現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十八節

現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十八節





また、観無量寿経の中の真身観(阿弥陀如来の本当の姿の観想)には以下のような意味のことが述べられています。
釈尊は、アーナンダ尊者におっしゃいました。
「像観(阿弥陀如来の仏像の観想)が成就したならば、次にはさらに、阿弥陀如来の御身体の純粋な金色、眉間の白毫、頭部から放たれる丸い光の中の化仏たち、および阿弥陀如来の相好等から放たれる光明を観想すべきです。
ぜひともひたすらそれらを心に想い描き、心の眼を開いて阿弥陀如来の御姿を見るべきです。
もし阿弥陀如来のこの御姿を見ることができたならば、十方のあらゆる方角のすべてのさまざまな仏たちを見たことになります。
ですので、念仏三昧(仏を念じることへの集中)と呼びます。」」と。
この一文も経典の言葉による証拠になります。
これも、阿弥陀如来の三つの力が加わるために阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。


また、観無量寿経には以下の意味のことも述べられています。
釈尊はおっしゃいました。
「この理由により、智慧ある人は、一心に明らかに阿弥陀如来を観想したいと思うならば、一つの相好(身体の特徴)から観想に入りなさい。
ただ阿弥陀如来の眉間の白毫を観想し、とてもはっきりと観想するならば、八万四千の阿弥陀如来の相好は自然にすべて見ることができます。
八万四千の相好を見たならば、十方のあらゆる方角のさまざまな仏たちを見たことになります。
さまざまな仏たちが目の前で、その人に将来は必ず仏になると予言し証明してくれます。」」と。
この一文もまた経典の言葉による証拠です。
これも、阿弥陀如来の三つの力が加わるために、凡夫であっても専ら心に阿弥陀如来の御姿を想い描くことができるので、間違いなく阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。このことも阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。