善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十三節

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十三節




また、文殊般若経には以下のような意味のことが述べられています。
文殊菩薩は、釈尊に、「どのようなことを一行三昧(ひとつの行に集中する)というのでしょうか」と質問しました。
釈尊は、「もし男性や女性が、静かな場所において、さまざまな心の乱れを捨てて、仏のおられる方角に向かって身を正し、み仏の姿かたちにはこだわらず、専らみ仏の名号を称え、念々に止まることがなければ、念仏のうちにおいて過去・現在・未来の三世のさまざまな仏たちを見ます」と。
また、この経典の言葉が証拠となります。
これは、さまざまな仏たちが、実は同じ真如の慈悲から起こっており、その思いの力が加わって見させてくれるのです。
これもまた、阿弥陀如来の高度な集中力によって凡夫が阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)です。