増支部経典 第五集 抜粋メモ その2

支部経典 第五集 五十六節


一、ある時随一比丘あり、自の親教師の処に詣れり、詣りおわりて自の親教師に白して言さく―
大徳よ、今や我が身は倦怠し、また諸方は我に明らかならず、また(止観の)法は我に顕現せず、また惛眠は心を捉えて住し、また欣ばずして梵行を行じ、また諸法において我が疑あり、と。

二、その時、かの比丘は、かの共住の比丘を伴いて世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せるかれ比丘は世尊に白して言さく―
大徳よ、この比丘はかくの如く言えり、謂く、大徳よ、今や我が身は倦怠し、また諸方は我に明らかならず、また(止観の)法は我に顕現せず、また惛眠は心を捉えて住し、また欣ばずして梵行を行じ、また諸法において我が疑あり、と。

三、比丘よ、それはさもありなん、諸根を防護せず、食において量を知らず、覚醒を勤めず、諸善法を観察せず、初夜後夜に菩提分法の修習を怠り住するときは、身は倦怠し、諸方は彼に明かならず、また(止観の)法は彼に顕現せず、また惛眠は彼の心を捉えて住し、また欣ばずして梵行を行じ、また諸法において彼の疑あり、故に比丘よ、汝はまさにかくの如く学ぶべし―

我は諸根の門を護らん、食において量を知らん、覚醒を勤めん、諸善法を観察せん、初夜後夜に菩提分法の修習を励み住せん、と。

比丘よ、汝はまさにかくの如く学ぶべし、と。

四、その時かの比丘は、世尊のこの教授を受けて座より起ち、世尊を問訊して右遶して去れり、しかしてかれ比丘は孤独に退き、不放逸に、熾然し、身命を惜まずして住し、久しからずして、善男子等が家より非家に趣く目的たる、かの無上なる梵行の終末を、現法において自ら知了し、作証し、具足して住せり、生は尽きたり、すでに梵行に住せり、所弁をすでに弁じたり、再び現状に還ることなしと知了せり、しかしてまたかれ比丘は阿羅漢の随一となりき。
その時阿羅漢を得たるかの比丘は自の親教師の処に詣れり、詣りおわりて自の親教師に白して言さく―

五、大徳よ、今や我が身は倦怠せず、また諸方は我に明かなり、また(止観の)法は我に顕現し、また惛眠は我が心を捉えて住せず、また欣びて梵行を行じ、また諸法において我が疑あらず、と。

六、その時、かの比丘はかの共住の比丘を伴いて世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せるかれ比丘は世尊に白して言さく―
大徳よ、この比丘はかくの如く言えり、謂く、大徳よ、今や我が身は倦怠せず、また諸方は我に明かなり、また(止観の)法は我に顕現し、また惛眠は我が心を捉えて住せず、また欣びて梵行を行じ、また諸法において我が疑あらず、と。

七、比丘よ、それはさもありなん、諸根を防護し、食において量を知り、覚醒を勤め、諸善法を観察し、初夜後夜に菩提分法の修習を励みて住するときは、身は倦怠せず、諸方は彼に明かとなり、また(止観の)法は彼に顕現し、また惛眠は彼の心を捉えて住せず、また欣びて梵行を行じ、また諸法において彼の疑あらず、故に比丘よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし―

我等は諸根の門を護らん、食において量を知らん、覚醒を勤めん、諸善法を観察せん、初夜後夜に菩提分法の修習を励み住せん、と。

比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし、と。



支部経典 第五集 五十八節


一、ある時世尊は毘舎離城の大林の中の重閣講堂に住したまえり、その時世尊は日の前分時に内衣を被、鉢を執り、乞食の為に毘舎離城に入りたまえり、毘舎離城を行乞しおわり、食して後、托鉢より還り、大林の中に入り、昼の休のために、ある樹下に坐したまえり、またその時、多の栗遮毘(リッチャヴィ)童子等は箭を番えたる弓を執り、狗の群を引き連れ、大林中を右往左往し、徘徊して、世尊の一樹の下に坐したまえるを見たり、見おわりて、箭を番えたる弓を抛ち、狗の群を一辺に退け、世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて、世尊を問訊して、各々黙然として合掌を差出し、世尊に侍せり、その時、また栗遮毘の摩訶那摩(マハーナーマ)は大林中を散歩し、右往左往し、徘徊して、彼等栗遮毘童子が各々黙然として合掌を差出し、世尊に侍するを見たり、見おわりて世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に立てり、一辺に立てる栗遮毘の摩訶那摩は、優陀那(ウダーナ)を唱えて言さく―
跋祇(ヴァッジー)王万歳、跋祇王万歳、と。
摩訶那摩よ、汝は何故に、跋祇王万歳、跋祇王万歳、と、かく言うや。
大徳よ、これら栗遮毘童子は暴く、麤く、傲岸なり、家族に贈られたる進物は、あるいは甘蔗にもあれ、あるいは棗にもあれ、あるいは菓子にもあれ、あるいは飴玉にもあれ、あるいは糖菓にもあれ、すべてそれらを奪いては食い、奪いては食い、貴婦人または令嬢の背後を蹴る、この彼等は今や各々黙然として合掌を差出し、世尊に侍せり、と。
摩訶那摩よ、すべて善男子にして五法を有するものには、あるいは刹帝利灌頂王にもあれ、あるいは父祖伝来の土地を領するものにもあれ、あるいは軍の将軍にもあれ、あるいは聚落の聚落主にもあれ、あるいは民団の長にもあれ、あるいはまた、各家門中において別々に上位を占むるものにもあれ、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず、何をか五とす。

二、摩訶那摩よ、世に善男子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、父母を恭敬し、尊重し、崇敬し、供養す、されば恭敬され、尊重され、供養されたる父母は、美しき意を以て彼を、久しく生きよ、長寿を護れ、とて愍念す、摩訶那摩よ、父母に愍念されたる善男子には、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず。

三、また次に摩訶那摩よ、善男子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、妻子、奴僕、使用人を恭敬し、尊重し、崇敬し、供養す、されば恭敬され、尊重され、供養されたる妻子、奴僕、使用人は、美しき意を以て彼を、久しく生きよ、長寿を護れ、とて愍念す、摩訶那摩よ、妻子、奴僕、使用人に愍念されたる善男子には、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず。

四、また次に摩訶那摩よ、善男子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、(自己の)田地の作業を為す人に隣りて作業する人々を恭敬し、尊重し、崇敬し、供養す、されば恭敬され、尊重され、供養されたる(自己の)田地の作業を為す人に隣りて作業する人々は、美しき意を以て彼を、久しく生きよ、長寿を護れ、とて愍念す、摩訶那摩よ、(自己の)田地の作業を為す人に隣りて作業する人々に愍念されたる善男子には、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず。

五、また次に摩訶那摩よ、善男子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、あらゆる供物を受くる諸天を恭敬し、尊重し、崇敬し、供養す、されば恭敬され、尊重され、供養されたるあらゆる供物を受くる諸天は、美しき意を以て彼を、久しく生きよ、長寿を護れ、とて愍念す、摩訶那摩よ、あらゆる供物を受くる諸天に愍念されたる善男子には、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず。

六、また次に摩訶那摩よ、善男子あり、起策精励し、汗を流し、腕の力にて如法に集め、徳に由りて得たる財を以て、沙門婆羅門を恭敬し、尊重し、崇敬し、供養す、されば恭敬され、尊重され、供養されたる沙門婆羅門は、美しき意を以て彼を、久しく生きよ、長寿を護れ、とて愍念す、摩訶那摩よ、沙門婆羅門に愍念されたる善男子には、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず。

摩訶那摩よ、すべて善男子にして五法を有するものには、あるいは刹帝利灌頂王にもあれ、あるいは父祖伝来の土地を領するものにもあれ、あるいは軍の将軍にもあれ、あるいは聚落の聚落主にもあれ、あるいは民団の長にもあれ、あるいはまた、各家門中において別々に上位を占むるものにもあれ、唯だ繁栄のみを期待すべし、衰退には非ず、と。


母と父とに務為し     恒に妻子に幸与え
家庭の人とまたそれに   従う人に利益為し
両つながらに利益為す   戒を具うる賢人は
先にみまかる親属に    また現在(まのあたり)活くる人
沙門の衆や婆羅門に    または諸天に恵為し
家に住(とど)まり正義にて  歓喜の心起すなり
彼善事を作しおわり    供養さるべく、称めらるる、
現世に彼を人は称め    死しては生る天国に、と。



支部経典 第五集 七十八節


一、比丘衆よ、これらの五の未来の怖畏を見なば、比丘は未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る、何をか五とす。

二、比丘衆よ、世に比丘あり、思択して謂えらく、我は今少なく、壮く、青年に、髪黒く、美しき第一の盛年期を成就す、されど老はこの身に触るる時あらん、かくして老に制せられ衰えなば、諸仏の教を思惟すること容易ならず、林、藪、高原、辺鄙の座臥を行うこと易からず、いざ、我はかかる非愛、非楽、非可意の法が我に来る前に予じめ、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、精進を発さん、我はこの法を成就して、老衰しても安穏に住せん、と。

比丘衆よ、これ、比丘ありて未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る第一なり。

三、また次に比丘衆よ、比丘あり、思択して謂えらく、我は今病無く、悩無く、能く平等に消化する火界を具え、冷に過ぎず、暖に過ぎず、中庸にして勤行に堪う、されど病はこの身に触るる時あらん、かくして病に制せられて病みなば、諸仏の教を思惟すること容易ならず、林、藪、高原、辺鄙の座臥を行うこと易からず、いざ、我はかかる非愛、非楽、非可意の法が我に来る前に予じめ、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、精進を発さん、我はこの法を成就して、病みても安穏に住せん、と。

比丘衆よ、これ、比丘ありて未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る第二なり。

四、また次に比丘衆よ、比丘あり、思択して謂えらく、今は豊年にして、苗稼稔り、乞食得易く、遺穀を捃拾して活命すること易し、されど年凶険にして、苗稼稔らず、乞食得難く、遺穀を捃拾して活命し難き時あるべし、また凶年には人々は豊年なる地方に移転し、そこに群衆雑居す、また群衆雑居する時は、諸仏の教を思惟すること容易ならず、林、藪、高原、辺鄙の座臥を行うこと易からず、いざ、我はかかる非愛、非楽、非可意の法が我に来る前に予じめ、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、精進を発さん、我はこの法を成就して凶年にも安穏に住せん、と。

比丘衆よ、これ、比丘ありて未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る第三なり。

五、また次に比丘衆よ、比丘あり、思択して謂えらく、今や諸人は和合し、相慶し、諍わず、乳と水との如く、互に親愛の眼を以て視て住す、されど林藪擾乱の怖畏ありて、戦車に乗れる地方人は右往左往する時あり、また怖畏あらば、人々は安穏の処に移動し、そこに群集雑居す、また群衆雑居する時は、諸仏の教を思惟すること容易ならず、林、藪、高原、辺鄙の座臥を行うこと易からず、いざ、我はかかる非愛、非楽、非可意の法が我に来る前に予じめ、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、精進を発さん、我はこの法を成就して怖畏の中にも安穏に住せん、と。

比丘衆よ、これ、比丘ありて未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る第四なり。

六、また次に比丘衆よ、比丘あり、思択して謂えらく、今僧伽は和合し、相慶し、諍わず、規律を守り、安穏に住す、されど僧伽の破るる時あるべし、しかして僧伽の破れたる時は、諸仏の教を思惟すること容易ならず、林、藪、高原、辺鄙の座臥を行うこと易からず、いざ、我はかかる非愛、非楽、非可意の法が我に来る前に予じめ、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、精進を発さん、我はこの法を成就して僧伽の破れたる時にも安穏に住せん、と。

比丘衆よ、これ、比丘ありて未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る第五なり。

比丘衆よ、比丘はこれらの五の未来の怖畏を見なば、未得の得のため、未達の達のため、未証の証のために、不放逸に、熾然し、身命を惜しまずして住するに足る、と。



支部経典 第五集 百一節


一、比丘衆よ、これらの五法は能く有学の無畏を作る、何をか五とす。

二、比丘衆よ、世に比丘あり、信あり、戒を具え、多く聞き、精進を発し、慧有り、比丘衆よ、不信者に畏なるものは信者に畏ならず、故にこの法は能く有学の無畏を作る、比丘衆よ、不戒者に畏なるものは具戒者に畏ならず、故にこの法は能く有学の無畏を作る、比丘衆よ、少聞者に畏なるものは多聞者に畏ならず、故にこの法は能く有学の無畏を作る、比丘衆よ、懈怠者に畏なるものは精進を発せる者に畏ならず、故にこの法は能く有学の無畏を作る、比丘衆よ、無慧者に畏なるものは具慧者に畏ならず、故にこの法は能く有学の無畏を作る。

比丘衆よ、これらの五法は能く有学の無畏を作る、と。


支部経典 第五集 百二十三節

一、比丘衆よ、五法を成就せる病人は看護し難し、何をか五とす。
二、不適当の事を作す。適当なる事の量を知らず。薬を服用せず。治癒を欲する看病人にj実の如く病状を明かさず、即ち、あるいは増進せば増進す、と、あるいは減退せば減退す、と、あるいは停らば停る、と。発生せる身の苦受の烈しき、強き、猛き、非悦なる、非可意なる、命を奪うものを忍受せざる性なり。
比丘衆よ、五法を成就せる病人は看護し難し。
三、比丘衆よ、五法を成就せる病人は看護し易し、何をか五とす。
四、適当の事を作す。適当なる事の量を知る。薬を服用す。治癒を欲する看病人に実の如く病状を明す、即ち、あるいは増進せば増進す、と、あるいは減退せば減退す、と、あるいは停らば停る、と。発生せる身の苦受の烈しき、強き、猛き、非悦なる、非可意なる、命を奪うものを忍受する性なり。
比丘衆よ、五法を成就せる病人は看護し易し、と。


支部経典 第五集 百二十四節

一、比丘衆よ、五法を成就せる看護人は、病人を看護するに足らず、何をか五とす。
二、薬を調合する能力なし。適不適の物を知らず、不適当の物を進め、適当の物を退く。利得のために病人に侍し、慈心を有せず。あるいは大便、あるいは小便、あるいは吐瀉物、あるいは痰を除棄するを厭う。機会ある時に、病人を法話にて示現し、勧導し、讃励し、慶喜すること能わず。
比丘衆よ、これらの五法を成就せる看護人は、病人を看護するに足らず。
三、比丘衆よ、五法を成就せる看護人は、病人を看護するに足る、何をか五とす。
四、薬を調合するに堪能なり。適不適の物を知り、不適当の物を進めず、適当の物を進む。慈心を有して看病し、利得のために非ず。あるいは大便、あるいは小便、あるいは吐瀉物、あるいは痰を除棄するを厭わず。機会ある時に、病人を法話にて示現し、勧導し、讃励し、慶喜するに堪能なり。
比丘衆よ、これらの五法を成就せる看護人は、病人を看護するに足る、と。



支部経典 第五集 百二十五節

一、比丘衆よ、これらの五法は寿を損するものなり、何をか五とす。
二、不適当の事を作す、適当せる物の量を知らず、また食の不消化、また非時の遊行、また非梵行なり。
比丘衆よ、これらの五法は寿を損う。
三、比丘衆よ、これらの五法は寿を益す、何をか五とす。
四、適当の事を作す、適当せる物の量を知る、また食の消化、また応時の遊行、また梵行なり。
比丘衆よ、これらの五法は寿を益す、と。



支部経典 第五集 百二十六節

一、比丘衆よ、これらの五法は寿を損するものなり、何をか五とす。
二、不適当の事を作す、適当せる物の量を知らず、また食の不消化、また破戒、また悪友なり。
比丘衆よ、これらの五法は寿を損う。
三、比丘衆よ、これらの五法は寿を益す、何をか五とす。
四、適当の事を作す、適当せる物の量を知る、また食の消化、また戒を具う、また善友なり。
比丘衆よ、これらの五法は寿を益す、と。



支部経典 第五集 百三十節


一、比丘衆よ、これらは五喪失なり、何をか五とす。
二、親族の喪失、財産の喪失、疾病の喪失、戒の喪失、見の喪失なり、比丘衆よ、有情はあるいは親族の喪失により、あるいは財産の喪失により、あるいは疾病の喪失により、身壊れ死して後、無幸処、悪趣、険難、地獄には生れず、比丘衆よ、有情は、あるいは戒の喪失により、あるいは見の喪失により、身壊れ死して後、無幸処、悪趣、険難、地獄に生る。
比丘衆よ、これらは五喪失なり。
三、比丘衆よ、これらは五円足なり、何をか五とす。
四、親族の円足、財産の円足、無病の円足、戒の円足、見の円足なり、比丘衆よ、有情はあるいは親族の円足により、あるいは財産の円足により、あるいは無病の円足により、身壊れ死して後、善趣、天界には生れず、比丘衆よ、有情は、あるいは戒の円足により、あるいは見の円足により、身壊れ死して後、善趣、天界に生る。
比丘衆よ、これらは五円足なり。



支部経典 第五集 百三十一節


一、比丘衆よ、五支を成就せる転輪王は、ただ法によりて輪を転ず、その輪はいかなる怨敵人の手にても退転せられざるものなり、何をか五とす。
二、比丘衆よ、世に転輪王あり、義利を知り、法を知り、量を知り、時を知り、衆を知る。
比丘衆よ、これらの五支を成就せる転輪王は、ただ法によりて輪を転ず、その輪はいかなる怨敵人の手にても退転せられざるものなり。
三、比丘衆よ、正にかくの如く五法を具足せる如来・応供・正自覚者は、ただ法に由りて無上法輪を転ず、その輪はあるいは沙門、あるいは婆羅門、あるいは天、あるいは魔、あるいは梵天、あるいは世の中の何人にも退転せられざるものなり、何をか五とす。
四、比丘衆よ、世に如来・応供・正自覚者あり、義利を知り、法を知り、量を知り、時を知り、衆を知る。
比丘衆よ、これらの五法を成就せる如来・応供・正自覚者は、ただ法に由りて無上法輪を転ず、その輪はあるいは沙門、あるいは婆羅門、あるいは天、あるいは魔、あるいは梵天、あるいは世の中の何人にも退転せられざるものなり、と。



支部経典 第五集 百四十一節


一、比丘衆よ、これらの五の補特伽羅(プツガラ)ありて世に存す、何をか五とす。
二、施しおわりて軽蔑す、共住して軽蔑す、軽率に信ず、確信なし、鈍にして痴なり。
また比丘衆よ、いかなる補特伽羅が施しおわりて軽蔑するか。
三、世に補特伽羅あり、補特伽羅に衣、食、床座、治病薬及び資具を施す、彼謂えらく、我は施し、彼は受く、と、かくて施しおわりて彼を軽蔑す。
比丘衆よ、かくの如くなるが、補特伽羅ありて、施しおわりて軽蔑するなり。また比丘衆よ、いかなるが補特伽羅ありて共住して軽蔑するか。
四、比丘衆よ、世に補特伽羅あり、あるいは二年、あるいは三年補特伽羅と共住す、かくて共住して彼を軽蔑す。
比丘衆よ、かくの如くなるが、補特伽羅ありて、共住して軽蔑するなり。また比丘衆よ、いかなる比丘ありて軽率に信ずるか。
五、比丘衆よ、世に一類の補特伽羅あり、他のあるいは称讃、あるいは毀咨の語らるる時、速に彼を信認す。
比丘衆よ、かくの如くなるが、比丘ありて軽率に信ずるなり。また比丘衆よ、いかなるが補特伽羅ありて、確信なきか。
六、比丘衆よ、世に一類の補特伽羅あり、少しく信じ、少しく仰ぎ、少しく愛し、少しく歓ぶ。
比丘衆よ、かくの如くなるが、補特伽羅ありて、確信なきなり。また比丘衆よ、いかなるが補特伽羅ありて鈍にして痴なるか。
七、比丘衆よ、世に一類の補特伽羅あり、善法を知らず、有罪無罪の法を知らず、劣勝の法を知らず、黒白相対の法を知らず。
比丘衆よ、かくの如くなるが、補特伽羅ありて鈍にして痴なるなり。
比丘衆よ、これらの五の補特伽羅ありて世に存す、と。



支部経典 第五集 百五十一節


一、比丘衆よ、五法を成就せるものは、妙法を聞けども、善法において正性なる決定に入ること能わず、何をか五とす。
二、所説を軽んず、説者を軽んず、己を軽んず、散乱心を以て法を聴き、一心ならずまた非理作意す。
比丘衆よ、これらの五法を成就せるものは、妙法を聞けども、善法において正性なる決定に入ること能わず。
三、比丘衆よ、五法を成就せるものは、妙法を聞きて善法において正性なる決定に入ることを得、何をか五とす。
四、所説を軽んぜず、説者を軽んぜず、己を軽んぜず、不散乱心を以て法を聴き、一心にしてまた如理作意す。
比丘衆よ、これらの五法を成就せるものは、妙法を聞きて善法において正性なる決定に入ることを得、と。



支部経典 第五集 百五十三節


一、比丘衆よ、五法を成就せるものは、妙法を聞けども、善法において正性なる決定に入ること能わず、何をか五とす。
二、覆あり覆に纏われて法を聴く、難詰せんと惟い失を求めて法を聴く、説法者を憎み心平かならず、無慧にして鈍く口涎を流す、識らざるに識れりと思惟す。
比丘衆よ、これらの五法を成就せるものは、妙法を聞けども、善法において正性なる決定に入ること能わず。
三、比丘衆よ、五法を成就せるものは、妙法を聞きて善法において正性なる決定に入ることを得、何をか五とす。
四、覆なく覆に纏われずして法を聴く、難詰せんと惟わず失を求めずして法を聴く、説法者を憎まず心に不平なし、有慧にして鈍からず口涎を流さず、識らざるに識れりと思惟せず。
比丘衆よ、これらの五法を成就せるものは、妙法を聞きて善法において正性なる決定に入ることを得、と。



支部経典 第五集 百五十八節


一、比丘衆よ、五法を成就せる比丘は貪染に入れり、何をか五とす。
二、比丘衆よ、世に比丘あり、不信なり、無戒なり、少聞なり、懈怠なり、無慧なり。
比丘衆よ、これらの五法を成就せる比丘は貪染に入れり。
三、比丘衆よ、五法を成就せる比丘は無畏なり、何をか五とす。
四、比丘衆よ、世に比丘あり、信あり、戒を具う、多聞なり、精進を発す、慧を具う。
比丘衆よ、これらの五法を成就せる比丘は無畏なり、と。



支部経典 第五集 百五十九節


一、ある時世尊は憍賞弥の瞿私多園に住したまいき、その時具寿優陀夷(ウダーイ)は、大在家衆に囲繞せられて説法しつつ坐せり、時に具寿阿難は、具寿優陀夷が大在家衆に囲繞せられて説法しつつ坐せるを見たり、見おわりて世尊の在す処に詣れり、詣りおわりて世尊を問訊して一辺に坐せり、一辺に坐せる具寿阿難は世尊に白して言さく、
大徳よ、具寿優陀夷は大在家衆に囲繞せられて説法す、と。
阿難よ、他人に説法することは容易ならず、阿難よ、他人に説法するものは、内心に五法を浮べおわりてまさに他人に説法すべし、何をか五とす。

二、次第に説くべしと思惟してまさに他人に説法すべし、因を示して説くべしと思惟してまさに他人に説法すべし、悲愍に縁りて説くべしと思惟してまさに他人に説法すべし、財利のために説かずと思惟してまさに他人に説法すべし、自と他とを損せずして説くべしと思惟してまさに他人に説法すべし。
阿難よ、他人に説法することは容易ならず、阿難よ、他人に説法するものは、内心に五法を浮べおわりてまさに他人に説法すべし、と。


支部経典 第五集 百六十一節


一、比丘衆よ、これらの五は嫌恨を除去す、比丘の已生の嫌恨は総てこの中においてまさに除去せらるべし、何をか五とす。
二、比丘衆よ、およそ補特伽羅に対して嫌恨起らば、その補特伽羅に対してまさに慈を修すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
三、比丘衆よ、およそ補特伽羅に対して嫌恨起らば、その補特伽羅に対してまさに悲を修すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
四、比丘衆よ、およそ補特伽羅に対して嫌恨起らば、その補特伽羅に対してまさに捨を修すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
五、比丘衆よ、およそ補特伽羅に対して嫌恨起らば、その補特伽羅に対してまさに無念無作意となるべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
六、比丘衆よ、およそ補特伽羅に対して嫌恨起らば、その補特伽羅に対してまさに業は己がものなることを固く建立すべし、この具寿の業は己がものなり、業を領有す、業を起源とす、業を帰趣とす、あるいは善、あるいは悪のいずれの業を作るとも、彼はまさにその(業の)与うるものを受くべし、と、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
比丘衆よ、これらの五は嫌恨を除去す、比丘の已生の嫌恨は総てこの中においてまさに除去せらるべし、と。


支部経典 第五集 百六十二節


一、そこにおいて具寿舎利弗は比丘衆に、友比丘衆よ、と呼びかけたり、友よ、と彼等比丘衆は具寿舎利弗に答えたり、具寿舎利弗言く―
二、友よ、これらの五は嫌恨を除去す、比丘の已生の嫌恨は総てこの中においてまさに除去せらるべし、何をか五とす。
三、友よ、世に一類の補特伽羅ありて、身現行は不清浄にして、語現行は清浄なり、友よ、かくの如き補特伽羅に対する嫌恨もまさに除去せらるべし。
四、また友よ、世に一類の補特伽羅ありて、語現行は不清浄にして、身現行は清浄なり、友よ、かくの如き補特伽羅に対する嫌恨もまさに除去せらるべし。
五、また友よ、世に一類の補特伽羅ありて、身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得、友よ、かくの如き補特伽羅に対する嫌恨もまさに除去せらるべし。
六、また友よ、世に一類の補特伽羅ありて、身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得ず、友よ、かくの如き補特伽羅に対する嫌恨もまさに除去せらるべし。
七、また友よ、世に一類の補特伽羅ありて、身現行も清浄に、語現行も清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得、友よ、かくの如き補特伽羅に対する嫌恨もまさに除去せらるべし。
八、友よ、この中、いわゆる身現行は不清浄にして、語現行は清浄なる補特伽羅に対する嫌恨はいかにしてまさに除去せらるべきか。
九、友よ、たとえば糞掃衣の行を持つ比丘あり、路に在る布片を見おわりて、左の足にて踏つけ、右の足にて拡げ、その中の使用し得べき部分を裂き取りて去るが如し、正にかくの如く、友よ、いわゆる身現行は不清浄にして、語現行は清浄なる補特伽羅の、かの身現行の不清浄なるものはその時まさに作意すべからず、ただかの語現行の清浄なるものをその時まさに作意すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
十、友よ、この中、いわゆる語現行は不清浄にして、身現行は清浄なる補特伽羅に対する嫌恨はいかにしてまさに除去せらるべきか。
九、友よ、たとえば青苔や水草の滋漫せる蓮池あり、人ありて熱に悩み、熱に逼まられ、疲れ、渇き、水を欲して来り、その池に下り、青苔や水草を掻分け、水を掬して飲みおわりて去るが如し、正にかくの如く、友よ、いわゆる語現行は不清浄にして、身現行は清浄なる補特伽羅の、かの語現行の不清浄なるものはその時まさに作意すべからず、ただかの身現行の清浄なるものをその時まさに作意すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
十二、友よ、この中、いわゆる身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得る補特伽羅に対する嫌恨はいかにしてまさに除去せらるべきか。
十三、友よ、たとえばわずかなる牛跡の水あり、人ありて熱に苦しみ、熱に逼まられ、疲れ、渇き、水を欲して来り、彼惟えらく、この牛跡の水は僅なり、もし我が手にて掬い、あるいは器にて飲まば、水は動揺し、濁り、飲むべからざるものとならん、いでや我は四匐(よつばい)となりて牛の如くにして飲みて去らん、と、彼は四匐となりて牛の如くにして飲みて去るが如し、正にかくの如く、友よ、いわゆる身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得る補特伽羅の、身現行の不清浄なることもその時まさに作意すべからず、語現行の不清浄なることもその時まさに作意すべからず、ただかの随時に心の離障と、心の清浄とを得ることのみをその時まさに作意すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
十四、友よ、この中、いわゆる身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得ざる補特伽羅に対する嫌恨はいかにしてまさに除去せらるべきか。
十五、友よ、たとえば人あり、二駅の中間の道において重病に罹り、悩み、苦しみ、前の村も遠く、後の邑も遠くして、彼は適当の食を得ず、適当の薬を得ず、相当の看護者を得ず、村へ運ぶ人を得ず、(その時)随一人ありて彼が中途に在るを見、彼において悲を起し、憐を起し、愍を起して、嗚呼この人は適当の食を得よ、適当の薬を得よ、相当の看護者を得よ、村へ運ぶ人を得よ、(と謂わん)が如し、それは何故か、この人は今ここにて衰損死亡するなかれと謂えばなり、正にかくの如く、友よ、いわゆる身現行も不清浄、語現行も不清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得ざる、かくの如き補特伽羅に対しては、友よ、まさに悲を起すべし、まさに憐を起すべし、まさに愍を起すべしし、嗚呼この具寿は身悪行を断ちて身妙行を修せよ、語悪行を断ちて語妙行を修せよ、意悪行を断ちて意妙行を修せよ(と)、それは何故か、この具寿は身壊れ死して後、無幸処、悪趣、険難、地獄に堕ちざれと謂えばなり、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
十六、いわゆる身現行も清浄に、語現行も清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得るかの補特伽羅に対する嫌恨は、いかにして除去せらるべきか。
十七、友よ、譬えば蓮池あり、水澄み、水甘く、水冷に、水(波)白く、充満し、可喜にして、種々の樹にて覆わる、時に人ありて、熱に悩み、熱に逼まられ、疲れ、渇き、水を欲して来り、その池に浸り、浴し、また飲み、出でおわりてその樹陰に、あるいは坐し、あるいは臥すが如し、正にかくの如く、友よ、いわゆる身現行も清浄に、語現行も清浄にして、随時に心の離障と、心の清浄とを得るかの補特伽羅の、かの身現行の清浄もその時まさに作意すべし、またかの語現行の清浄もその時まさに作意すべし、またかの随時に心の離障と、心の清浄とを得るをもその時まさに作意すべし、かくの如くしてかの補特伽羅に対する嫌恨はまさに除去せらるべし。
友よ、これらの五は嫌恨を除去す、比丘の已生の嫌恨は総てこの中においてまさに除去せらるべし、と。


支部経典 第五集 百六十七節


一、そこにおいて具寿舎利弗は比丘衆に告げて言く、友よ、諌誨者比丘が他を諌誨せんとせば、五法を内心に想起してまさに他を諌誨すべし、何をか五とす。
二、我は時に応じて語るべく、非時にあらず、我は真実をもって語るべく、非真実をもってにあらず、我は柔軟に語るべく、麤硬にあらず、我は利益のために語るべく、無利益のためにあらず、我は慈心をもって語るべく、瞋を懐きてにあらず。
友よ、諌誨者比丘が他を諌誨せんとせば、これらの五法を内心に想起してまさに他を諌誨すべし。
三、友よ、世に一類の補特伽羅あり、非時に諌誨せられ、時に応じてにあらずして、擾動し、非真実をもって諌誨せられ、真実をもってにあらずして、擾動し、麤硬に諌誨せられ、柔軟にあらずして、擾動し、無利益に諌誨せられ、利益のためにあらずして、擾動し、瞋を懐きて諌誨せられ、慈心をもってにあらずして、擾動するを我は見る。
四、友よ、非法に諌誨せられたる比丘は、まさに五相の無追悔を起すべし、即ち、具寿が非時に諌誨せられて時に応ずるにあらずんば、彼は追悔する要なし、具寿が非真実をもって諌誨せられて真実をもってにあらずんば、彼は追悔する要なし、具寿が麤硬に諌誨せられて柔軟にあらずんば、彼は追悔する要なし、具寿が無利益に諌誨せられて利益のためにあらずんば、彼は追悔する要なし、具寿が瞋を懐きて諌誨せられて慈心をもってにあらずんば、彼は追悔する要なし、と。
友よ、非法に諌誨せられたる比丘は、まさにこれらの五相の無追悔を起すべし。
五、友よ、非法に諌誨する比丘は、まさに五相の追悔を起すべし、即ち、彼は友を非時に諌誨して時に応ずるにあらずんば、彼は追悔する要あり、彼は友を非真実をもって諌誨して真実をもってにあらずんば、彼は追悔する要あり、彼は友を麤硬に諌誨して柔軟にあらずんば、彼は追悔する要あり、彼は友を無利益に諌誨して利益のためにあらずんば、彼は追悔する要あり、彼は友を瞋を懐きて諌誨して慈心をもってにあらずんば、彼は追悔する要あり、と。
友よ、非法に諌誨する比丘は、まさにこれらの五相の無追悔を起すべし、何故に爾(しか)るか、余の比丘もまた非真実をもって諌誨して可なるものと謂わざらしむるためなり。
六、また友よ、我は時に応じて諌誨せられ、非時にあらずして、擾動し、真実をもって諌誨せられ、非真実をもってにあらずして、擾動し、柔軟に諌誨せられ、麤硬にあらずして、擾動し、利益のために諌誨せられ、無利益のためにあらずして、擾動し、慈心をもって諌誨せられ、瞋を懐きてにあらずして、擾動するを我は見る。
七、友よ、如法に諌誨せられたる比丘は、まさに五相の追悔を起すべし、即ち、具寿が時に応じて諌誨せられて非時にあらずんば、彼は追悔する要あり、具寿が真実をもって諌誨せられて非真実をもってにあらずんば、彼は追悔する要あり、具寿が柔軟に諌誨せられて麤硬にあらずんば、彼は追悔する要あり、具寿が利益のために諌誨せられて無利益のためにあらずんば、彼は追悔する要あり、具寿が慈心をもって諌誨せられて瞋を懐きてにあらずんば、彼は追悔する要あり、と。
友よ、如法に諌誨せられたる比丘は、まさにこれらの五相の追悔を起すべし。
八、友よ、如法に諌誨する比丘は、まさに五相の無追悔を起すべし、即ち、彼は友を時に応じて諌誨して非時にあらずんば、彼は追悔する要なし、彼は友を真実をもって諌誨して非真実をもってにあらずんば、彼は追悔する要なし、彼は友を柔軟に諌誨して麤硬にあらずんば、彼は追悔する要なし、彼は友を利益のために諌誨して無利益のためにあらずんば、彼は追悔する要なし、彼は友を慈心をもって諌誨して瞋を懐きてにあらずんば、彼は追悔する要なし、と。
友よ、如法に諌誨する比丘は、まさにこれらの五相の無追悔を起すべし、何故に爾(しか)るか、余の比丘もまた真実をもって諌誨して可なるものと謂わしむるためなり。
九、友よ、諌誨せられたる補特伽羅は二法中に住すべし、真実と不動となり、友よ、もし他人が我を諌誨するに、あるいは時に応じ、あるいは非時に、あるいは真実をもって、あるいは非真実をもって、あるいは柔軟に、あるいは麤硬に、あるいは利益のために、あるいは無利益に、あるいは慈心をもって、あるいは瞋を懐きてなすとも、我もまた同じく二法中に住すべし、真実と不動となり、もしこれは我が法なりと知らば、彼に告ぐべし、しかり、我にこの法あり、と、もしこれは我が法にあらずと知らば、彼に告ぐべし、しからず、我にこの法あらず、と。
十、(世尊のたまわく)、舎利弗よ、汝はかくの如く説くとも、世に一類の痴人あり恭敬して信受せず、と。
十一、大徳よ、諸の補特伽羅の、無信なる、活命のためにして信のために家より非家に趣かざる、諂侫にして、誑惑し、矯詐にして、掉挙し、傲慢、軽薄、饒舌にして、不謹慎の語を作し、根門を護らず、食において量を知らず、覚醒を努めず、沙門性を望まず、学を強く敬わず、多く蓄え、(戒行)緩慢にして、衆に雑ることを黽(つと)め、遠離を勤めず、懈怠し、精進を欠き、失念し、不正知にして、心定まらず、心迷乱し、慧無く、唖羊なり、彼等は我かくの如く説くとも恭敬して信受せず、されど大徳よ、諸の善男子の、信のために家より非家に趣ける、諂侫ならざる、誑惑せざる、矯詐ならざる、掉挙せざる、傲慢ならざる、軽薄ならざる、饒舌ならざる、不謹慎の語を作さざる、根門を護る、食において量を知る、覚醒を努むる、沙門性を望む、学を強く敬う、多く蓄えざる、(戒行の)緩慢ならず、衆に雑ることを黽(つと)めず、遠離を勤め、精進を発し、身命を惜しまず、念を現前し、正知にして、心定まり、心を一境にし、慧を有し、唖羊ならざる彼らは、我かくの如く説くを恭敬して信受す、と。
十二、舎利弗よ、諸の補特伽羅の、無信なる、活命のためにして信のために家より非家に趣かざる、諂侫にして、誑惑し、矯詐にして、掉挙し、傲慢、軽薄、饒舌にして、不謹慎の語を作し、根門を護らず、食において量を知らず、覚醒を努めず、沙門性を望まず、学を強く敬わず、多く蓄え、(戒行)緩慢にして、衆に雑ることを黽(つと)め、遠離を勤めず、懈怠し、精進を欠き、失念し、不正知にして、心定まらず、心迷乱し、慧無く、唖羊なる彼等を措け、されど舎利弗よ、諸の善男子の、信のために家より非家に趣ける、諂侫ならざる、誑惑せざる、矯詐ならざる、掉挙せざる、傲慢ならざる、軽薄ならざる、饒舌ならざる、不謹慎の語を作さざる、根門を護る、食において量を知る、覚醒を努むる、沙門性を望む、学を強く敬う、多く蓄えざる、(戒行の)緩慢ならず、衆に雑ることを黽(つと)めず、遠離を勤め、精進を発し、身命を惜しまず、念を現前し、正知にして、心定まり、心を一境にし、慧を有し、唖羊ならざる彼らに、舎利弗よ、汝は説くべし、舎利弗よ、我は同梵行者を非法より出でしめ正法に住せしめむと、同梵行者に教授せよ、舎利弗よ、同梵行者を教誨せよ。
舎利弗よ、汝はまさにかくの如く学ぶべし、と。



支部経典 第五集 百九十八節


一、比丘衆よ、五支を成就せる語は善説なり、悪説ならず、また無罪なり、また智者に訶せられず、何をか五とす。
二、応時の語、また真実の語、また柔軟の語、また利を引く語、また慈心の語なり。
比丘衆よ、これらの五支を成就せる語は善説なり、悪説ならず、また無罪なり、また智者に訶せられず、と。



支部経典 第五集 二百二節


一、比丘衆よ、これらは聴法の五利なり、何をか五とす。
二、未聞を聞く、已聞を浄む、惑を断つ、見を正しくす、彼の心は歓喜す。
比丘衆よ、これらは聴法の五利なり、と。