ナクラ母とパッグナの話

今日、増支部経典の第六集を読んでて、とても感動した箇所があった。

ひとつは、ナクラの母の話。

ナクラという人の父が、重い病気で床に伏して、その妻のナクラの母が、以下のように語る。

「心配しながら、想いを残して死ぬのは良くないと言われています。

あなたは、自分が死んだ後に、幼い子どもを抱えて私が生きていけるかと心配でしょう。
しかし、私は織物をつくるのがとても上手なので、大丈夫です。

あなたは、自分が死んだ後に、私が他の人と再婚するだろうかと思っているかもしれません。
でも、私はあなたと結婚してから十六年間、一度たりとも他の人を思ったこともありませんし、これからもずっとそうです。

あなたは、自分が死んだ後に、私が仏教をあまり聞かなくなるかもしれない、と心配かもしれません。
でも、私は、もしあなたがいなくなるならば、今まで以上に、お釈迦様の教えをよく聞きます。

あなたは、自分が死んだ後に、私が心が乱れて決して平安ではないと心配されているのでしょう。
しかし、私はお釈迦様の在家の女性の弟子の中では一番、瞑想で心を静め、道徳をしっかり守り、教えをよく理解しているので、大丈夫です。

何も心配することありません。」

と、大雑把に現代語訳すると以上のようなことを病気の夫に言う。

夫は、とても感動して、聴いているうちにすっかり病気が治り、二人でお釈迦様に御礼をしに会いに行くと、夫に対してあなたはすばらしい妻を持った、ということをお釈迦様が述べるところで終る。

たしかに、このように言うことが、あとに残るものへの心配はいらないと伝えることが、その心配を抱えている人に対して、一番の思いやりであり、最も喜ぶことなのかもしれない。


もうひとつのお経のパッグナの方は、上記のお経のように必ずしもハッピーなだけのお経ではないけれど、同様に、あるいはそれ以上に、もっと心打たれるお経だった。

パッグナという弟子が重病にかかり、もう余命がいくばくもないというので、他の弟子からそのことを聞き、お釈迦様がパッグナにお見舞いに行く。

パッグナは立ち上がって迎えようとするけれど、お釈迦様はそのまま寝たままでいてください、と言って、傍らに坐り、具合を尋ねる。

パッグナは、自分はもう治らない、病状は悪化するだけだ、ということと、とても苦しい様子をいろんなたとえで語る。
それらは、時を超えて、病の苦しみというものをリアルに伝えて、思わず涙せざるを得ない、迫真のものだと思う。

それに対して、お釈迦様が具体的にどのような法話を語ったのかはお経の中には記されていないのだけれど、丁寧にパッグナに対してお釈迦様が説法し、パッグナはとても感動して、身体中も心も喜びに満ち、お釈迦様が去ったあと、間もなく亡くなった。

他の弟子が、パッグナは身体も心も喜びに満ちていました、と釈尊に伝えると、釈尊は、パッグナはそれまではまだ不還果に達していなかったけれど、最後に私の法話を聴いて不還果に達しました、人は不還果の悟りに達した時に、あるいは阿羅漢果の悟りに達した時には、身体も心も喜びに満ちるのです、という話をする。

このお経は、重い病が治るという奇跡の話は何も書かれないけれど、パッグナの心が変わったこと、救いを得て慶びの中で亡くなっていったことが記されている。
考えてみれば、それこそが本当にすごいことであり、本当に奇跡のような、尊いことなのかもしれない。

他にも素晴らしいお経が多々あった。

支部経典は、本当に、人類の宝だと思う。