にあらず増長にあらずと説く。諸比丘よ、かくの如きを善法における止住にして、衰退にあらず増長にあらずと為す。

諸比丘よ、云何なるをか善法における増長にして、止住にあらず、衰退にあらずと為すや。

四、諸比丘よ、ここに比丘あり、もし篤信・禁戒・所聞・布施・智慧・弁才あり、彼においてかの諸法、止住せず、衰退せずば、諸比丘よ、これを善法における増長にして、止住にあらず衰退にあらずと説く。諸比丘よ、かくの如きを善法における増長にして、止住にあらず衰退にあらずと為す。

五、諸比丘よ、もし比丘、他心において善能ならずば、「己心において善能とならん」と、諸比丘よ、かくの如く学すべし。諸比丘よ、云何にせば比丘、己心において善能となるや。

六、諸比丘よ、譬えば男女の壮年年少にして荘飾を好む者、清浄潔白なる明鏡、明澄なる水鉢において自ら面相を観察するに、もしそこに垢・塵を見ば、その垢・塵を断ぜんがために精進し、もしそこに垢・塵を見ずば、歓喜し思惟円満し、「幸なる哉、我、清浄なるを得たり」と為す。諸比丘よ、かくの如く、比丘に観察あらば善法において饒益多し。
「我、多く貪欲ありて住するや、多く無貪にして住するや。我、多く瞋恚心ありて住するや、多く無瞋心にして住するや。我、多く惛眠に纏われて住するや、多く惛眠を離れて住するや。我、多く掉挙にして住するや、多く無掉挙にして住するや。我、多く疑惑して住するや、多く疑惑を超えて住するや。我、多く忿りて住するや、多く無忿にして住するや。我、多く染汚心にて住するや、多く不染汚心にて住するや。我、多く躁暴身にて住するや、多く非躁暴身にて住するや。我、多く懈怠にて住するや、多く発勤して住するや。我、多く定を得ずして住するや、多く定を得て住するや」と。

七、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、多く貪欲ありて住し、多く瞋恚心ありて住し、多く惛眠に纏われて住し、多く掉挙にして住し、多く疑惑して住し、多く忿りて住し、多く染汚心にて住し、多く躁暴身にて住し、多く懈怠にて住し、多く定を得ずして住す」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの悪不善法を断ぜんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。諸比丘よ、譬えば衣燃え、頭燃えんに、その衣・頭を消却せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すが如し。諸比丘よ、かくの如くその比丘は悪不善法を断ぜんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。

八、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、多く無貪にして住し、多く無瞋心にして住し、多く惛眠を離れて住し、多く無掉挙にして住し、多く疑惑を超えて住し、多く無忿にして住し、多く不染汚心にて住し、多く非躁暴身にて住し、多く発勤して住し、多く定を得て住す」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの善法に安住し、さらに諸漏を尽くさんがために努むべし。


支部経典 第十集 第五十四節 寂止

一、諸比丘よ、もし比丘、他心において善能ならずば、「己心において善能とならん」と、諸比丘よ、かくの如く学すべし。諸比丘よ、云何にせば比丘、己心において善能となるや。

二、諸比丘よ、譬えば男女の壮年年少にして荘飾を好む者、清浄潔白なる明鏡、明澄なる水鉢において自ら面相を観察するに、もしそこに垢・塵を見ば、その垢・塵を断ぜんがために精進し、もしそこに垢・塵を見ずば、歓喜し思惟円満し、「幸なる哉、我、清浄なるを得たり」と為す。諸比丘よ、かくの如く、比丘に観察あらば善法において饒益多し。
「我、内に心寂止を得たりや、内に心寂止を得ざるや。我、増上慧法正観を得たりや、増上慧法正観を得ざるや」と。

三、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、内に心寂止を得たるも、増上慧法正観を得ず」と知らば、諸比丘よ、その比丘は内の心寂止に安住して増上慧法正観のために努むべし。彼、後時に、内に心寂止を得、しかも増上慧法正観を得。

四、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、増上慧法正観を得たるも、内に心寂止を得ず」と知らば、諸比丘よ、その比丘は増上慧法正観に安住して内の心寂止のために努むべし。彼、後時に、増上慧法正観を得、しかも内の心寂止を得。

五、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、内に心寂止を得ず、増上慧法正観を得ず」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの善法を獲得せんがために、最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。諸比丘よ、譬えば衣燃え、頭燃えんに、その衣・頭を消却せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すが如し。諸比丘よ、かくの如くその比丘はかの善法を獲得せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。彼、後時に、内の心寂止を得、しかも増上慧法正観を得。

六、諸比丘よ、もし比丘、観察するに、かくの如く「我、内に心寂止を得、しかも増上慧法正観を得たり」と知らば、諸比丘よ、その比丘はかの善法に安住し、さらに諸漏を尽くさんがために努むべし。

七、諸比丘よ、衣に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。諸比丘よ、食に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。諸比丘よ、坐臥具に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。諸比丘よ、村落に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。諸比丘よ、国土に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。諸比丘よ、人に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。

八、諸比丘よ、衣に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその衣を知るに、「我もしこの衣に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き衣には親近すべからず。この中、もしその衣を知るに、「我もしこの衣に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き衣には親近すべし。
諸比丘よ、衣に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。

九、諸比丘よ、食に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその食を知るに、「我もしこの食に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き食には親近すべからず。この中、もしその食を知るに、「我もしこの食に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き食には親近すべし。
諸比丘よ、食に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。

十、諸比丘よ、坐臥具に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその坐臥具を知るに、「我もしこの坐臥具に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き坐臥具には親近すべからず。この中、もしその坐臥具を知るに、「我もしこの坐臥具に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き坐臥具には親近すべし。
諸比丘よ、坐臥具に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。

十一、諸比丘よ、村落に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその村落を知るに、「我もしこの村落に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き村落には親近すべからず。この中、もしその村落を知るに、「我もしこの村落に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き村落には親近すべし。
諸比丘よ、村落に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。

十二、諸比丘よ、国土に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその国土を知るに、「我もしこの国土に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き国土には親近すべからず。この中、もしその国土を知るに、「我もしこの国土に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き国土には親近すべし。
諸比丘よ、国土に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。

十三、諸比丘よ、人に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き人には親近すべからず。この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き人には親近すべし。
諸比丘よ、人に二種ありと我説く、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。



支部経典 第十集 第五十五節 衰退


一、ここに具寿舎利弗は諸比丘に告げて言えり―
友等諸比丘よ。
友よ。
とかの諸比丘は具寿舎利弗に応えたり。具寿舎利弗は説けり―

二、友等よ、衰退法の人、衰退法の人と説くは、友等よ、云何なるをか衰退法の人と世尊説きたまい、云何なるをか不衰退法の人と世尊説きたまえるや。
友よ、我等遠方にありとも具寿舎利弗の許に来りてこの所説の義を知らんと欲す。具寿舎利弗、願わくばこの所説の義を顕示したまえ、諸比丘、具寿舎利弗より聞いて持せん。
友等よ、しからば聴け、善く作意せよ、我、説かん。
唯々友よ。
とかの諸比丘は具寿舎利弗に応えたり。具寿舎利弗は説けり―
友等よ、云何なるをか衰退法の人と世尊説きたまえるや。

三、友等よ、ここに比丘あり、未聞の法を聞かず、已聞の法を亡失し、前に心に触れし法、現行せず、未識を識らず。友等よ、かくの如きを衰退法の人と世尊説きたまえり。
友等よ、また次にいかなるをか不衰退法の人と世尊説きたまえるや。

四、友等よ、ここに比丘あり、未聞の法を聞き、已聞の法を亡失せず、前に心に触れし法、現行し、未識を識る。友等よ、かくの如きを不衰退法の人と世尊説きたまえり。

五、友等よ、もし比丘、他心において善能ならずば、「己心において善能とならん」と、諸比丘よ、かくの如く学すべし。諸比丘よ、云何にせば比丘、己心において善能となるや。

六、諸比丘よ、譬えば男女の壮年年少にして荘飾を好む者、清浄潔白なる明鏡、明澄なる水鉢において自ら面相を観察するに、もしそこに垢・塵を見ば、その垢・塵を断ぜんがために精進し、もしそこに垢・塵を見ずば、歓喜し思惟円満し、「幸なる哉、我、清浄なるを得たり」と為す。諸比丘よ、かくの如く、比丘に観察あらば善法において饒益多し。
「我、多く無貪にして住するや、我にこの法ありや不や。我、多く無瞋心にして住するや、我にこの法ありや不や。我、多く惛眠を離れて住するや、我にこの法ありや不や。我、多く無掉挙にして住するや、我にこの法ありや不や。我、多く疑惑を超えて住するや、我にこの法ありや不や。我、多く無忿にして住するや、我にこの法ありや不や。我、多く不染汚心にて住するや、我にこの法ありや不や。我、内に法勝喜を得たりや、我にこの法ありや不や。我、内に心寂止を得たりや、我にこの法ありや不や。我、増上慧法正観を得たりや、我にこの法ありや不や。」と。

七、友等よ、もし比丘、観察するに、一切のこの善法を己において観ずば、友等よ、その比丘は一切のこの善法を獲得せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。友等よ、譬えば衣燃え、頭燃えんに、その衣・頭を消却せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すが如し。友等よ、かくの如くその比丘は一切のこの善法を獲得せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。

八、友等よ、もし比丘、観察するに、一分の善法を己において観、一分の善法を己において観ずば、友等よ、その比丘は、己において観たる善法に安住して、己において観ざる善法を獲得せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。友等よ、譬えば衣燃え、頭燃えんに、その衣・頭を消却せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すが如し。友等よ、かくの如くその比丘は己において観たる善法に安住して、己において観ざる善法を獲得せんがために最上の志欲・精進・勇健・勢猛・不退・念・正知を起すべし。

九、友等よ、もし比丘、観察するに、一切の善法を己において観ば、友等よ、その比丘は一切のこの善法に安住し、さらに諸漏を尽さんがために努むべし。



支部経典 第十集 第五十六節 想(一)


一、諸比丘よ、十想を修習し多修せば、大果、大功徳あり、不死に究竟し、不死に究尽す。何をか十と為すや。

二、不浄想・死想・食違逆想・一切世間不喜想・無常想・無常即苦想・苦即無我想・断想・離貪想・滅尽想なり。
諸比丘よ、この十想を修習し多修せば、大果、大功徳あり、不死に究竟し、不死に究尽す。何をか十と為す。


支部経典 第十集 第六十節 耆利摩難


一、ある時、世尊は舎衛城祇樹林、給孤独園に住したまえり。その時、具寿耆利摩難(ギリマーナン)は疾病にて困苦し重患なりき。時に、具寿阿難は世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して具寿阿難は世尊に白して言えり―

二、大徳よ、具寿耆利摩難は疾病にて困苦し重患なり。大徳世尊、願わくば哀愍して具寿耆利摩難の処に到りたまえり。
阿難よ、もし汝、耆利摩難比丘に往きて十想を説かば、処(ことわり)として、耆利摩難比丘は十想を聞きてその病たちどころに止らん。何をか十と為すや。

三、無常想・無我想・不浄想・過患想・断想・離貪想・滅尽想・一切世間不喜想・一切行無常想・入出息念なり。
阿難よ、何をか無常想と為すや。

四、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて思択す、「色は無常なり、受は無常なり、想は無常なり、行は無常なり、識は無常なり」と。かくの如くこの五取蘊において無常を観じて住す。阿難よ、これを名づけて無常想と為す。
阿難よ、何をか無我想と為すや。

五、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて思択す、「眼は無我なり、色は無我なり、耳は無我なり、声は無我なり、鼻は無我なり、香は無我なり、舌は無我なり、味は無我なり、身は無我なり、所触は無我なり、意は無我なり、法は無我なり」と。かくの如くこの内外の六処において無我を観じて住す。阿難よ、これを名づけて無我想と為す。
阿難よ、何をか不浄想と為すや。

六、阿難よ、ここに比丘あり、足下より上、髪頂より下にして、皮を辺際とし、種々の不浄に満てるこの身を観察す、「この身には髪・毛・爪・歯・皮・肉・筋・骨・骨髄・腎・心・肝・肋膜・脾・肺・膓・膓間膜・胃・排泄物・胆汁・痰・膿・血・汗・脂・涙・漿・唾・鼻液・髄・尿あり」と。かくの如くこの身において不浄を観じて住す。阿難よ、これを名づけて不浄想と為す。
阿難よ、何をか過患想と為すや。

七、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて思択す、「この身は苦多く過患多し」と。「この身には、種々の疾病生ず、謂わく、眼病・耳病・鼻病・舌病・身病・頭病・耳朶病・口病・歯病・咳嗽・喘気・感冒・煩熱・瘧・腹病・惛絶・下痢・疼痛・虎疫・癩病・癰病・白癩・乾癬・癲狂・癤・痒・疥・爬傷・連瘡・血膽病・糖尿病・麻痺・瘡・痔・瘻・膽等起の諸病、痰等起の諸病、風等起の諸病、(三)和合生の諸病、季節の変異所生の諸病、不平等姿勢所生の諸病・侵害所生の諸病、業異熟所生の諸病、寒・熱・飢・渇・大便・小便なり」と。かくの如くこの身において過患を観じて住す。阿難よ、これを名づけて過患想と為す。
阿難よ、何をか断想と為すや。

八、阿難よ、ここに比丘あり、已生の欲尋を忍許せず、断じ、除き、離し、無に帰せしむ。已生の瞋尋を忍許せず、断じ、除き、離し、無に帰せしむ。已生の欲尋を忍許せず、断じ、除き、離し、無に帰せしむ。已生の害尋を忍許せず、断じ、除き、離し、無に帰せしむ。已生の悪不善法を忍許せず、断じ、除き、離し、無に帰せしむ。阿難よ、これを名づけて断想と為す。
阿難よ、何をか離貪想と為すや。

九、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて思択す、「これ、寂静なり、これ、殊妙なり、即ち一切行の寂止、一切余依の定棄、愛尽、離貪、涅槃なり」と。阿難よ、これを名づけて離貪想と為す。
阿難よ、何をか滅尽想と為すや。

十、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて思択す、「これ、寂静なり、これ、殊妙なり、即ち一切行の寂止、一切余依の定棄、愛尽、離貪、涅槃なり」と。阿難よ、これを名づけて滅尽想と為す。
阿難よ、何をか一切世間不喜想と為すや。

十一、阿難よ、ここに比丘あり、世間における近倚・執著、心の摂受・現貪・随眠をば断じて離し、取らず。阿難よ、これを名づけて一切世間不喜想と為す。
阿難よ、何をか一切行無常想と為すや。

十二、阿難よ、ここに比丘あり、一切行を羞じ、慚じ、愧耻す。阿難よ、これを名づけて一切行無常想と為す。
阿難よ、何をか入出息念と為すや。

十三、阿難よ、ここに比丘あり、阿練若に往き、樹下に往き、空屋に往きて結跏趺坐し、身を正しく持し、年を普前に修す。かくて正念して入息し、正念して出息す、長入息しては「我、長入息す」と了知し、長出息しては「我、長出息す」と了知す、短入息しては「我、短入息す」と了知し、短出息しては「我、短出息す」と了知す、「我、遍身を覚して入息せん」と学し、「我、遍身を覚して出息せん」と学す、「我、身行を止めて入息せん」と学し、「我、身行を止めて出息せん」と学す、「我、喜を覚して入息せん」と学し、「我、喜を覚して出息せん」と学す、「我、楽を覚して入息せん」と学し、「我、楽を覚して出息せん」と学す、「我、心行を覚して入息せん」と学し、「我、心行を覚して出息せん」と学す、「我、心行を止めて入息せん」と学し、「我、心行を止めて出息せん」と学す、「我、心を覚して入息せん」と学し、「我、心を覚して出息せん」と学す、「我、心を歓喜せしめて入息せん」と学し、「我、心を歓喜せしめて出息せん」と学す、「我、心を得定せしめて入息せん」と学し、「我、心を得定せしめて出息せん」と学す、「我、心を解脱せしめて入息せん」と学し、「我、心を解脱せしめて出息せん」と学す、「我、無常を観じて入息せん」と学し、「我、無常を観じて出息せん」と学す、「我、離貪を観じて入息せん」と学し、「我、離貪を観じて出息せん」と学す、「我、滅尽を観じて入息せん」と学し、「我、滅尽を観じて出息せん」と学す、「我、定棄を観じて入息せん」と学し、「我、定棄を観じて出息せん」と学す。阿難よ、これを入出息念と為す

十四、阿難よ、もし汝、耆利摩難比丘に往きてこの十想を説かば、処として、耆利摩難比丘はこの十想を聞きてその病たちどころに止らん。

十五、時に、具寿阿難は世尊より親しくこの十想を受け、具寿耆利摩難の処に往けり、往きて具寿耆利摩難にこの十法を説けり。時に、具寿耆利摩難はこの十法を聞きてその病たちどころに止り、具寿耆利摩難はその病より癒え、具寿耆利摩難のかの病、断ぜられたり。