増支部経典 第九集 抜粋メモ その1

支部経典 第九集 抜粋メモ


支部経典 第九集 第五節 力


一、諸比丘よ、四力あり。何をか四と為すや。
二、慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。
諸比丘よ、何をか慧力と為すや。
三、不善法と不善の計数に入ると、善法と善の計数に入ると、有罪法と有罪の計数に入ると、無罪法と無罪の計数に入ると、黒法と黒の計数に入ると、白法と白の計数に入ると、不応習法と不応習の計数に入ると、応習法と応習の計数に入ると、非至聖法と非至聖の計数に入ると、至聖法と至聖の計数に入ると、かくの如き諸法を慧を以て善く観察し善く伺察す。諸比丘よ、これを名づけて慧力と為す。
諸比丘よ、何をか精進力と為すや。
四、不善法と不善の計数に入ると、有罪法と有罪の計数に入ると、黒法と黒の計数に入ると、不応習法と不応習の計数に入ると、非至聖法と非至聖の計数に入ると、かくの如き諸法を断ぜんが為に志欲を起し、精進し、勤勇を発し、心を摂し、精勤す。善法と善の計数に入ると、無罪法と無罪の計数に入ると、白法と白の計数に入ると、応習法と応習の計数に入ると、至聖法と至聖の計数に入ると、かくの如き諸法を獲得せんが為に志欲を起し、精進し、勤勇を発し、心を摂し、精勤す。諸比丘よ、これを名づけて精進力と為す。
諸比丘よ、何をか無罪力と為すや。
五、諸比丘よ、ここに聖弟子は無罪の身業を成就し、無罪の語業を成就し、無罪の意業を成就す。諸比丘よ、これを名づけて無罪力と為す。
諸比丘よ、何をか能摂力と為すや。
六、諸比丘よ、四摂事あり、(謂く)布施・愛語・利行・同事なり。諸比丘よ、諸の布施の中の最勝なるは法施なり。諸比丘よ、諸の愛語の中の最勝なるは、希求して傾聴するものに再三法を説くことなり。諸比丘よ、諸の利行の中の最勝なるは、不信者をして信を成就せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せしめ、破戒者をして戒を成就せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せしめ、慳貪者をして棄捨を成就せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せしめ、劣慧者をして慧を成就せしめんが為に勧導し、入らしめ、住せしめることなり。諸比丘よ、諸の同事の中の最勝なるは、預流者の預流者における同事、一来者の一来者のにおける同事、不還者の不還者における同事、阿羅漢の阿羅漢における同事なり。諸比丘よ、これを名づけて能摂力と為す。
諸比丘よ、これ、四力なり。
七、諸比丘よ、この四力を成就せる聖弟子はすでに五の怖畏を超越す。何をか五と為すや。
八、活命怖畏・名声怖畏・集会中羞耻怖畏・命終怖畏・悪趣怖畏なり。
諸比丘よ、かの聖弟子はかくの如く思択す―
九、我は活命怖畏を怖れず。いかんぞ活命怖畏を怖るべけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。劣慧者ならば活命怖畏を怖るべけん。懈怠者ならば活命怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業あらば活命怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば活命怖畏を怖るべけん。
我は不名声怖畏を怖れず。(いかんぞ不名声怖畏を怖るべけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。劣慧者ならば不名声怖畏を怖るべけん。懈怠者ならば不名声怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業あらば不名声怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば不名声怖畏を怖るべけん。)
我は集会中羞耻怖畏を怖れず。(いかんぞ集会中羞耻怖畏を怖るべけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。劣慧者ならば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。懈怠者ならば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業あらば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば集会中羞耻怖畏を怖るべけん。)
我は悪趣怖畏を怖れず。いかんぞ悪趣怖畏を怖るべけんや。我に四力あり、(謂く)慧力・精進力・無罪力・能摂力なり。劣慧者ならば悪趣怖畏を怖るべけん。懈怠者ならば悪趣怖畏を怖るべけん。有罪の身業・語業・意業あらば悪趣怖畏を怖るべけん。無能摂者ならば悪趣怖畏を怖るべけん。
諸比丘よ、この四力を成就せる聖弟子はかくの如くすでに五の怖畏を超越す。



支部経典 第九集 第六節 親近


一、ここに具寿舎利弗は諸比丘に告げて言えり―
友等諸比丘よ。
友よ。
とかの諸比丘は具寿舎利弗に応えたり。具寿舎利弗は説けり―
二、友等よ、人に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。友等よ、衣に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。友等よ、食に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。友等よ、坐臥具に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。友等よ、村落に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。友等よ、国土に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなり。
三、友等よ、人に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法増益し善法損減せん、出家せる我のもちゆるところの活命資具、衣・食・坐臥具・病薬・資具を得るに苦悩あらん、我、家を出でて出家せる本意たる沙門の義利、修習円満とならざらん」と為さば、友等よ、その人々夜分にも日分にもその人に問わずして去るべく親附すべからず。この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法増益し善法損減せん、出家せる我のもちゆるところの活命資具、衣・食・坐臥具・病薬・資具を得るに苦悩少なからん、我、家を出でて出家せる本意たる沙門の義利、修習円満とならざらん」と為さば、友等よ、その人は思択しおわりてその人に問わずして去るべく親附すべからず。この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法損減し善法増益せん、出家せる我のもちゆるところの活命資具、衣・食・坐臥具・病薬・資具を得るに苦悩あらん、我、家を出でて出家せる本意たる沙門の義利、修習円満とならん」と為さば、友等よ、その人は思択しおわりてその人に親附すべく去るべからず。この中、もしその人を知るに、「我もしこの人に親近せば不善法損減し善法増益せん、出家せる我のもちゆるところの活命資具、衣・食・坐臥具・病薬・資具を得るに苦悩少なからん、我、家を出でて出家せる本意たる沙門の義利、修習円満とならん」と為さば、友等よ、その人は思択しおわりてその人はたとい拒まるるとも尽形寿その人に親附すべく去るべからず。
友等よ、人に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。
四、友等よ、衣に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその衣を知るに、「我もしこの衣に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き衣には親附すべからず。この中、もしその衣を知るに、「我もしこの衣に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き衣には親附すべし。
友等よ、衣に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。
五、友等よ、食に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその食を知るに、「我もしこの食に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き食には親附すべからず。この中、もしその食を知るに、「我もしこの食に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き食には親附すべし。
友等よ、食に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。
六、友等よ、坐臥具に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその坐臥具を知るに、「我もしこの坐臥具に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き坐臥具には親附すべからず。この中、もしその坐臥具を知るに、「我もしこの坐臥具に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き坐臥具には親附すべし。
友等よ、坐臥具に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。
七、友等よ、村落に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその村落を知るに、「我もしこの村落に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き村落には親附すべからず。この中、もしその村落を知るに、「我もしこの村落に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き村落には親附すべし。
友等よ、村落に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。
八、友等よ、国土に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くは何に縁りてかくの如く説くや。
この中、もしその国土を知るに、「我もしこの国土に親近せば不善法増益し善法損減せん」と為さば、かくの如き国土には親附すべからず。この中、もしその国土を知るに、「我もしこの国土に親近せば不善法損減し善法増益せん」と為さば、かくの如き国土には親附すべし。
友等よ、国土に二種ありと知るべし、(謂く)親近すべきと親近すべからざるとなりとかくの如く説くはこれに縁りてかくの如く説く。



支部経典 第九集 第二十節 毘羅摩


一、ある時、世尊は舎衛城、祇樹林、給孤独園に住したまえり。時に、給孤独居士は世尊の在す処に詣れり、詣りて世尊を敬礼して一面に坐せり。一面に坐せるとき、給孤独居士に世尊は言いたまえり―
居士よ、汝の家にて布施を与うるや。
大徳よ、わが家にて布施を与う、ただし麁弊なる糠飯と酸粥なり。
二、居士よ、もしくは麁弊、もしくは殊妙の布施を与うるに、これを恭敬せずして施し、尊重せずして施し、自手よりせずして施し、投棄して施し、(果報)来るを観ぜずして施さば、その人にその布施の異熟起る毎に、広大の食受用に心傾かず、広大の衣受用に心傾かず、広大の乗受用に心傾かず、広大の五妙欲の受用に心傾かず、その子・妻・奴・走使・僕・従順ならず、傾聴せず、了解の心を致さず。何を以ての故なりや。
居士よ、かくの如くこれ、不恭敬作の業の異熟なり。
三、居士よ、もしくは麁弊、もしくは殊妙の布施を与うるに、これを恭敬して施し、尊重して施し、自手より施し、投棄せずして施し、(果報)来るを観じて施さば、その人にその布施の異熟起る毎に、広大の食受用に心傾き、広大の衣受用に心傾き、広大の乗受用に心傾き、広大の五妙欲の受用に心傾き、その子・妻・奴・走使・僕・従順にして、傾聴し、了解の心を起す。何を以ての故なりや。
居士よ、かくの如くこれ、恭敬作の業の異熟なり。
四、居士よ、昔過去の時、毘羅摩(ヴェーラーマ)名づくる婆羅門ありき。彼はかくの如き布施・大施を与えたり。(謂く)四万八千の金鉢に銀を盛満して施し、四万八千の銀鉢に金を盛満して施し、四万八千の鍮鉢に金宝を盛満して施し、四万八千の象に金の荘厳、金幢を著け、金網を以て覆いて施し、四万八千の車に師子皮・虎皮・彪皮・黄褐を具え、金の荘厳、金幢を著け、金網を以て覆いて施し、八万四千の乳牛に黄麻の繋縄と鍮の乳桶とを具えて施し、八万四千の女に摩尼の耳輪を著けて施し、八万四千の椅子の、長き山羊毛の覆、白氈の覆、花を繍せる覆、殊勝羚羊皮の覆、天蓋、両辺に赤き枕あるを施し、八万四千俱底の芻麻・僑奢耶・欽婆羅・古貝の衣を施せり。いわんや食・飲・嚼・噉・含・消をや。流出すること河川の如し。
五、居士よ、汝の意において、かの時の毘羅摩婆羅門なる異人ありてかの布施・大施を与えたりと為すや。居士よ、かくの如く見るべからず。我、かの時に毘羅摩婆羅門なりき、我、かの布施・大施を与えたり。
居士、かの布施においては一人としてまさに供養すべき者あらざりき、一人としてかの供施を浄むる者あらざりき。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、もし一人の見具足者をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、百人の見具足者をして受けしめんよりも、もし一人の一来者をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、百人の一来者をして受けしめんよりも、もし一人の不還者をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、百人の不還者をして受けしめんよりも、もし一人の阿羅漢をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、百人の阿羅漢をして受けしめんよりも、もし一人の独覚者をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、百人の独覚者をして受けしめんよりも、もし一人の如来・応供・正等覚者をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、如来・応供・正等覚者をして受けしめんよりも、もし仏を上首とせる比丘衆をして受けしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、仏を上首とせる比丘衆をして受けしめんよりも、もし四方僧のために精舎を建立せしめなば、更に大果を生ぜん。
居士よ、四方僧のために精舎を建立せしめんよりも、もし明浄心をもって仏法僧に帰依せんには、更に大果を生ぜん。
居士よ、明浄心をもって仏法僧に帰依せんよりも、もし明浄心をもって離殺生・離不与取・離邪淫・離妄語・離飲酒の学処を受けんには、更に大果を生ぜん。
居士よ、明浄心をもって離殺生・離不与取・離邪淫・離妄語・離飲酒の学処を受けんよりも、乃至牛をちしぼる頃も慈心を修習せんには、更に大果を生ぜん。
居士よ、毘羅摩婆羅門の与えし布施・大施よりも、一人の見具足者をして受けしめんよりも、百人の見具足者をして受けしめんよりも、一人の一来者をして受けしめんよりも、百人の一来者をして受けしめんよりも、一人の不還者をして受けしめんよりも、百人の不還者をして受けしめんよりも、一人の阿羅漢をして受けしめんよりも、百人の阿羅漢をして受けしめんよりも、一人の独覚者をして受けしめんよりも、百人の独覚者をして受けしめんよりも、如来・応供・正等覚者をして受けしめんよりも、仏を上首とせる比丘衆をして受けしめんよりも、四方僧のために精舎を建立せしめんよりも、明浄心をもって仏法僧に帰依せんよりも、明浄心をもって離殺生・離不与取・離邪淫・離妄語・離飲酒の学処を受けんよりも、乃至牛をちしぼる頃も慈心を修習せんよりも、弾指の頃無常想を修習せんには、更に大果を生ぜん。


支部経典 第九集 第二十三節 渇愛


一、諸比丘よ、九の、渇愛を根本とする法を説かん、聴け、善く作意せよ、我説かん。
唯々大徳よ。
とかの諸比丘は世尊に応えたり。世尊は説きたまえり―
諸比丘よ、何をか九の、渇愛を根本とする法と為すや。
二、渇愛に縁りて尋求あり、尋求に縁りて利得あり、利得に縁りて決定あり、決定に縁りて欲貪あり、欲貪に縁りて耽著あり、耽著に縁りて執著あり、執著に縁りて慳あり、慳に縁りて守護あり。守護を因として執杖・執刀・諍訟・争論・論諍・相違語・離間語・虚誑語の多くの悪不善法生ず。
諸比丘よ、これを九の、渇愛を根本とする法と為す。


支部経典 第九集 第二十五節 慧


一、諸比丘よ、もし比丘の心、慧をもって善く積習せられたる時は、「諸比丘よ、この比丘は、生すでに尽き、梵行すでに住し、所作すでに弁じ、さらに後有を受けずと知る」と言うべし。諸比丘よ、いかなるをか、比丘の心、慧をもって善く積習せられたりと為すや。
二、「わが心、貪を離したり」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、瞋を離したり」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、痴を離したり」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、有貪の法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、有瞋の法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、有痴の法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、欲有に還るの法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、色有に還るの法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。「わが心、無色有に還るの法無し」というは、心、慧をもって善く積習せられたるなり。
諸比丘よ、もし比丘の心、慧をもって善く積習せられたる時は、「諸比丘よ、この比丘は、生すでに尽き、梵行すでに住し、所作すでに弁じ、さらに後有を受けずと知る」と言うべし。



支部経典 第九集 第二十九節 嫌恨(一)


一、諸比丘よ、九の嫌恨事あり。何をか九と為すや。
二、「彼、我に不饒益を作せり」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我に不饒益を作す」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我に不饒益を作すべし」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作せり」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作す」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作すべし」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作せり」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作す」とて嫌恨を結ぶ。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作すべし」とて嫌恨を結ぶ。
諸比丘よ、これ九の嫌恨事なり。



支部経典 第九集 第三十節 嫌恨(二)


一、諸比丘よ、九の嫌恨調伏あり。何をか九と為すや。
二、「彼、我に不饒益を作せるも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我に不饒益を作すも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我に不饒益を作すべきも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作せるも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作すも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が可愛・可意の者に不饒益を作すべきも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作せるも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作すも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。「彼、我が非可愛・非可意の者に饒益を作すべきも、何ぞ利あらんや」とて嫌恨を調伏す。
諸比丘よ、これ九の嫌恨調伏なり。



支部経典 第九集 第三十四節 涅槃


一、かくの如く我聞けり。ある時、具寿舎利弗王舎城、迦蘭陀竹園に住せり。ここに具寿舎利弗は諸比丘に告げて言えり―
友等よ、この涅槃は楽なり、友等よ、この涅槃は楽なり。

二、かくの如く言えるに具寿優陀夷(ウダーイ)は具寿舎利弗に言えり―
舎利弗よ、ここには所受無きにいかんぞここに楽ありや。
友よ、ここには所受無きが故に正しくここに楽あり。
友よ、五妙欲あり。何をか五と為すや。
眼所識の可愛・可親・可意・愛色・引欲・可染なると、耳所識の可愛・可親・可意・愛色・引欲・可染なると、鼻所識の可愛・可親・可意・愛色・引欲・可染なると、舌所識の可愛・可親・可意・愛色・引欲・可染なると、身所識の可愛・可親・可意・愛色・引欲・可染なるとなり。
友よ、これ、五妙欲なり。友よ、この五妙欲に縁りて生ずる所の楽喜をば、友よ、これを名づけて欲楽と為す。

四、友よ、ここに比丘あり、諸欲を離れ、諸の不善法を離れ、有尋・有伺にして離より生じたる喜と楽とある初静慮を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし欲と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に欲と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

五、友よ、また次に、比丘あり、尋伺止息するがゆえに内浄となり、心一趣となり、無尋・無伺にして三摩地より生じたる喜と楽とある第二静慮を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし尋と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に尋と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

六、友よ、また次に、比丘あり、喜を離るがゆえに捨に住し、正念正知し、楽を身に正受し、諸の聖者の宣説するが如く捨てと念とありて楽住し、第三静慮を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし喜と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に喜と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

七、友よ、また次に、比丘あり、楽を断じ苦を断ずるが故に、及び先にすでに憂と喜と滅したるが故に、不苦不楽にして捨念清浄なる第四静慮を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし捨と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に捨と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

八、友よ、また次に、比丘あり、遍じて色想を超え、有対想を滅し、種々想を作意せざるが故に、「空は無辺なり」と空無辺処を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし色と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に色と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

九、友よ、また次に、比丘あり、遍じて空無辺処を超え、「識は無辺なり」と識無辺処を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし空無辺処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に空無辺処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

十、友よ、また次に、比丘あり、遍じて識無辺処を超え、「無所有なり」と無所有処を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし識無辺処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に識無辺処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

十一、友よ、また次に、比丘あり、遍じて無所有処を超え、非想非非想処を具足して住す。友よ、この比丘、この住によりて住するに、もし無所有処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、譬えば、安楽なる者において苦悩生じ、病を致すが如し。かくの如く、彼に無所有処と倶行する想・作意、現行せば、これ、その病なり。友よ、しかるに、病はこれ、苦なりと世尊、説きたまえり。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。

十二、友よ、また次に、比丘あり、遍じて非想非非想処を超え、想受滅を具足して住し、慧を以て観じて、諸漏尽く。友よ、この理によりて涅槃は楽なりと知るべし。