増支部経典 第六集 第七集 抜粋メモ 

支部経典 第六集 第七集 抜粋メモ 



支部経典 第六集 十六節


一、一時世尊は婆祇(バッガ)の尸収摩羅(スンスマーラ)山の恐怖林の中の鹿園に住したまえり、またその時長者なる那拘羅(ナクラ)の父病に罹り、苦しみ、病重かりき、時に長者女なる那拘羅の母は、長者なる那拘羅の父に語りて曰く―
二、長者よ、汝は命果に際して想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり、しかし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母は、我の逝ける後は、兒輩を養い、過無く家居を営むこと能わざるべし、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、我は綿を紡ぎ、(毛を)刈りて編み物(を造る)に巧みなり、長者よ、我は汝の逝ける後、能く兒輩を養い、過無く家居を営む、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり。
またもし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母は、我の逝ける後は、他家に往くならん、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、汝は知りたまう、また我も、我等は十六年以来在家の梵行を厳守せしことを、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり。
またもし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母は、我の逝ける後は、世尊に謁することを欲せざるべし、比丘僧に謁することを欲せざるべし、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、汝の逝ける後は、我はさらに多く世尊に謁することを願わん、また更に多く比丘僧に謁することを願わん、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり。
またもし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母は、我の逝ける後は、諸戒を円満せざるべし、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、かの世尊の白衣在家の弟子女が戒を円満するものあるかぎり我はその随一なり、しかし疑あるいは異意ある人は、世尊、応供、正自覚者は婆祇の尸収摩羅山の恐怖林の中の鹿園に住したまえば、かの世尊に詣りて問い上れ、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり。
またもし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母は内心の寂静を得ざるべし、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、かの世尊の白衣在家の弟子女が内心の寂静を得るものあるかぎり、我はその随一なり、しかし疑あるいは異意ある人は、世尊、応供、正自覚者は婆祇の尸収摩羅山の恐怖林の中の鹿園に住したまえば、かの世尊に詣りて問い上れ、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり。
またもし長者よ、汝は謂いたまうらん、長者女の那拘羅の母はこの法律の中において未だ入らず、未だ安住せず、未だ蘇息せず、未だ疑を度らず、未だ猶予を離れず、未だ無畏を得ず、未だ他に対する信を離れずして(大)師の教の中に住す、と、されど長者よ、かく見たまうことなかれ、長者よ、かの世尊の白衣在家の弟子女がこの法律の中において、已に入り、已に安住し、已に蘇息し、已に疑を度り、已に猶予を離れ、已に無畏を得、已に他に対する信を離れて(大)師の教の中に住するかぎり我はその随一なり、しかし疑あるいは異意ある人は、世尊、応供、正自覚者は婆祇の尸収摩羅山の恐怖林の中の鹿園に住したまえば、かの世尊に詣りて問い上れ、されば長者よ、汝は命果するに想を残したまうことなかれ、長者よ、想を残すものの命果は苦し、また世尊は命果のものの想を残すを訶したまえり、と。
三、その時長者なる那拘羅の父は長者女なる那拘羅の母の教授を受け、かの病は直に癒え、長者なる那拘羅の父はその病を脱せり、またさらに長者なる那拘羅の父の病はかほどにも断たれたり、(謂く)その時長者なる那拘羅の父は病を脱し、病を脱して未だ久しからざるに杖に縋りて世尊の在す処に詣れり、詣り已りて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる長者なる那拘羅の父に世尊は告げたまわく―
四、長者よ、汝に利あり、長者よ、汝に善利あり、そは彼長者女なる那拘羅の母は汝を憐み利益せんと欲して教授し、教誡したればなり、長者よ、我の白衣在家の弟子女にして戒を円満するものあるかぎり、長者女なる那拘羅の母はその随一なり、長者よ、我の白衣在家の弟子女にして内心の寂静を得るものあるかぎり、長者女なる那拘羅の母はその随一なり、長者よ、我の白衣在家の弟子女にしてこの法律の中において、已に入り、已に安住し、已に蘇息し、已に疑を度り、已に猶予を離れ、已に無畏を得、已に他に対する信を離れて(大)師の教の中に住するかぎり、長者女なる那拘羅の母はその随一なり、長者よ、汝に利あり、長者よ、汝に善利あり、そは長者女なる那拘羅の母は汝を憐み利益せんと欲して教授し、教誡したればなり、と。



支部経典 第六集 三十節


一、比丘衆よ、これらは六無上なり、何をか六とす。
二、見無上、聞無上、利無上、学無上、行無上、念無上なり、比丘衆よ、いかなるが見無上なるか。
三、比丘衆よ、世に一類あり、往きて象宝をも観、往きて馬宝をも観、往きて珠宝をも観、あるいはまた往きて大小を観、あるいは往きてあるいは沙門(サマナ)、あるいは婆羅門(ブラーフマナ)の邪見、邪行者を観る、比丘衆よ、これは見なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかるにこの見は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに往きて如来あるいは如来の弟子を観、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ、諸見中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち往きて如来あるいは如来の弟子を観、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを見無上と名く、以上見無上なり、またいかなるが聞無上なるか。
四、比丘衆よ、世に一類あり、往きて鼓声をも聴き、あるいは往きて箜篌声をも聴き、あるいは往きて歌声をも聞き、あるいは往きて大小をも聴き、あるいは往きてあるいは沙門、あるいは婆羅門の邪見、邪行者の法を聴く、比丘衆よ、これは聞なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかるにこの聞は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに往きて如来あるいは如来の弟子より法を聴き、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ、諸聞中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち往きて如来あるいは如来の弟子より法を聴き、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを聞無上と名く、以上見無上、聞無上なり、またいかなるが利無上なるか。
五、比丘衆よ、世に一類あり、子の利をも得、妻の利をも得、財の利をも得、あるいはまた、大小の利をも得、あるいは沙門、あるいは婆羅門の邪見、邪行者において信を獲、比丘衆よ、これは利なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかるにこの利は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに如来あるいは如来の弟子において信を獲、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ、諸利中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち如来あるいは如来の弟子において信を獲、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを利無上と名く、以上見無上、聞無上、利無上なり、またいかなるが学無上なるか。
六、比丘衆よ、世に一類あり、あるいは象(に乗る)をも学び、あるいは馬(に乗る)をも学び、あるいは車(に乗る)をも学び、あるいは弓(を引く)をも学び、あるいは剣(法)をも学び、あるいはまた、大小を学び、あるいは沙門、あるいは婆羅門の邪見、邪行者を学ぶ、比丘衆よ、これは学なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかるにこの学は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに如来所説の法律、増上戒をも学び、増上心をも学び、増上慧をも学び、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ諸学中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち如来所説の法律、増上戒をも学び、増上心をも学び、増上慧をも学び、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを学無上と名く、以上見無上、聞無上、利無上、学無上なり、またいかなるが行無上なるか。
七、比丘衆よ、世に一類あり、(調)象行をも行い、あるいは(事)婆羅門行をも行い、あるいは(事)長者行をも行い、あるいは上下(行)をも行い、あるいは沙門、あるいは婆羅門の邪見、邪行者の行を行う、比丘衆よ、これは行なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかるにこの行は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに如来、あるいは如来弟子に(事)うる)行を行い、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ諸行中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち如来、あるいは如来弟子に(事)うる)行を行い、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを行無上と名く、以上見無上、聞無上、利無上、学無上、行無上なり、またいかなるが随念無上なるか。
八、比丘衆よ、世に一類あり、子の利をも随念し、妻の利をも随念し、財の利をも随念し、あるいはまた、大小の利を随念し、あるいは沙門、あるいは婆羅門の邪見、邪行者を随念す、比丘衆よ、これは随念なり、これは否なりとは我説かず、比丘衆よ、しかれどもこの随念は下賤なり、異生のものなり、聖に非ず、利を引かず、能く厭、離貪、滅、寂、慧、覚、涅槃を引かず、比丘衆よ、然るに如来あるいは如来の弟子を随念し、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なるは、比丘衆よ、これ、諸利中の無上なり、能く有情を浄め、能く憂悲を超え、能く苦愁を滅し、能く智を証し、能く涅槃を作証せしむ、即ち如来あるいは如来の弟子を随念し、信を種植し、愛を種植し、一向に篤信なり、比丘衆よ、これを随念無上と名く。
比丘衆よ、これらは六無上なり、と。

すべて最勝見を得て      さらに無上の聞を得て
また無上の利を得て      学の無上を欣楽し
所行において現住し      遠離をなすにふさわしき
不死に趣く安穏の       随順念を修習して
不放逸をば歓喜して      常委に戒を擁護して
彼等応時に苦の尽くる     処を正に覚り知る、と。




支部経典 第六集 五十二節


一、ある時生聞婆羅門は世尊の在す処に詣れり、詣り已りて、世尊と共に相慶慰し、歓ばしき銘肝すべき談を交し已りて一辺に坐せり、一辺に坐せる生聞婆羅門は世尊に白して言さく―
二、尊瞿曇よ、刹帝利には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、刹帝利は財物を欲求し、慧を近行とし、軍を所托とし、地において思慕を起し、自在を究竟とす、と。
また尊瞿曇よ、婆羅門には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、婆羅門は財物を欲求し、慧を近行とし、真言を所托とし、祀祠を思慕し、梵世を究竟とす、と。
また尊瞿曇よ、居士には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、居士は財物を欲求し、慧を近行とし、工巧を所托とし、作業を思慕し、作業の完了を究竟とす、と。
また尊瞿曇よ、女人には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、女人は男子を欲求し、荘厳を近行とし、兒子を所托とし、夫を共有せざることを思慕し、自在を究竟とす、と。
また尊瞿曇よ、賊には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、賊は取ることを欲求し、稠林を近行とし、刀杖を所托とし、闇黒を思慕し、現れざるを究竟とす、と。
また尊瞿曇よ、沙門には、いかなる要求あり、いかなる近行あり、いかなる所托あり、いかなる思慕あり、いかなる究竟あるか、と、婆羅門よ、沙門は忍辱柔和を欲求し、慧を近行とし、戒を所托とし、無所有を思慕し、涅槃を究竟とす、と。
三、尊瞿曇よ、希奇なり、尊瞿曇よ、未曾有なり、尊瞿曇は刹帝利の欲求と、近行と、所托と、思慕と、究竟とを知り、また尊瞿曇は婆羅門の欲求と…乃至…また尊瞿曇は居士の欲求と…乃至…また尊瞿曇は女人の欲求と…乃至…また尊瞿曇は賊の欲求と…乃至…また尊瞿曇は沙門の欲求と近行と、所托と、思慕と、究竟とを知る、尊瞿曇よ、奇なるかな、…乃至…尊瞿曇は我を優婆塞と存念したまえ、今日以後、終生帰依せん、と。


支部経典 第六集 五十六節


一、ある時具寿叵求那(パッグナ)は病み、苦しみ、危篤なり、その時具寿阿難(アーナンダ)は世尊の在す処に詣れり、詣り已りて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる具寿阿難は世尊に白して言さく、大徳よ、具寿叵求那は病み、苦しみ、危篤なり、大徳よ、願わくは世尊哀愍して具寿叵求那の所に詣りたまえ、と、世尊は黙然として容したまえり、かくて世尊は晡時に宴座より起ち、具寿叵求那の所に詣りたまえり、具寿叵求那は遥に世尊の来りたまえるを見たり、見已りて床上において起たんとせり、時に世尊は具寿叵求那に告げたまわく、止めよ叵求那、汝は床上に起つなかれ、此処に前に設けられたる席あり、我はこれに坐るべし、とて世尊は設けの席に坐したまえり、世尊は坐し已りて具寿叵求那に告げたまわく、叵求那よ、汝の病は瘥ゆるか、存命し得るか、苦受は減退し進まざるか、増進せずして結極は減退することが知らるるか、と、大徳よ、我の病は瘥えず、存命すること能わず、我の苦受は劇しくして増進し、減退せず、減退せずして結極は増進することが知らる、大徳よ、譬えば丈夫が利き刀刃を以て頭を毆つが如く、正にかくの如く大徳よ、最も強き風が我の頭を毆つ、大徳よ、我の病は瘥えず、存命すること能わず、我の苦受は劇しくして増進し、減退せず、減退せずして結極は増進することが知らる、大徳よ、譬えば丈夫が革紐を以て頭を纏縛するが如く、正にかくの如く大徳よ、我の頭には最も劇しき頭痛あり、大徳よ、我の病は瘥えず、存命すること能わず、我の苦受は劇しくして増進し、減退せず、減退せずして結極は増進することが知らる、大徳よ、譬えば巧なる屠牛者、あるいは屠牛者の弟子が利き牛刀を執って腹を刳るが如く、大徳よ、正にかくの如く、最劇の風は我の腹を刳る、大徳よ、我の病は瘥えず、存命すること能わず、我の苦受は劇しくして増進し、減退せず、減退せずして結極は増進することが知らる、大徳よ、譬えば二人の丈夫あり羸き人の両臂を執り、火坑の中にて炙り焦すが如く、正にかくの如く大徳よ、身に最も甚だしき熱あり、大徳よ、我の病は瘥えず、存命すること能わず、我の苦受は劇しくして増進し、減退せず、減退せずして結極は増進することが知らる、と、その時に世尊は具寿叵求那に法話を以て示現し、勧導し、讃励し、慶喜し已りて座より起ちて去りたまえり。
二、かくして具寿叵求那は世尊の去りたまいし後幾何も無くして命終せり、しかして命終の時には彼の諸根歓喜してありき、されば具寿阿難は世尊の在す処に詣れり、詣り已りて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる具寿阿難は世尊に白して言さく、大徳よ、具寿叵求那は世尊の去りたまいし後幾何も無くして命終せり、命終の時には彼の諸根歓喜してありき、と。
阿難よ、叵求那比丘の諸根は何ぞ歓喜せざらんや、阿難よ、叵求那比丘の心は五順下分結より未だ解脱してあらざりき、かの説法を聴き已りて彼の心は五順下分結より解脱せり、阿難よ、時々法を聴き、時々義を研求するに六の勝利あり、何をか六とす。
三、阿難よ、世に比丘あり、五順下分結より心未だ解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得、如来は彼に法を説き、初善、中前、後善、有義、有文、純一、円満、清浄なる梵行を開示す、その説法を聴きて彼の心は五順下分結より解脱す、阿難よ、これは時々法を聴く第一の勝利なり。
四、また次に阿難よ、比丘の心は未だ五順下分結より解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得ず、されど如来の弟子に会うことを得、如来の弟子は彼に法を説き、初善、中前、後善、有義、有文、純一、円満、清浄なる梵行を開示す、その説法を聴きて彼の心は五順下分結より解脱す、阿難よ、これは時々法を聴く第二の勝利なり。
五、また次に阿難よ、比丘の心は未だ五順下分結より解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得ず、また如来の弟子にも会うことを得ず、されども聞きしが如く、通達せしが如く、心にて法を随尋し、随伺し、随観す、彼は聞きしが如く、通達せしが如く、心にて法を随尋し、随伺し、随観するが故に(彼の)心は五順下分結より解脱す、阿難よ、これは時々義を研求する第三の勝利なり。
六、阿難よ、世に比丘あり、心は五順下分結より解脱せるも、未だ無上なる依滅尽において心解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得、如来は彼に法を説き、初善、中善、…乃至…梵行を開示す、彼はその説法を聴き已りて、無上なる依滅尽において心解脱す、阿難よ、これは時々法を聴く第四の勝利なり。
七、また次に阿難よ、比丘の心は五順下分結より解脱せるも、未だ無上なる依滅尽において心解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得ず、されど如来の弟子に会うことを得、如来の弟子は彼に法を説き、初善、中善、…乃至…清浄なる梵行を開示す、彼はその説法を聴きて、無上なる依滅尽において心解脱す、阿難よ、これは時々法を聴く第五の勝利なり。
八、また次に阿難よ、比丘の心は五順下分結より解脱せるも、未だ無上なる依滅尽において心解脱せず、彼は命終の時に当りて如来に会うことを得ず、また如来の弟子に会うことを得ず、されど聞きしが如く、通達せしが如く、心にて法を随尋し、随伺し、随観す、彼は聞きしが如く、通達せしが如く、心にて法を随尋し、随伺し、随観するが故に(彼の)心は無上なる依滅尽において心解脱す、阿難よ、これは時々法を研求する第六の勝利なり。
阿難よ、これらは時々法を聴き、時々義を研求する六の勝利なり、と。



支部経典 第六集 六十三節


一、比丘衆よ、我は決択法なる法門を説くべし、それを聴け、善く作意せよ、我まさに説くべし、と、大徳よ、しかり、と、彼等比丘衆は世尊に答えまつれり、世尊のたまわく―
二、比丘衆よ、何が決択法なる法門なるか。
比丘衆よ、欲はまさに知らるべし、欲の縁起はまさに知らるべし、欲の差別はまさに知らるべし、欲の異熟はまさに知らるべし、欲の滅はまさに知らるべし、欲の滅に趣く道はまさに知らるべし、比丘衆よ、受はまさに知らるべし、受の縁起はまさに知らるべし、受の差別はまさに知らるべし、受の異熟はまさに知らるべし、受の滅はまさに知らるべし、受の滅に趣く道はまさに知らるべし、比丘衆よ、想はまさに知らるべし、想の縁起はまさに知らるべし、想の差別はまさに知らるべし、想の異熟はまさに知らるべし、想の滅はまさに知らるべし、想の滅に趣く道はまさに知らるべし、比丘衆よ、漏はまさに知らるべし、漏の縁起はまさに知らるべし、漏の差別はまさに知らるべし、漏の異熟はまさに知らるべし、漏の滅はまさに知らるべし、漏の滅に趣く道はまさに知らるべし、比丘衆よ、業はまさに知らるべし、業の縁起はまさに知らるべし、業の差別はまさに知らるべし、業の異熟はまさに知らるべし、業の滅はまさに知らるべし、業の滅に趣く道はまさに知らるべし、比丘衆よ、苦はまさに知らるべし、苦の縁起はまさに知らるべし、苦の差別はまさに知らるべし、苦の異熟はまさに知らるべし、苦の滅はまさに知らるべし、苦の滅に趣く道はまさに知らるべし。
三、比丘衆よ、欲はまさに知らるべし、欲の縁起はまさに知らるべし、欲の差別はまさに知らるべし、欲の異熟はまさに知らるべし、欲の滅はまさに知らるべし、欲の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、かくの如く説けるは何に縁りて説けるか。
比丘衆よ、これらは五欲縄なり、(謂く)眼所識の色は可愛、可楽、可喜、可意、能く諸欲を引き、染著に随順す、耳所識の声は…鼻所識の香は…舌所識の味は…身所識の触は可愛、可楽、可喜、可意、能く諸欲を引き、染著に随順す、また比丘衆よ、これらは欲に非ず、これら欲縄はすなわち聖人の毘奈耶の中に説く
人の分別貪は欲    世の妙なるは欲ならず、
人の分別貪は欲    妙なるはただ世に住す。
智者この中に欲を去る、と。
四、また比丘衆よ、何が欲の縁起なるか。
比丘衆よ、触は欲の縁起なり。
また比丘衆よ、何が欲の差別なるか。
比丘衆よ、色の欲は別なり、声の欲は別なり、香の欲は別なり、味の欲は別なり、触の欲は別なり、比丘衆よ、これを欲の差別と名く。
また比丘衆よ、何が欲の異熟なるか。
比丘衆よ、何なるものを欲するも、それぞれの種類の順福分あるいは順非福分の自体を生起す、比丘衆よ、これを欲の異熟と名く。
比丘衆よ、何が欲の滅なるか。
比丘衆よ、触の滅は欲の滅なり、即ちこの八支聖道は欲の滅に趣く道なり、いわゆる正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定なり、また比丘衆よ、聖弟子はかくの如く欲を知り、かくの如く欲の縁起を知り、かくの如く欲の差別を知り、かくの如く欲の異熟を知り、かくの如く欲の滅を知り、かくの如く欲の滅に趣くを知るがゆえに彼はこの決択法なる欲の滅する梵行を知る。
比丘衆よ、欲はまさに知らるべし、欲の縁起はまさに知らるべし、欲の差別はまさに知らるべし、欲の異熟はまさに知らるべし、欲の滅はまさに知らるべし、欲の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、かくの如く説けるはこれ此に縁りて説けるなり。
五、比丘衆よ、受はまさに知らるべし、受の縁起はまさに知らるべし、受の差別はまさに知らるべし、受の異熟はまさに知らるべし、受の滅はまさに知らるべし、受の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、またかくの如く説けるは何に縁りて説けるか。
比丘衆よ、三受あり、謂く、楽受、苦受、不苦不楽受なり。
六、また比丘衆よ、何が受の縁起なるか。
比丘衆よ、触は受の縁起なり。
また比丘衆よ、何が受の差別なるか。
比丘衆よ、有染汗の楽受あり、無染汗の楽受あり、有染汗の苦受あり、無染汗の苦受あり、有染汗の不苦不楽受あり、無染汗の不苦不楽受あり、比丘衆よ、これを受の差別と名く。
また比丘衆よ、何が受の異熟なるか。
比丘衆よ、何なるものを受するも、それぞれの種類の順福分あるいは順非福分の自体を生起す、比丘衆よ、これを受の異熟と名く。
比丘衆よ、何が受の滅なるか。
比丘衆よ、触の滅は受の滅なり、即ちこの八支聖道は受の滅に趣く道なり、いわゆる正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定なり、また比丘衆よ、聖弟子はかくの如く受を知り、かくの如く受の縁起を知り、かくの如く受の差別を知り、かくの如く受の異熟を知り、かくの如く受の滅を知り、かくの如く受の滅に趣くを知るがゆえに彼はこの決択法なる受の滅する梵行を知る。
比丘衆よ、受はまさに知らるべし…乃至…受の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、かくの如く説けるはこれ此に縁りて説けるなり。
七、比丘衆よ、想はまさに知らるべし…乃至…想の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、またかくの如く説けるは何に縁りて説けるか。
比丘衆よ、六想あり、謂く、色想、声想、香想、味想、触想、法想なり。
八、また比丘衆よ、何が想の縁起なるか。
比丘衆よ、触は想の縁起なり。
また比丘衆よ、何が想の差別なるか。
比丘衆よ、色の想は別なり、声の想は別なり、香の想は別なり、味の想は別なり、触の想は別なり、法の想は別なり、比丘衆よ、これを想の差別と名く。
また比丘衆よ、何が想の異熟なるか。
比丘衆よ、我は想は言説を異熟とすと説く、想うに随って我はかくの如く想えり、と言う、比丘衆よ、これを想の異熟と説く。
また比丘衆よ、何が想の滅なるか。
比丘衆よ、触の滅は想の滅なり、即ちこの八支聖道は想の滅に趣く道なり、いわゆる正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定なり、また比丘衆よ、聖弟子はかくの如く想を知り、かくの如く想の縁起を知り、かくの如く想の差別を知り、かくの如く想の異熟を知り、かくの如く想の滅を知り、かくの如く想の滅に趣くを知るがゆえに彼はこの決択法なる想の滅する梵行を知る。
比丘衆よ、想はまさに知らるべし…乃至…想の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、かくの如く説けるはこれ此に縁りて説けるなり。
九、比丘衆よ、漏はまさに知らるべし…乃至…漏の滅に趣く道はまさに知らるべし、と、またかくの如く説けるは何に縁りて説けるか。
比丘衆よ、三漏あり、謂く、欲漏、有漏、無明漏なり。
十、また比丘衆よ、何が漏の縁起なるか。
比丘衆よ、無明は漏の縁起なり。
また比丘衆よ、何が漏の差別なるか。
比丘衆よ、地獄に行か