現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十九節
また、観無量寿経の中の、観音菩薩についての観想、勢至菩薩についての観想、普観(阿弥陀如来と浄土の様子をあまねく観想すること)、雑想観(阿弥陀如来と観音・勢至がさまざまに変化することを観想すること)や、以下の九品段では以下のようなことが述べられます。
「一生の間念仏することから、七日間あるいは一日間、十回の念仏あるいは一回の念仏等に至るまで、すべて命が終わろうとする時に阿弥陀如来の御姿を見たいと願う人、あるいは、生きている間に良い導き手に出遇い、自分でもよく心や口において阿弥陀如来の名号を称え念じる人には、阿弥陀如来は浄土の聖なる方々や蓮の花の台(うてな)とともにやって来て現れてくださいます。
念仏者は、阿弥陀如来の御姿を見ますし、また浄土の聖なる方々や蓮の花の台(うてな)等を見ることでしょう。」
この経典の中の一文も証拠となります。
これも、阿弥陀如来の三つの力が加わるために阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。
ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。