増支部経典 第五集 抜粋メモ その1

支部経典 第五集 抜粋メモ


支部経典 第五集 一節


一、かくの如く我聞けり、ある時世尊は舎衛城(サーヴァッティ)の祇多(ジェータ)林の中の給孤独の園に住したまえり。そこにて世尊は比丘衆に、比丘衆よ、と呼びかけたまいき、比丘衆は、大徳よ、と世尊に答えまつれり、世尊は告げたまわく―

二、比丘衆よ、これらは有学の五力なり、何をか五とす。信力、慚力、愧力、精進力、慧力なり。
比丘衆よ、これらは有学の五力なり、故に比丘衆よ、まさにかくの如く学ぶべし―

三、我は信力なる有学力を成就せん、我は慚力なる有学力を成就せん、我は愧力なる有学力を成就せん、我は精進力なる有学力を成就せん、我は慧力なる有学力を成就せん、と。
比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし、と。



支部経典 第五集 二十五節


一、比丘衆よ、五支に摂受されたる正見には心解脱の果あり、また心解脱の果の勝利あり、また慧解脱の果あり、また慧解脱の果の勝利あり、何をか五とす。

二、比丘衆よ、世に正見あり、戒に摂受せられ、また聞に摂受せられ、また論義に摂受せられ、また止に摂受せられ、また観に摂受せらる。
比丘衆よ、これらの五支にて摂受せられたる正見は心解脱の果あり、また心解脱の果の勝利あり、また慧解脱の果あり、また慧解脱の果の勝利あり、と。


支部経典 第五集 二十八節


一、比丘衆よ、聖なる、五支ある、正定を修することを説かん、そを聞け、善く作為せよ、我説くべし、と(世尊はのたまえり)。ただ然り、大徳よ、と彼等比丘衆は世尊に答えまつれり、世尊のたまわく―比丘衆よ、何をか聖なる、五支ある、正定の修とす。

二、比丘衆よ、世に比丘あり、欲を離れ、…乃至…初静慮を具足して住す、彼は即ち離より生ずる喜楽を以てこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は離より生ずる喜楽に遍せられざるなし。

三、比丘衆よ、譬えば巧なる侍浴者、あるいは侍浴者の弟子あり、鉄器に順浴散を容れ、水を注ぎつつ捏ね(て丸となし)、その順浴丸は水を得、水を含み、水分は内外に遍ねきも漏るることなきが如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘あり、離より生ずる喜楽を以て即ちこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は離より生ずる喜楽に遍せられざるなし、比丘衆よ、これ聖なる、五支ある、正定の修の第一なり。

四、また次に比丘衆よ、比丘あり、尋伺寂静の故に…乃至…第二静慮を具足して住す、彼は即ち定より生ずる喜楽を以てこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は定より生ずる喜楽に遍せられざるなし。
五、比丘衆よ、譬えば池あり、泉湧出す、その東方に水の入る口なく、西方に水の入る口なく、北方に水の入る口なく、南方に水の入る口なく、また雲が随時に雨を降すことなし、それにもかかわらず、その池より冷なる水を噴出し、冷なる水はその池に注ぎ、周く注ぎ、充満し、周遍すべく、かの池全体は冷なる水にて遍せられざるなきが如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘あり、定より生ずる喜楽を以て即ちこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は定より生ずる喜楽に遍せられざるなし、比丘衆よ、これ聖なる、五支ある、正定の修の第二なり。

六、また次に、比丘衆よ、比丘あり、喜を離欲するが故に…乃至…第三静慮を具足して住す、彼は即ち喜を離れたる楽を以てこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は喜を離れたる楽に遍せられざるなし。

七、比丘衆よ、譬えば青蓮池、あるいは紅蓮池、あるいは白蓮池の中の、一類のあるいは青蓮、あるいは紅蓮、あるいは白蓮は、水中に生じ、水中に長じ、水より出でず、水面下に潜みて生長し、冷なる水を以てその頂より根に至るまで潤され、周く潤され、周遍し、かの青蓮、紅蓮、白蓮は冷なる水に遍せられざるなきが如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘あり、喜を離れたる楽を以て即ちこの身を潤し、周く潤し、充満し、周遍し、彼の全身は喜を離れたる楽に遍せられざるなし、比丘衆よ、これ聖なる、五支ある、正定の修の第三なり。

八、また次に、比丘衆よ、比丘あり、楽の断の故に…乃至…第四静慮を具足して住す、彼は即ち浄き潔き心を以てこの身に遍満して坐す、彼の全身は浄き潔き心に遍せられざるなし。

九、比丘衆よ、譬えば人あり、白布を以て己の頭を覆いて坐すとせんに、彼の全身は白布に遍せられざるなきが如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘あり、浄き潔き心を以て即ちこの身に遍満して坐す、彼の全身は浄き潔き心に遍せられざるなし、比丘衆よ、これ聖なる、五支ある、正定の修の第四なり。

十、また次に、比丘衆よ、比丘の観察する相を善く取り、善く作意し、慧にて善く思量し、善く覚知す。

十一、比丘衆よ、譬え余は即ち余を観察し得べく、あるいは住まえるものは坐れるものを、観察することを得べく、あるいは坐れるものは臥せるものを観察し得るが如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘の観察する相を善く取り、善く作意し、慧にて善く思量し、善く覚知す、比丘衆よ、これ聖なる、五支ある、正定の修の第五なり。
比丘衆よ、比丘ありて、かくの如く聖なる、五支ある、正定を修せる時、かくの如く多所作せる時、すべて慧にて作証すべき法を作証すべく心を引発するにその原因あらば、正しくそれに堪能なることを得。

十二、比丘衆よ、譬えば台の上に水瓶あり、水を縁(ふち)と平に完全に満してあるが如し、力ある丈夫そを傾くるときは、何時にても水は流出するならん。然り、大徳よ、(と比丘衆は答えまつれり)。正にかくの如く、比丘衆よ、比丘ありて、かくの如く聖なる、五支ある、正定を修せる時、かくの如く多所作せる時、すべて慧にて作証すべき法を作証すべく心を引発するに、その原因あらば、恒に正しくそれに堪能なることを得。

十三、比丘衆よ、譬えば平地の処に蓮池あり、四角形にして、堤を廻らし、水を縁と平に完全に満してあるが如し、力ある丈夫その堤を崩すときは、何時にても水は流出するならん。然り、大徳よ、(と比丘衆は答えまつれり)。正にかくの如く、比丘衆よ、比丘ありて、かくの如く聖なる、五支ある、正定を修せる時、かくの如く多所作せる時、すべて慧にて作証すべき法を作証すべく心を引発するに、その原因あらば、恒に正しくそれに堪能なることを得。

十四、比丘衆よ、譬えば平地の四衝道において、良馬に架せる、鞭を備えたる車ありとせん、まさに調うべき馬の御者なる巧なる騎師それに乗り、左手に靶(たずな)を執り、右手に鞭を捉り、欲する道を、欲する如くにあるいは進ませ、あるいは退かせ得る如く、正にかくの如く、比丘衆よ、比丘ありて、かくの如く聖なる、五支ある、正定を修せる時、かくの如く多所作せる時、すべて慧にて作証すべき法を作証すべく心を引発するに、その原因あらば、恒に正しくそれに堪能なることを得。

十五、彼もし、我は一にして多とならん…乃至…乃(いま)し梵世までも身を到らしめんとて、種々の種類の神通を領受せんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得。

十六、彼もし、人を超えたる天の清浄なる耳界を以て…乃至…声を聞かんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得。

十七、彼もし、心にて、他有情、他補特伽羅(プツガラ)の心を了解して…乃至…あるいは非解脱心を非解脱心と知らんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得。

十八、彼もし、譬えば一生なりとも、二生なりとも…乃至…行相と方処とを具えたる多種の宿住を随念せんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得。

十九、彼もし、人を超えたる浄き天眼にて…乃至…業に応じて生るる有情を知らんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得。

二十、彼もし、諸漏の尽くるが故に、無漏の心解脱・慧解脱を、現法において自ら証智にて作証し、具足して住せんと欲するならば、原因あらば、それぞれにおいて堪能なることを得、と。


支部経典 第五集 三十三節


一、ある時世尊はバッディヤ(城)のヂャーティヤー林に住したまえり、時にメーンダカの孫ウッガハは世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せるメーンダカの孫ウッガハは世尊に白して言さく―

二、大徳よ、願わくは世尊は明日三人と俱に我の食事を受けたまえ、と、世尊は黙然として受けたまえり、時にメーンダカの孫ウッガハは世尊の受けたまえるを知りて、座より起ち、世尊を問訊して右遶しおわりて去れり、時に世尊はその夜を過して日の前分に、内衣を被、衣を著、鉢を執り、メーンダカの孫ウッガハの家に詣りたまえり、詣りおわりて設けの席に坐したまえり、時にメーンダカの孫ウッガハは、自ら妙なる嚼食・噉食を以て世尊を満足せしめ、選択せしめたり、時にメーンダカの孫ウッガハは、食しおわりて鉢より手を離したまえる世尊の一辺に坐せり、一辺に坐せるメーンダカの孫ウッガハは世尊に白して言さく、大徳よ、我のこれらの童女は当来嫁すべきなり、大徳よ、世尊は彼等に教授したまえ、大徳よ、世尊は彼等を教誡したまえ、彼等はそれによりて長夜に利益と安楽とを得ん、と。
時に世尊は彼等童女に告げたまわく―

三、童女等よ、それがためにまさにかくの如く学ぶべし、謂く、すべて父母が利を欲し、益を希い、哀愍に縁りて憐み、嫁せしむる所の夫に対しては、我等は夙に起き、晩く寝ね、好みて業務を作さんと欲し、恒に歓ばすことをのみ行い、愛語せん、と、童女等よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。童女等よ、それがためにまさにかくの如く学ぶべし、謂く、すべて夫の重んずべきあるいは母父、あるいは沙門、婆羅門はすべて、我等は恭敬すべし、重んずべし、尊ぶべし、供養すべし、また来至せるものには座と(足を滌ぐ)水を以て供養すべし、と、童女等よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。童女等よ、それがためにまさにかくの如く学ぶべし、謂く、夫の親しき作業は、あるいは羊毛なり、あるいは綿なり、それにつきて我等は巧者となり懈らざらん、それ(を完成する)方便なる思惟を成就し、(自ら)作り、(他に)作らしむるに堪能ならん、と、童女等よ、汝らはまさにかくの如く学ぶべし。童女等よ、それがためにまさにかくの如く学ぶべし、謂く、すべて夫の親しき家内の人、あるいは奴僕、あるいは走使、あるいは被傭人の誰にても、我等は、作せるを作せりと知らん、また作さざるを作さずと知らん、また病人の強弱を知らん、また彼の(家内の人の)得べき分を頒ち与えん、と、童女等よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。童女等よ、それがためにまさにかくの如く学ぶべし、謂く、すべて夫の得べき財、あるいは穀、あるいは銀、あるいは金はすべて、我等は保護し、収蔵し、完成せしむべし、欺き、盗み、酔狂し、喪失せざらしむべし、と、童女等よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。

童女等よ、これらの五法を成就せる母邑は、身壊れ死して後、可意衆の天の同輩の中に生る、と。

何処に在りても良き妻を      恒に熾然熱心に
護り養う一切の          如意の夫をさげすまず
嫉み妬みの語(ことば)もて    なおまた夫を怒らせず
夫の尊ぶ一切の          賢智を迎えて敬重す
勇悍にして懈らず         周囲の人をよく摂し
夫の好むことを作し        蓄えたるをよく護り
夫の欲に随いて          かくふるまえる女人等は
可意と名づくる天の居る      処にすべて生まるなり、と。



支部経典 第五集 三十九節


一、比丘衆よ、父母はこれらの五処を見て族中に子の生るることを欲す、何をか五とす。

二、あるいは養われたるものはまさに我等を養うべし、あるいはまさに我等の公務を作すべし、家計はまさに久しく続くべし、まさに遺産を相続すべし、あるいはまたまさに先亡の霊に供養を献ずべし、と。

比丘衆よ、父母はこれらの五処を見て族中に子の生るることを欲す、と。

智者は五処見て子を欲す    養育受けしそのものは
あるいは我等を養わん     あるいは我等の公務を作さん
族系永く続くべし       財産を相続すべし
あるいはまさに先亡に     供物を供え献ずべし
智者はこれらの処(ことわり)を   惟(おも)いて子をば求むなり
されば正しき善人は      恩を感じて恩を知り
昔の恩を随念し        母父を養い扶け
彼等の義務を全くす      むかし受けたる恩のごと
教を守り、養える       人を養い、家系をば
断たず、信あり戒のある    子は称讃を受くるなり、と。



支部経典 第五集 四十一節


一、ある時世尊は舎衛城の祇多林の中の給孤独の園に住したまえり、時に給孤独長者は世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる給孤独長者に世尊は告げたまわく―

二、長者よ、これらは財を取得する五の因なり、何をか五とす。
長者よ、世に聖弟子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て自身を楽しましめ、強くし、正しく楽を擁護す、妻子、奴僕、使用人を楽しましめ、強くし、正しく楽を擁護す、これ財を取得する第一の因なり。

三、また次に、長者よ、聖弟子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て友同輩を楽しましめ、強くし、正しく楽を擁護す、これ財を取得する第二の因なり。

四、また次に、長者よ、聖弟子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、あるいは火、あるいは水、あるいは王、あるいは賊、あるいは相続者よりの災害なる、すべてかかる災禍ある時、財に由りて防護し、自身を幸福にす、これ財を取得する第三の因なり。

五、また次に、長者よ、聖弟子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、よく五の献供を作す、(謂く)、親族への献供、客への献供、先亡(親族)への献供、王への献供、天への献供なり、これ財を取得する第四の因なり。

六、また次に、長者よ、聖弟子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、沙門・婆羅門にして憍酔放逸を離れ、忍辱柔和に安住し、一の自己を調え、一の自己を寂(しず)め、一の自己を安泰ならしむる、すべてかかる沙門・婆羅門に、上位に昇る、天国に生るる、楽の異熟ある、能く天国の勝妙を招く施物を為す、これ財を取得する第五の因なり。
長者よ、これらは財を取得する五の因なり。

七、長者よ、財を取得するこれらの五の因を実践するかの聖弟子の財がもし減ずる時は、彼謂えらく、嗚呼、財を取得する因を我は実践せり、しかして我の財は減ず、と、かくて彼は悔ゆることなし、長者よ、財を取得するこれらの五の因を実践するかの聖弟子の財がもし増す時は、彼謂えらく、嗚呼、財を取得する因を我は実践せり、しかして我の財は増す、と、かくて彼は悔ゆることなし、両ながら悔ゆることなし、と。


財の物は受用され        我に災いあるときに
被傭扶養者皆散ず、       上位に進む布施を作し
更に五の献供をも        戒を具えて自制ある
梵行者にぞ近く居る       賢人家に住むときに
財を求めしその所求を      我は達して悼むなし
人この事を随念し        人聖法を体得し
現世に彼を人は讃む       死して歓ぶ天国で、と。



支部経典 第五集 四十三節


一、ある時、給孤独長者は世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる給孤独長者に、世尊は告げたまわく―

二、長者よ、これらの五法は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり、何をか五とす。
長者よ、寿は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり。色は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり。楽は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり。称誉は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり。天国は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり。
長者よ、これらの五法は可愛なり、可楽なり、可意なり、世の中に難得なり、長者よ、我は、これらの可愛、可楽、可意なる、世の中に難得なる五法をあるいは乞求に因り、あるいは希求に因りて獲とは説かず。

三、長者よ、もし可愛、可楽、可意なる、世の中に難得なるこれらの五法を、あるいは乞求に因り、あるいは希求に因りて獲たるならば、世の中の誰かいずれを捨つべき。長者よ、聖弟子は寿を欲して、あるいは寿を乞求し、あるいは欣楽し、あるいは寿を希求すべからず、長者よ、寿を欲する聖弟子は、能く寿を招く道を履修すべきなり、所以は、彼の履修せる能く寿を招く道は、能く寿を獲ればなり、彼は天あるいは人の寿を得。

四、長者よ、聖弟子は色を欲して、あるいは色を乞求し、あるいは欣楽し、あるいは色を希求すべからず、長者よ、色を欲する聖弟子は、能く色を招く道を履修すべきなり、所以は、彼の履修せる能く色を招く道は、能く色を獲ればなり、彼は天あるいは人の色を得。

五、長者よ、聖弟子は楽を欲して、あるいは楽を乞求し、あるいは欣楽し、あるいは楽を希求すべからず、長者よ、楽を欲する聖弟子は、能く楽を招く道を履修すべきなり、所以は、彼の履修せる能く楽を招く道は、能く楽を獲ればなり、彼は天あるいは人の楽を得。

六、長者よ、聖弟子は称誉を欲して、あるいは称誉を乞求し、あるいは欣楽し、あるいは称誉を希求すべからず、長者よ、称誉を欲する聖弟子は、能く称誉を招く道を履修すべきなり、所以は、彼の履修せる能く称誉を招く道は、能く称誉を獲ればなり、彼は天あるいは人の称誉を得。

七、長者よ、聖弟子は天国を欲して、あるいは天国を乞求し、あるいは欣楽し、あるいは天国を希求すべからず、長者よ、天国を欲する聖弟子は、能く天国(の果)を招く道を履修すべきなり、所以は、彼の履修せる能く天国(の果)を招く道は、能く天国(の果)を獲ればなり、彼は天国(の果)を得、と。

寿命と色と称と誉と      高貴の族と天国と
次ぎまた次と広大の      楽を希求する輩(ともがら)の
作福に不放逸なるを      賢き智者は称讃す、
智者は放逸ならずして     二つの利をば逮得す
現法における利と       後世に属する利とを、
利を獲るゆえに堅固者は    賢智の人と名づけらる、と。


支部経典 第五集 四十五節


一、比丘衆よ、これらの五は福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を得しむ、何をか五とす。

二、比丘衆よ、人あり、彼の衣服を比丘が受用し無量の心等持を具足して住する時は、彼に無量の福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を得しむ。
比丘衆よ、人あり、彼の飲食を比丘が受用し…。
比丘衆よ、人あり、彼の住処を比丘が受用し…。
比丘衆よ、人あり、彼の床座を比丘が受用し…。
比丘衆よ、人あり、彼の病縁薬・資具を比丘が受用、無量の心等持を具足して住するときは、彼に無量の福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を得しむ。
比丘衆よ、これらの五は福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を得しむ。

三、比丘衆よ、またこれら五の福生、善生を成就せる聖弟子の福を量ることは容易ならず、すなわち若干の福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を生ず、とは、ただ無数無量の大福聚なる数に堕するのみ。
比丘衆よ、譬えば大海の中の水は量り易からず、すなわち、あるいは若干の水の阿羅迦(アールハ)あり、あるいは若干百の水の阿羅迦あり、あるいは若干千の水の阿羅迦あり、あるいは若干百千の水の阿羅迦あり、とは、ただ無数無量の水聚なる数に堕するのみ、正にかくの如く、比丘衆よ、これらの五の福生、善生を成就せる聖弟子の福を量ることは容易ならず、すなわちこれだけの福を生じ、善を生じ、楽を引き、勝妙物を与え、楽の異熟あり、能く天国に生まれしめ、能く可愛、可欣、可意、利益、安楽を生ず、と―ただ無数無量の大福聚なる数に堕するのみ、と。

魚群集まり棲めるなる     河の大水無辺なる
宝聚の在所(ありか)、大怖畏の   海に太りて注ぐごと
かく飲食と衣と床座      施与する智者に福水流
注ぐは海に河々の       流れて注ぐ如くなり、と。



支部経典 第五集 五十一節


一、かくの如く我聞けり。ある時世尊は舎衛城の祇多林の中の給孤独の園に住したまえり、そこにて世尊は比丘衆を、比丘衆よ、と呼びたまいき、彼等比丘衆は、大徳よ、と世尊に答えまつれり、世尊告げたまわく―

二、比丘衆よ、これらの五は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ、何をか五とす。

三、比丘衆よ、欲欲は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。比丘衆よ、瞋は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。比丘衆よ、惛眠は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。比丘衆よ、掉挙は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。比丘衆よ、疑は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。
比丘衆よ、これらの五は障なり、蓋なり、心を覆蔽し、慧を衰損せしむ。

四、比丘衆よ、実にかの比丘はこれらの五の障、蓋、心を覆蔽するもの、慧を衰損せしむるものを断たずして、慧に力無く羸劣ならば、あるいは自利を知り、あるいは利他を知り、あるいは俱利を知り、あるいは人の善行よりして更に能く殊勝の聖性を作る智見を作証すべき、この処(ことわり)あることなし。

比丘衆よ、譬えば山間の川あり、遠く流れ、水勢駛く、物を漂わすが如し、人ありてもしその両側に水道の口を作らんか、かくては比丘衆よ、中央の川の流は散り、拡がり、分れて、遠く流ざるべく、水勢駛からざるべく、物を漂わさざるべし、正にかくの如く、比丘衆よ、実にかの比丘はこれらの五の障、蓋、心を覆蔽するもの、慧を衰損せしむるものを断たずして、慧に力無く羸劣ならば、あるいは自利を知り、あるいは利他を知り、あるいは俱利を知り、あるいは人の善行よりして更に能く殊勝の聖性を作る智見を作証すべき、この処あることなし。

五、比丘衆よ、実にかの比丘はこれらの五の障、蓋、心を覆蔽するもの、慧を衰損せしむるものを断ち、慧に力ある時は、あるいは自利を知るべく、あるいは利他を知るべく、あるいは俱利を知るべく、あるいは人の善行よりして更に能く殊勝の聖性を作る智見を作証すべきこの処あり。

比丘衆よ、譬えば山間の川あり、遠く流れ、水勢駛く、物を漂わすが如し、人ありてもしその両側の水道の口を塞がんか、かくては比丘衆よ、中央の川の流散らず、拡がらず、分れずして、遠く流るべく、水勢駛かるべく、物を漂わすべし、正にかくの如く、比丘衆よ、実にかの比丘はこれらの五の障、蓋、心を覆蔽するもの、慧を衰損せしむるものを断ち、慧に力ある時は、あるいは自利を知るべく、あるいは利他を知るべく、あるいは俱利を知るべく、あるいは人の善行よりして更に能く殊勝の聖性を作る智見を作証すべきこの処あり、と。