福澤諭吉の伝えたシンハラ文字の礼拝文


石河幹明が編纂したやたら分厚い『福沢諭吉伝』全四巻は、いまもって福沢諭吉の伝記としては重要な資料だと思うが、その四巻の八十一頁に、


福沢諭吉がヨーロッパに行く途中にスリランカに立ち寄った時に、その地のとても徳の高そうなお坊さんからもらったという文章の写真が載っている。
(画像参照)


これ、何が書いてあるんだろうと思い、今日、スリランカ出身の僧侶の方にお会いする機会があったのでコピーを持っていって尋ねてみた。


すると、


Namo tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa
(ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブッダッサー)
(訳:私は阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に敬礼したてまつる。)


という礼拝文がシンハラ文字で書かれているらしい。


この礼拝文は、今でもテーラワーダ仏教では頻繁に唱える基本中の基本のような文章で、もちろん私も何度も聴いたことがある文章なのだけれど、それが書いてある文章だったのだと知り、とても感銘深かった。


おそらく、シンハラ文字でこの礼拝文が伝わったのは、この福沢諭吉が持ち帰ったものが日本の歴史では最初なのではないかと思われる。


ちなみに、その教えて下さった僧侶の方によれば、これはおそらくかなり年配の偉いお坊さんが書いたものと感じられる書体だそうである。


いったいどんなお坊さんだったのだろう。
福沢諭吉はその徳の高さにとても感銘を受けて、日本の仏教はそれと比べると駄目だと思い、日本の仏教も改革すべきだと思ったそうだが、その御坊さんの名前がわかって、何かスリランカ側の記録が照合できれば、とても面白いのではないかと思う。
残念ながら名前は伝わっていないようだが、何かしら向こう側にそうした記録がないものか。


とても興味深い歴史の一幕と思う。