民主党が格別悪いとは言わないし、それほどマニフェストにこだわる必要はあんまりないとは思うけれど、一つ思うのは、政権交代をしたからといって、そうそう世の中一挙に良くなるというわけではない、ということは、この数年、しみじみ感じさせられた。
二大政党制というのは、イギリスやアメリカもそうだけれど、それほどどちらかに代わったからと言って、劇的な変化があるわけでもないものなのだろう。
政治にできることは限界があるし、世の中が変わるためには、政権交代だけでなく、さまざまな要素が必要なのだろう。
ただ、民主党への政権交代におけるマイナスやプラスや、達成成果や、掲げたことがなぜ必ずしも実現できない場合があったかは、冷静な精査が必要なのだろう。
all or nothingではなく、具体的に見ていく必要があると思う。
私見では、民主党が政権交代を果たしたものの、いまいち国民が期待するほどの変化がなかったかのように思われるのは、以下の要素が原因と思う。
一、参院の権限が強い今の国制のもとでは、いったんねじれが生じると、なかなか意思決定を円滑に進めることができず、常に野党への妥協が必要だった。
二、リーマンショックによる世界的な景気の落ち込みにより、政権交代後に大幅な税収の激減があり、当初掲げていた政策の財源がなくなった。
三、そのうえ、民主党がいまいち国家財政の仕組みをよくわかっておらず、行財政改革で簡単に捻出できると思っていたほど財政が甘くなかった。
四、与党内部で小沢派が常に反対勢力として存在し、与党内部ですら意思決定がしばしば困難で、政策の遂行に支障が生じた。
五、政権交代時の首相の鳩山さんが、心情倫理と責任倫理の区別もつかず、基地問題で自滅し、政権への信頼や威信をいきなり大きく傷つけた。
六、311の大震災や原発事故という未曾有の国難により、極めて大きな難題や課題を抱えることになり、当初想定していたさまざまなテーマに必ずしも大きなエネルギーを割く余裕がなくなった。
という六つの理由が、政権交代はしたものの、民主党がいまいちぱっとしなかった理由のように思う。
その点、菅さんや野田さんは、若干同情の余地があるかもしれない。
鳩山さんは論外として、誰がやっても、かなり難し局面ではあったろう。
また、この六つ以外にも、他にも、たとえば、霞が関の官僚が自民党時代に慣れ過ぎていて、民主党に対して非協力ないし敵対的な場合も大きく、統治が難しかったことや、マスコミのすべてではないにしても、多くのマスコミが、意図的ないし無意識的に、常に政権への攻撃と揚げ足取りを行い、ネガティブなイメージを国民に始終植えつけてきて、結果として短命政権化が自民党時代と同様強く働いたということもあげられるかもしれない。
ただ、あまりこうした意見を持つ者は全体から見れば少数派で、多数派は、単純に民主党の政治的力量の不足に政権交代後ぱっとしなかった原因を帰することと思う。
そしてそれもまた、一面の事実ではあろう。
ヴィルトゥが不足しがちなところに、フォルトゥーナの嵐が吹くと、悲惨なものである。
結局、二大政党制になれば政治が良くなるというのはあくまで幻想なのだろう。
自分の選挙区の候補者が、財政や原発や福祉や外交についてどんな意見を持っているのか、具体的によく検討し、それまでの政治行動の軌跡もよくチェックして、良い議員を選び、悪い議員を叩き落とす。
この地道な道しかない。
しかし、そうした賢明な選挙民が多数いる国でないと、選挙をしたからといって政治が良くなるとは限らない。
とりあえず現在ある政権をいろいろ不満だから倒して選挙をしたからといって、必ずしも政治が良くなる保証はなく、かえって悪くなる可能性もあることは、我々はよくよく考慮した方が良い事柄だと思う。
感情的な「民主党政権を倒せ」という意見は、自民党支持層にも小沢派支持層にもその他にも、燎原の炎のように広がっているし、それはそれでそれなりの理由はあるとは思うが、all or nothingではなく、では具体的にどこがまずかったか、どうすれば良くなるのか、日本はこれからどうしていくべきかを、同時代および後世に対するきちんとした責任感を持ったうえで、そう遠くはない次の選挙までしっかり思慮をめぐらしていくことは、この国のすべての有権者の責任の一つだと思う。