善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十四節

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十四節




阿弥陀如来に摂取されて浄土に往生させていただく縁」(摂生増上縁)


第三十四節


また、阿弥陀如来に摂取されて浄土に往生させていただく縁(摂生増上縁)とは何かというと、無量寿経の中の四十八願についての文章の中に以下のような意味のことが説かれています。
「仏はおっしゃいました。「もし私が仏になれるとしても、十方のあらゆる方角の生きとし生けるものが、私の国である浄土に往生したいと願い、私の名前(南無阿弥陀仏の名号)をわずか十回だけ称えるとして、私の願いの力によって、浄土に往生できないならば、私は悟りを開いて仏になることをしません。」(第十八願)と。
これは、つまり、浄土への往生を願う念仏者が命が終わろうとする時に、阿弥陀如来の本願の働きがその人を摂取して、往生させるということです。
ですので、阿弥陀如来に摂取されて浄土に往生させていただく縁(摂生増上縁)といいます。


また、この無量寿経の上巻には、以下の意味のことが述べられています。
「生きとし生けるものの中で、阿弥陀如来西方浄土に往生することができた者は、皆、阿弥陀如来の本願をはじめとした阿弥陀如来のすぐれた救いの働きを往生の縁としています。」と。
これがつまり、経典による証拠となります。
これもまた、阿弥陀如来に摂取されて浄土に往生させていただく縁(摂生増上縁)です。


また、この無量寿経の下巻の初めの方に、以下のような意味のことが述べられています。
「仏は、「あらゆる生きとし生けるものの機根や性質は異なっており、上・中・下に分かれています。その機根や性質によって、仏は、皆に専ら阿弥陀如来の名号を念仏するように勧められました。念仏する人は、命が終わろうとする時に、阿弥陀如来と浄土の聖なる方々がやって来て迎えてくださり、すべて浄土に往生させてくださいます。」」と。
これもまた、阿弥陀如来に摂取されて浄土に往生させていただく縁(摂生増上縁)です。