今日は、「日本人は何を考えてきたのか」というシリーズの第四集の再放送を見た。
また、この前録画しておいた、第一集も見た。
堺利彦の特集は、
http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html
あらためてとても胸を打たれた。
前に自伝は読んだけれど、今年は暇を見つけて、もっと堺利彦関連の本をいろいろ読んでみようと思った。
本当立派な人だと思うし、家族を大事にして、日常から考えていたあたりがとても良いと思う。
あと、この前あってた福沢諭吉と中江兆民の特集をビデオで見たのだけれど、
http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0108.html
ちと福沢の描き方が平板だったのではないだろいうかと思った。
ゲストの坂野先生がちゃんとフォローしてはいたし、いろいろ、貴重な映像が映った点は良かったけれど、福沢論としてはちと不満。
福沢が西洋をモデルとし、中江兆民が東洋の道徳も大事にしながら西洋文明の摂取を図った、という描かれ方をしていたが、
正確に言えば、福沢はただ西洋をモデルとしただけではなくて、宗教に関してはキリスト教をスルーして仏教を擁護していたし、列強が道理に悖る場合は断固として道義を守って闘うことを主張していた。
道理のためなら、アフリカにも恐れ入り、欧米とも戦う。それが福沢が言っていたことである。
また福沢は道徳の大切さを常に主張していて、西洋文明の根底に道徳や精神文明の要素があることを正しく見抜いていたところが特徴だった。
皮相な技術的な模倣だけでは文明は理解できないし築けないと考えていたところに福沢の真骨頂があったわけで、その点をきちんと描かないと福沢の真意はわからないのではないかと思う。
むしろ中江兆民が「策論」の中で佐久間象山とあまり変わらない東洋道徳・西洋技術論的発想を展開していた方が、古めかしく実際には無理だったのではないかという気がする。
福沢の儒教への深い絶望とその克服のための格闘の意味がわからないことには、福沢の偉大さはわからんのではなかろうか。
中江兆民も偉い人ではあったのだろうけれど、どうも兆民自身はともかく、土佐の自由党系の自由民権運動は、末端の人々は純粋だったのだろうけれど、板垣・後藤らのリーダーたちの愚かさを考えると、どうにも首をひねらざるをえない。
伊藤博文らの方がよほど現実の政治の担当能力や責任感はあったと思われる。
そう考えると、福沢の官民協調論は、当時ではやむをえない、いたって正当で妥当な議論だったと思う。
ともあれ、今日二つの番組を見ていて、あらためて福沢と堺利彦の魅力を感じた。
どういうわけか日本は「大人」と感じる人物がわりと少ない気がする。
福沢諭吉や堺利彦はその点、「大人さ」を感じる珍しい存在のような気がする。
人間、あのようでありたいものだ。
未熟な過激主義や、その反動の絶望論の、どちらでもない、健全な中庸こそ、世の中に最も資するものだろう。
それこそが、本当の勇気であり、責任なのだと思う。