増支部経典 第八集 抜粋メモ

支部経典 第八集 抜粋メモ


支部経典 第八集 十五節 垢穢


一、諸比丘よ、八の垢穢あり。何をか八と為すや。

二、諸比丘よ、読誦せざるは聖典の垢穢なり、諸比丘よ、起業なきは家の垢穢なり、諸比丘よ、懈怠は美の垢穢なり、諸比丘よ、放逸は番士の垢穢なり、諸比丘よ、悪行は婦女の垢穢なり、諸比丘よ、慳は施者の垢穢なり、諸比丘よ、悪不善法は此世・後世の垢穢なり、諸比丘よ、無明はこれらよりもさらに悪しき垢穢にして最大の垢穢なり。
諸比丘よ、これ、八の垢穢なり。

読誦せざるは聖典の垢穢、
起業のなきは家の垢穢、
懈怠は美の垢穢、
放逸は番士の垢穢、
悪行は婦女の垢穢、
慳は施者の垢穢、
悪法は此世と
後世との垢穢なり、
無明はこれらよりもさらに悪しき垢穢にして
最大の垢穢なり。



支部 第八集 二十三 呵哆(一)


一、ある時、世尊は阿羅鞞阿伽羅婆(アーラーヴィアッガーラヴァ)制底に住したまえり。
ここに世尊は諸比丘に告げて言いたまえり―
諸比丘よ。
大徳よ。
とかの諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―

二、諸比丘よ、呵哆阿羅婆(ハッタカ・アーラーヴァカ)は七の希有未曾有の法を成就せりと知れ。何をか七と為すや。

三、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は信あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は戒あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慚あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は愧あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は多聞なり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は捨あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慧あり。
諸比丘よ、呵哆阿羅婆はかくの如き七の希有未曾有の法を成就せりと知れ。
世尊はかくの如く説きたまえり。かく説きて善逝は座より起ち精舎に入りたまえり。

四、時に、一の比丘あり、晨朝時に下衣を著け鉢衣を持して呵哆阿羅婆の家に往けり、往きて設けの座に坐せり。
時に、呵哆阿羅婆はかの比丘のところに来れり、来りてかの比丘を敬礼して一面に坐せり。一面に坐せる時、呵哆阿羅婆にかの比丘は言えり―
友よ、汝は七の希有未曾有の法を成就せりと世尊説きたまえり。何をか七と為すや。(世尊言いたまわく)諸比丘よ、呵哆阿羅婆は信あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は戒あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慚あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は愧あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は多聞なり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は捨あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慧ありと。友よ、汝はかくの如き七の希有未曾有の法を成就せりと世尊説きたまえり。
大徳よ、その時、白衣の在家人ありしや否や。
友よ、その時、白衣の在家人あらざりき。
大徳よ、その時、白衣の在家人あらざりしは善し。

五、時に、かの比丘は友よ、呵哆阿羅婆の家において施食を受け座より起ちて去れり。時に、かの比丘は食後、受食より還り世尊の在すところに往詣せり。往詣して世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐してかの比丘は世尊に白して言えり―
大徳よ、このところに我、晨朝時に下衣を著け鉢衣を持して呵哆阿羅婆の家に往けり、往きて設けの座に坐せり。大徳よ、時に、呵哆阿羅婆は我許に来れり、来りて我を敬礼して一面に坐せり。大徳よ、一面に坐せる時、呵哆阿羅婆に我は言えり。
「友よ、汝は七の希有未曾有の法を成就せりと世尊説きたまえり。何をか七と為すや。(世尊言いたまわく)諸比丘よ、呵哆阿羅婆は信あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は戒あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慚あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は愧あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は多聞なり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は捨あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慧ありと。友よ、汝はかくの如き七の希有未曾有の法を成就せりと世尊説きたまえり。」
大徳よ、かくの如く説けるに呵哆阿羅婆は我に言えり。
「大徳よ、その時、白衣の在家人ありしや否や。」「友よ、その時、白衣の在家人あらざりき。」「大徳よ、その時、白衣の在家人あらざりしは善し。」

六、善い哉、善い哉比丘よ。比丘よ、かの善男子は少欲にして自らにある善法を他人の知るを欲せず。
比丘よ、しからば呵哆阿羅婆は第八の希有未曾有の法を成就せりと知れ。いわく、少欲なり。




支部 第八集 二十四 呵哆(二)


一、ある時、世尊は阿羅鞞阿伽羅婆(アーラーヴィアッガーラヴァ)制底に住したまえり。
時に、呵哆阿羅婆(ハッタカ・アーラーヴァカ)は五百の優婆塞に囲繞せられて世尊の在すところに往詣せり。
往詣して世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐せる時、呵哆阿羅婆に世尊は説きたまえり―

二、呵哆よ、汝の衆大なり。呵哆よ、汝はいかにしてこの大衆を摂するや。

大徳よ、世尊は四摂事を説きたまえり。我、これによりてこの大衆を摂す。大徳よ、我もしこの人は布施を以て摂すべしと知らばすなわち布施を以て摂す。我もしこの人は愛語を以て摂すべしと知らばすなわち愛語を以て摂す。我もしこの人は利行を以て摂すべしと知らばすなわち利行を以て摂す。我もしこの人は同事を以て摂すべしと知らばすなわち同事を以て摂す。大徳よ、また我家には財あり、もし(我)貧窮なりせば(人々)かくの如く聴かんとは思わじ。

三、善い哉、善い哉、呵哆よ。呵哆よ、これ、大衆を摂する要諦なり。呵哆よ、過去世に大衆を摂したるものは総て定んでこの四摂事を以て大衆を摂したり。呵哆よ、未来世に大衆を摂せんものは総て定んでこの四摂事を以て大衆を摂せん。呵哆よ、現在大衆を摂するものは総て定んでこの四摂事を以て大衆を摂す。

四、時に、世尊、法を説きて教示し勧導し讃励し慶喜せしめたまえるに呵哆阿羅婆は世尊を敬礼し右繞を作して去れり。
時に、呵哆阿羅婆去りて未だ久しからずして世尊は諸比丘に告げて言いたまえり―

五、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は八の希有未曾有の法を成就せりと知れ。何をか八と為すや。

六、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は信あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は戒あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慚あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は愧あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は多聞なり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は捨あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は慧あり、諸比丘よ、呵哆阿羅婆は少欲なり。
諸比丘よ、呵哆阿羅婆はかくの如く八の希有未曾有の法を成就せりと知れ。



支部経典 第八集 二十五節 摩訶男


一、ある時、世尊は釈氏(サッカ)国、迦維羅衛(カピラヴァストゥ)城尼拘律園(ニグローダーラーマ)に住したまえり。時に、釈種摩訶男(マハーナーマ)、世尊の在す処に来詣せり。来詣して世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐して釈種摩訶男は世尊に白して言えり―
大徳よ、いかなるをか優婆塞と為すや。
摩訶男よ、もし仏に帰依し法に帰依し僧に帰依せばすなわち優婆塞と為す。

二、大徳よ、いかなるをか具戒の優婆塞と為すや。
摩訶男よ、もし優婆塞、殺生を離し、不与取を離し、邪淫を離し、妄語を離し、飲酒を離せばすなわち具戒の優婆塞と為す。

三、大徳よ、いかなるをか優婆塞、自利に趣向して未だ利他に趣向せずと為すや。
摩訶男よ、もし優婆塞、自ら信を成就して未だ他を勧導して信を成就せしめず、自ら戒を成就して未だ他を勧導して戒を成就せしめず、自ら捨を成就して未だ他を勧導して捨を成就せしめず、自ら諸比丘を見るを欲して未だ他を勧導して諸比丘を見せしめず、自ら正法を聴聞するを欲して未だ他を勧導して正法を聴聞せしめず、自ら所聞の法を持して未だ他を勧導して法を持せしめず、自ら所持の法の義を観察して未だ他を勧導して義を観察せしめず、自ら義を知り法を知り法に随順して行じて未だ他を勧導して法に随順して行ぜしめざれば、すなわち優婆塞、自利に趣向して未だ利他に趣向せずと為す。

四、大徳よ、いかなるをか優婆塞、自利、利他倶に趣向すと為すや。
摩訶男よ、もし優婆塞、自ら信を成就してしかも他を勧導して信を成就せしめ、自ら戒を成就してしかも他を勧導して戒を成就せしめ、自ら捨を成就してしかも他を勧導して捨を成就せしめ、自ら諸比丘を見るを欲してしかも他を勧導して諸比丘を見せしめ、自ら正法を聴聞するを欲してしかも他を勧導して正法を聴聞せしめ、自ら所聞の法を持してしかも他を勧導して法を持せしめ、自ら所持の法の義を観察してしかも他を勧導して義を観察せしめ、自ら義を知り法を知り法に随順して行じてしかも他を勧導して法に随順して行ぜしめば、すなわち優婆塞、自利、利他倶に趣向すと為す。



支部経典 第八集 四十八節 那拘羅母

ある時、世尊は婆祇国、尸収摩羅山、恐怖林鹿苑に住したまえり。
時に、那拘羅母居士婦は世尊の在す処に来詣せり、来詣して(世尊を敬礼して一面に坐せり)。一辺に坐せる時、那拘羅母居士婦に世尊は説きたまえり―

二、那拘羅母よ、八法を成就せる女人は身壊命終して後可意衆天の朋輩に生る。何をか八と為すや。

三、那拘羅母よ、ここに女人あり、父母その利を欲し益を希い哀愍し哀愍によりて嫁せしめば、その夫において、夙に起き、晩く寝ね、好んで業務を作し、その可意を行い、愛語す。夫の尊重するところの父・母・沙門・婆羅門はこれを恭敬・尊重・尊敬・供養し、来至せば座と(洗足水)とを以て迎接す。夫の親好なる事業たる羊毛・綿において能くし、懈らず、その方便の思惟を成就し、能く作し、能く整う。夫の親好なる家内人たる奴婢・使丁・僮僕の作を作と知り、不作を不作と知り、病者の強弱を知り、嚼食・噉食を分に応じて分布す。夫の羸る所の財・穀・銀・金を受けては守護・収蔵し、これによりて欺き、盗み、酩酊し、損壊せしむることなし。優婆夷となり、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依す。具戒にして殺生を離し、(不与取を離し、欲邪行を離し、妄語を離し)、飲酒を離す。具捨にして慳恪の垢穢を離れたる心を以て家に住し、恒に施し、手づから施し、棄捨を喜び、乞に応じ、布施を分布するを喜ぶ。
那拘羅母よ、かくの如き八法を成就せる女人は身壊命終して後可意衆天の朋輩に生る。

絶ゆる間も無く常恒に
勉み励みて扶養して
一切の欲を得せしめる
夫を軽蔑することなく
善女は嫉妬の言をもて
夫を怒らすことも無し、
賢女はすべて我夫の
重んず人を迎接し、
勤勇にして懈らず、
周囲の人を摂受して、
夫の可意を行いて、
蔵む所を守護すなり。
かくて夫の楽欲に
随い転ず女人こそ
可意と名づくるかの天に
定んで生を受くるなれ。



支部経典 第八集 四十九節 此世(一)


一、ある時、世尊は舎衛城、東園、鹿母殿に住したまえり。
時に、毘舎佉鹿母は世尊の在す処に来詣せり、来詣して(世尊を敬礼して一面に坐せり)。一辺に坐せる時、毘舎佉鹿母に世尊は説きたまえり―

二、毘舎佉よ、四法を成就せる女人は此世の勝伏に発向し、此世を獲得せるなり。何をか四と為すや。

三、毘舎佉よ、此処に女人あり、善く作業を整え、周囲の人を摂受し、夫の可意を行い、収蔵する所を守護す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、善く事業を整うと為すや。

四、毘舎佉よ、此処に女人あり、夫の親好なる事業たる羊毛・綿において能くし、懈らず、その方便の思惟を成就し、能く作し、能く整う。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人善く事業を整うと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、周囲の人を摂受すと為すや。

五、毘舎佉よ、此処に女人あり、夫の親好なる家内人たる奴婢・使丁・僮僕の作を作と知り、不作を不作と知り、病者の強弱を知り、嚼食・噉食を分に応じて分布す。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人、周囲の人を摂受すと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、夫の可意を行うと為すや。

六、毘舎佉よ、此処に女人あり、夫の可意とせざる所はたとい失命の因あらんとも行わず。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人、夫の可意を行うと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、収蔵する所を守護すと為すや。

七、毘舎佉よ、此処に女人あり、夫の羸る所の財・穀・銀・金を受けては守護・収蔵し、これによりて欺き、盗み、酩酊し、損壊せしむること無し。
毘舎佉よ、かくの如きをば女人、収蔵する所を守護すと為す。
毘舎佉よ、かくの如き四法を成就せる女人は此世の勝伏に発向し、此世を獲得せるなり。

八、毘舎佉よ、四法を成就せる女人は他世の勝伏に発向し、他世を獲得せるなり。何をか四と為すや。

九、毘舎佉よ、此処に女人あり、信具足し、戒具足し、捨具足し、慧具足す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、信具足すと為すや。

十、毘舎佉よ、此処に女人あり、信ありて如来の菩提を信じ、此世尊は応供・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊なりとなす。
毘舎佉よ、かくの如きをば女人、信具足すと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、戒具足すと為すや。

十一、毘舎佉よ、此処に女人あり、殺生を離し、(不与取を離し、欲邪行を離し、妄語を離し)、飲酒を離す。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人、戒具足すと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、捨具足すと為すや。

十二、毘舎佉よ、此処に女人あり、慳恪の垢穢を離れたる心を以て家に住し、常に施し、手づから施し、棄捨を喜び、乞に応じ、布施を分布するを喜ぶ。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人、捨具足すと為す。
毘舎佉よ、いかなるをか女人、慧具足すと為すや。

十三、毘舎佉よ、此処に女人あり、聖、決択にして正しく苦尽に順ずる生滅慧を成就す。
毘舎佉よ、かくの如きをば、女人、慧具足すと為す。
毘舎佉よ、かくの如き四法を成就せる女人は他世の勝伏に発向し、他世を獲得せるなり。

善く事業をば整えて、
周囲の人を摂受して、
夫の可意を行いて、
蔵むる所を守護しては、
信と戒とを具足して、
需に応じ、慳を離し、
常に道をばよく浄め、
後世の吉祥(求むなり)。
かくの如きの八法を
その身に具する婦女ならば、
具戒なりとも、法住とも、
真実語者とも名づくなり。
十六行相具足して、
八分を善く備えたる
如是の具戒の優婆夷こそ
可意の天世に生るなれ。



支部経典 第八集 五十三節 略説


一、ある時、世尊は毘舎離城大林重閣堂に住したまえり。
時に、摩訶波闍波提瞿曇弥は世尊の在す処に来詣せり、来詣して世尊を敬礼して一面に立てり。一面に立ちて摩訶波闍波提瞿曇弥は世尊に白して言えり―
大徳世尊、願わくは略して法を説きたまえ、我、世尊より法を聞きて独り寂静・不放逸・熱心・精励に住せん。

二、瞿曇弥よ、汝もし法を知るに、この法は貪欲に資して離貪に資せず、結縛に資して離繋に資せず、積集に資して損減に資せず、大欲に資して少欲に資せず、不満足に資して満足に資せず、聚会に資して閑静に資せず、懈怠に資して発勤に資せず、難養に資して易養に資せずとなさば、瞿曇弥よ、一向に、これは法に非ず、これは律に非ず、これは師の教に非ずと知るべし。

三、瞿曇弥よ、汝もし法を知るに、この法は離貪に資して貪欲に資せず、離繋に資して結縛に資せず、損減に資して積集に資せず、少欲に資して大欲に資せず、満足に資して不満足に資せず、閑静に資して聚会に資せず、発勤に資して懈怠に資せず、易養に資して難養に資せずとなさば、瞿曇弥よ、一向に、これは法なり、これは律なり、これは師の教なりと知るべし。



支部経典 第八集 五十四節 長膝


一、ある時、世尊は拘利国、カッカラパッタと名づくる拘利種の邑に住したまえり。
時に、長膝(ディーガジャーヌ)拘利子は世尊の在す処に来詣せり、来詣して世尊を敬礼して一面に立てり。一面に立ちて長膝拘利子は世尊に白して言えり―
大徳よ、我等は諸欲を受用し、兒等の密集せる臥処に住し、迦尸衣・栴檀を領受し、華鬘・薫香・塗香を所持し、金銀を嘗味す。大徳よ、我等のために法を説き我等の現法利益・現法安楽・後世利益・後世安楽と為したまえ。

二、虎路子(ビャッガパッジャ)よ、四法ありて善男子の現法利益・現法安楽に資す。何をか四と為すや。

三、起策具足、守護具足、善友相応、等命なり。
虎路子よ、何をか起策具足(ウッターナ・サンパダー)と為すや。

四、虎路子よ、此処に善男子あり、もしは農事、もしは商売、もしは牧牛、もしは射技、もしは王事、もしは一の技芸などの業処によりて活命するに、此において能くし、懈らず、その方便の思惟を成就し、能く作し、能く整う。
虎路子よ、これを名づけて起策具足と為す。
虎路子よ、何をか守護具足(アーラッカ・サンパダー)と為すや。

五、虎路子よ、此処に善男子あり、財を有す、起策精励の所得、臂力の所積、流汗の所成、如法、法所得なり、これを成じて守護・収蔵し、この財をば王も奪うことなく、賊も奪うことなく、火も焼くことなく、水も漂わすことなく、非可愛の相続者も奪うこと無からしめんと念ず。
虎路子よ、これを名づけて守護具足と為す。
虎路子よ、何をか善友相応(カルヤーナミッタター)と為すや。

六、虎路子よ、ここに善男子あり、村邑に住するに、此処に居士もしくは居士子、若き戒徳増上者、老いたる戒徳増上者あり、信具足し戒具足し捨具足し慧具足せば、これと相倶に集会し、対談し、如是相の信具足者において信具足を随学し、如是相の戒具足者において戒具足を随学し、如是相の捨具足者において捨具足を随学し、如是相の慧具足者において慧具足を随学す。
虎路子よ、これを名づけて善友相応と為す。
虎路子よ、何をか等命(サマジーヴィタ)と為すや。

七、虎路子よ、ここに善男子あり、財の入と財の出とを知りて、平等の活命を作し、奢侈に堕せず、困乏に堕せず、「かくの如く我入は出を減じて残らん、我出は入を減じて残らざらん」と為す。虎路子よ、譬えば商人もしくは商人の弟子あり、秤を取りて、「かくの如くならば下に傾き、かくの如くならば上に傾く」と知る。かくの如く虎路子よ、善男子は財の入と財の出とを知りて、平等の活命を作し、奢侈に堕せず、困乏に堕せず、「かくの如く我入は出を減じて残らん、我出は入を減じて残らざらん」と為す。虎路子よ、もしこの善男子、入少くして広大の活命を作さば説者ありて「この善男子は財を食すること優曇鉢果の食の如し」と言わん。虎路子よ、またもしこの善男子、入多くして下卑の活命を作さば説者ありて「この善男子は餓死の如くに死せん」と言わん。虎路子よ、しかるに、この善男子は財の入と財の出とを知りて、平等の活命を作し、奢侈に堕せず、困乏に堕せず、「かくの如く我入は出を減じて残らん、我出は入を減じて残らざらん」と為す。
虎路子よ、これを名づけて等命と為す。

八、虎路子よ、かくの如く、得たる財の出づる門に四あり、(謂く)婦女に惑溺すると、飲酒に惑溺すると、賭博に惑溺すると、悪友、悪朋、悪輩あるとなり。虎路子よ、譬えば大池に四の入門と四の出門とあり、人ありてその入門を塞ぎ、出門を開き、天正しく雨降らさず、虎路子よ、かくの如くならばこの大池において衰退こそ求むべけれ、増長を求むべからず。虎路子よ、かくの如く、得たる財の出づる門に四あり、(謂く)婦女に惑溺すると、飲酒に惑溺すると、賭博に惑溺すると、悪友、悪朋、悪輩あるとなり。

九、虎路子よ、かくの如く、得たる財の入る門に四あり、(謂く)婦女に惑溺せざると、飲酒に惑溺せざると、賭博に惑溺せざると、善友・善朋・善輩あるとなり。虎路子よ、譬えば大池に四の入門と四の出門とあり、人ありてその入門を開き、出門を塞ぎ、天正しく雨降らさん。虎路子よ、かくの如くならばこの大池において増長こそ求むべけれ、衰退を求むべからず。虎路子よ、かくの如く、得たる財の入る門に四あり、(謂く)婦女に惑溺せざると、飲酒に惑溺せざると、賭博に惑溺せざると、善友・善朋・善輩あるとなり。
虎路子よ、かくの如き四法ありて善男子の現法利益・現法安楽に資す。

十、虎路子よ、四法ありて善男子の後世利益・後世安楽に資す。何をか四と為すや。

十一、信具足・戒具足・捨具足・慧具足なり。
虎路子よ、何をか信具足と為すや。

十二、虎路子よ、此処に善男子あり、信ありて如来の菩提を信じ、此世尊は応供・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊なりとなす。
虎路子よ、これを名づけて信具足と為す。
虎路子よ、何をか戒具足と為すや。

十三、虎路子よ、此処に善男子あり、殺生を離し、不与取を離し、欲邪行を離し、妄語を離し、飲酒を離す。
虎路子よ、これを名づけて戒具足と為す。
虎路子よ、何をか捨具足と為すや。

十四、虎路子よ、此処に善男子あり、慳恪の垢穢を離れたる心を以て家に住し、常に施し、手づから施し、棄捨を喜び、乞に応じ、布施を分布するを喜ぶ。
虎路子よ、これを名づけて捨具足と為す。
虎路子よ、何をか慧具足と為すや。

十五、虎路子よ、此処に善男子あり、聖、決択にして正しく苦尽に順ずる生滅慧を成就す。
虎路子よ、これを名づけて慧具足と為す。
虎路子よ、かくの如き四法ありて善男子の後世利益・後世安楽に資す。

作すべき業に起策して、
不放逸に整頓し、
平等活命営みて
収むる所を守護すなり。
信と戒とを具足して、
需に応じ、慳を離し、
常に道をばよく浄め、
後世の吉祥(求むなり)。
かくの如きの八法は
家業にいそしむ信者には
二世の安楽与うぞと
審諦尊は説きたまう。
現法にても利益あり、
後の世にても安楽あり、
かくて居士等の捨と福は
いやが上にも増長す。




支部経典 第八集 五十六節 怖畏


一、諸比丘よ、怖畏とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、苦とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、病とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、瘡とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、刺とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、著とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、染泥とはこれ、諸欲の増上語なり。諸比丘よ、胎とはこれ、諸欲の増上語なり。

二、諸比丘よ、何を以てのゆえに怖畏とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の怖畏よりも解脱せず、後世の怖畏よりも解脱せざるがゆえに、怖畏とはこれ、諸欲の増上語なり。

三、諸比丘よ、何を以てのゆえに苦とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の苦よりも解脱せず、後世の苦よりも解脱せざるがゆえに、苦とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに病とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の病よりも解脱せず、後世の病よりも解脱せざるがゆえに、病とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに瘡とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の瘡よりも解脱せず、後世の瘡よりも解脱せざるがゆえに、瘡とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに刺とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の刺よりも解脱せず、後世の刺よりも解脱せざるがゆえに、刺とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに著とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の著よりも解脱せず、後世の著よりも解脱せざるがゆえに、著とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに染泥とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の染泥よりも解脱せず、後世の染泥よりも解脱せざるがゆえに、染泥とはこれ、諸欲の増上語なり。
諸比丘よ、何を以てのゆえに胎とはこれ、諸欲の増上語なりや。
諸比丘よ、欲貪に染せられ欲貪に縛せらるれば現法の胎よりも解脱せず、後世の胎よりも解脱せざるがゆえに、胎とはこれ、諸欲の増上語なり。

怖畏と苦厄と疾病と
瘡と刺箭と染著と
染泥と胎との二とを、
これを名づけて欲と為す、
凡夫はこれに執着し、
悦色によりて捉われて
更に女人の胎に入る。
もし比丘、熱心勉励し
正知を持して弛めずば、
渡るに難き険阻をば
如是の相にて超越し、
生・老受けて顫えいる
衆生を下に観ずなり。



支部経典 第八集 六十七節 言説(一)


一、諸比丘よ、非聖者の言説に八あり。何をか八と為すや。
二、不見を見と言うと、不聞を聞と言うと、不覚を覚と言うと、不知を知と言うと、見を不見と言うと、聞を不聞と言うと、覚を不覚と言うと、知を不知と言うとなり。
諸比丘よ、これ、非聖者の言の八なり。


支部経典 第八集 六十八節 言説(二)


一、諸比丘よ、聖者の言説に八あり。何をか八と為すや。
二、不見を不見と言うと、不聞を不聞と言うと、不覚を不覚と言うと、不知を不知と言うと、見を見と言うと、聞を聞と言うと、覚を覚と言うと、知を知と言うとなり。
諸比丘よ、これ、聖者の言の八なり。



支部経典 第八集 七十一節 信(一)


一、諸比丘よ、信あるも、戒無き比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あるを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信ありて戒あらば此分円満なり。
二、諸比丘よ、信あり、戒あるも、多聞ならざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞なるを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒ありて、多聞ならば此分円満なり。
三、諸比丘よ、信あり、戒あり、多聞なるも、法説者ならざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞にして、法説者なるを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒あり、多聞にして、法説者ならば此分円満なり。
諸比丘よ、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たるも、衆を境界とせざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とするを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とせば此分円満なり。
諸比丘よ、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とするも、無畏にして衆中に法を説かざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説くを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説かば此分円満なり。
諸比丘よ、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とするも、無畏にして衆中に法を説くも、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無きに非ざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説き、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無きを得ん」という此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説き、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無くば此分円満なり。
諸比丘よ、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とするも、無畏にして衆中に法を説くも、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無きも、諸漏尽くるによりて無漏の心解脱・慧解脱を現法において自ら証知し現証し具足して住するに非ざる比丘あり。彼は此分円満ならず。彼は「いかにせば我、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説き、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無く、諸漏尽くるによりて無漏の心解脱・慧解脱を現法において自ら証知し現証し具足して住するを得ん」といい此分を円満にすべし。諸比丘よ、比丘、信あり、戒あり、多聞にして、法説者たり、衆を境界とし、無畏にして衆中に法を説き、四静慮の増上心の現法楽住を得ること楽欲に随い得るに艱難無く得るに梗渋無く、諸漏尽くるによりて無漏の心解脱・慧解脱を現法において自ら証知し現証し具足して住せば此分円満なり。
諸比丘よ、この八法を成就せる比丘は普端厳、一切相円満なり。



支部経典 第八集 七十三節 念死(一)


一、ある時、世尊は那提迦(ナーティカ)、塼瓦堂に住したまえり。此に、世尊は諸比丘に告げたまえり―
諸比丘よ、
大徳よ、
と彼諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―

二、諸比丘よ、念死を修習し多習せば果多く功徳多く、甘露に浴し甘露に究竟す。諸比丘よ、汝等、念死を修習せよ。

三、かくの如く説きたまいし時、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、一日一夜活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

四、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我一日活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

五、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、半日活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

六、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、一鉢食を食する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

七、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、半鉢食を食する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

八、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、四、五搏を嚼んで嚥下する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

九、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、一搏を嚼んで嚥下する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

十、一の比丘あり、世尊に白して言えり―
大徳よ、我、念死を修習す。
比丘よ、汝はいかにして念死を修習するや。
大徳よ、我かくの如く「願わくは我、入息し已りて出息し、出息し已りて入息する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と思念す。大徳よ、我、かくの如く念死を修習す。

十一、かくの如く白したるに、世尊は彼諸比丘に説きたまえり―
諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我一日一夜活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我一日活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、半日活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、一鉢食を食する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、半鉢食を食する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、四、五搏を嚼んで嚥下する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。
諸比丘よ、これらの比丘を名づけて、放逸にして住し念死を修習して諸漏の尽に資すること緩慢なりと為す。
諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、一搏を嚼んで嚥下する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。諸比丘よ、比丘あり、念死を修習して「願わくは我、入息し已りて出息し、出息し已りて入息する間活き、世尊の教を作意し、所作多きを得ん」と為す。
諸比丘よ、これらの比丘を名づけて、不放逸にして住し念死を修習して諸漏の尽に資すること猛利なりと為す。
諸比丘よ、ゆえにかくの如く学すべし、「我等、不放逸にして住し、念死を修習して諸漏の尽に資すること猛利ならん」と。
諸比丘よ、汝等かくの如く学すべし。



支部経典 第八集 七十四節 念死(二)


一、ある時、世尊は那提迦、塼瓦堂に住したまえり。此に、世尊は諸比丘に告げたまえり―
諸比丘よ、
大徳よ、
と彼諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―
諸比丘よ、念死を修習し多習せば果多く功徳多く、甘露に浴し甘露に究竟す。諸比丘よ、汝等、念死をいかに修習しいかに多習せば果多く功徳多く、甘露に浴し甘露に究竟するや。

二、諸比丘よ、此処に比丘あり、昼過ぎ夜来る時、かくの如く思択す―
我において多くの死の縁あり、あるいは蛇に咬まれ、あるいは蠍に螫され、あるいは百足に螫され、これによりて死すことあらん、これ、我障礙とならん。あるいは躓きて仆れ、あるいは食せる食に害せられ、あるいは膽質乱れ、あるいは啖質乱れ、あるいは刀剣の如き風質乱れ、あるいは人に襲われ、あるいは非人に襲われ、これによりて死すことあらん、これ、我障礙とならん。
諸比丘よ、此比丘はまさにかくの如く思択すべきなり―
我において悪不善法の未断にして、もし夜命終せば我障礙となるべきものありや。
諸比丘よ、もし比丘、観察してかくの如く「我において悪不善法の未断にして、もし夜命終せば我障礙となるべきものあり」と知らば、諸比丘よ、此比丘は此悪不善法を断ぜんがために増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すべきなり。
諸比丘よ、譬えば衣の燃え、頭の燃ゆるに、衣と頭とを消滅せんが為に、増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すが如く、かくの如く比丘よ、此比丘は此悪不善法を断ぜんがために増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すべきなり。
諸比丘よ、またもし比丘、観察してかくの如く「我において悪不善法の未断にして、もし夜命終せば我障礙となるべきもの無し」と知らば、諸比丘よ、此比丘は此欣喜を以て昼夜善法を随学して住すべし。

三、諸比丘よ、また此処に比丘あり、夜過ぎ昼来る時、かくの如く思択す―
我において多くの死の縁あり、あるいは蛇に咬まれ、あるいは蠍に螫され、あるいは百足に螫され、これによりて死すことあらん、これ、我障礙とならん。あるいは躓きて仆れ、あるいは食せる食に害せられ、あるいは膽質乱れ、あるいは啖質乱れ、あるいは刀剣の如き風質乱れ、あるいは人に襲われ、あるいは非人に襲われ、これによりて死すことあらん、これ、我障礙とならん。
諸比丘よ、此比丘はまさにかくの如く思択すべきなり―
我において悪不善法の未断にして、もし昼命終せば我障礙となるべきものありや。
諸比丘よ、もし比丘、観察してかくの如く「我において悪不善法の未断にして、もし昼命終せば我障礙となるべきものあり」と知らば、諸比丘よ、此比丘は此悪不善法を断ぜんがために増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すべきなり。
諸比丘よ、譬えば衣の燃え、頭の燃ゆるに、衣と頭とを消滅せんが為に、増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すが如く、かくの如く比丘よ、此比丘は此悪不善法を断ぜんがために増上の志欲・精進・勉励・勢猛・不退・正念・正知を起すべきなり。
諸比丘よ、またもし比丘、観察してかくの如く「我において悪不善法の未断にして、もし昼命終せば我障礙となるべきもの無し」と知らば、諸比丘よ、此比丘は此欣喜を以て昼夜善法を随学して住すべし。



支部経典 第八集 八十節 懈怠事精進事


一、諸比丘よ、八の懈怠事あり。何をか八と為すや。

二、諸比丘よ、此処に比丘あり、その作すべき事業あり。彼思念す、「我作すべき事業あらんも、事業を作さば我身疲憊せん。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第一の懈怠事なり。

三、諸比丘よ、また比丘あり、已に事業を作せり。彼思念す、「我已に事業を作せり、事業を作して我身疲憊せり。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第二の懈怠事なり。

四、諸比丘よ、また比丘あり、その行くべき道路あり。彼思念す、「我行くべき道路あらんも、道路を往かば我身疲憊せん。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第三の懈怠事なり。

五、諸比丘よ、また比丘あり、已に道路を行けり。彼思念す、「我已に道路を行けり、道路を往きて我身疲憊せり。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第四の懈怠事なり。

六、諸比丘よ、また比丘あり、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得ず。彼思念す、「我、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得ざりき。我身疲憊して堪任ならず。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第五の懈怠事なり。

七、諸比丘よ、また比丘あり、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得。彼思念す、「我、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得たり。我身重く堪任ならず、月満てるが如し。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第六の懈怠事なり。

八、諸比丘よ、また比丘あり、少しく病を得。彼思念す、「我、少しく病を得たり、偃臥するに相応す。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第七の懈怠事なり。

九、諸比丘よ、また比丘あり、病癒え、病癒えて未だ久しからず。彼思念す、「我、病癒え、疾癒えて未だ久しからず。我身の力羸劣にして堪任ならず。まさに偃臥すべし」と。彼、偃臥して、未得を得し、未至に至り、未証を証せんとして精励せず。諸比丘よ、これ、第八の懈怠事なり。
諸比丘よ、これ、八の懈怠事なり。

十、諸比丘よ、八の精進事あり。何をか八と為すや。

十一、諸比丘よ、此処に比丘あり、その作すべき事業あり。彼思念す、「我作すべき事業あらん。事業を作さば諸仏の教を作意せんこと易からず。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがためにあらかじめ精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第一の精進事なり。

十二、諸比丘よ、また比丘あり、已に事業を作せり。彼思念す、「我已に事業を作せり、事業を作して諸仏の教を作意するを得ざりき。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第二の精進事なり。

十三、諸比丘よ、また比丘あり、その行くべき道路あり。彼思念す、「我行くべき道路あり。道路を往かば諸仏の教を作意せんこと易からず。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがためにあらかじめ精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第三の精進事なり。

十四、諸比丘よ、また比丘あり、已に道路を行けり。彼思念す、「我已に道路を行けり、道路を往きて諸仏の教を作意するを得ざりき。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第四の精進事なり。

十五、諸比丘よ、また比丘あり、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得ず。彼思念す、「我、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得ざりき。我身軽利にして、堪任なり。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第五の精進事なり。

十六、諸比丘よ、また比丘あり、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得。彼思念す、「我、村・邑に行きて乞食するに麁妙の食の、用を満たすべきを得たり。我身の力強盛にして堪任なり。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第六の精進事なり。

十七、諸比丘よ、また比丘あり、少しく病を得。彼思念す、「我、少しく病を得たり。我病の増盛ならんことこの処あり。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがためにあらかじめ精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第七の精進事なり。

十八、諸比丘よ、また比丘あり、病癒え、病癒えて未だ久しからず。彼思念す、「我、病癒え、疾癒えて未だ久しからず。我病の還起せんことこの処あり。我、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがためにあらかじめ精励せん」と。彼、未得を得し、未至に至り、未証を証せんがために精励す。諸比丘よ、これ、第七の精進事なり。
諸比丘よ、これ、八の精進事なり。




支部経典 第八集 八十三節 根本


一、諸比丘よ、もし外道修行者、かくの如く問わん、「友よ、一切諸法は何を根本と為すや、一切諸法は何より生起するぞ、一切諸法は何より集起するや、一切諸法は何に等趣するや、一切諸法は何を上首と為すや、一切諸法は何を増上と為すや、一切諸法は何を最上と為すや、一切諸法は何を核心と為すや」と。諸比丘よ、かくの如く問わば汝等、彼外道修行者にいかに答うべきや。

二、大徳よ、我等において法は世尊を根と為し世尊を眼と為し世尊を依と為す。
大徳世尊、願わくば此所説の義を顕示したまえ、諸比丘は世尊より聞いて持せん。
諸比丘よ、しからば聴け、善く作意せよ、我説かん。
唯唯大徳よ、
と彼諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―

三、諸比丘よ、もし外道修行者、かくの如く問わん、「友よ、一切諸法は何を根本と為すや、一切諸法は何より生起するぞ、一切諸法は何より集起するや、一切諸法は何に等趣するや、一切諸法は何を上首と為すや、一切諸法は何を増上と為すや、一切諸法は何を最上と為すや、一切諸法は何を核心と為すや」と。
諸比丘よ、かくの如く問わば汝等、彼外道修行者にかくの如く答うべし、
「友よ、一切諸法は欲を根本と為す、一切諸法は思念より生起す、一切諸法は触より集起す、一切諸法は受に等趣す、一切諸法は定を上首と為す、一切諸法は念を増上と為す、一切諸法は慧を最上と為す、一切諸法は解脱を核心と為す」と。諸比丘よ、かくの如く問わば汝等、彼外道修行者にかくの如く答うべし。