現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌) 第三十節
中品下生の凡夫たちは、
(浄土への往生を願います)
父や母に親孝行し、人には誠実に生きて信頼されます、
(はかりしれない喜びよ)
臨終においてみ仏の教えに導いてくれる人に遇って、
(浄土への往生を願います)
極楽浄土の阿弥陀如来の御本願を説いてもらい、
(はかりしれない喜びよ)
その説明を聴いて、合掌して、回心して西方浄土に心を向ければ、
(浄土への往生を願います)
一回の念仏に乗じてたちまち浄土の宝の池の中に至ります、
(はかりしれない喜びよ)
百の宝石でできた蓮の花の台(うてな)の上に坐り、
(浄土への往生を願います)
四十九日間が過ぎた後に、宝石でできた蓮の花が開きます、
(はかりしれない喜びよ)
花が開くと、阿弥陀如来とガンジス河の砂の数ほどの浄土の聖なる方々の御姿を見、
(浄土への往生を願います)
一劫という長い時が経った後に、生と死の二つを離れた悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)
生と死の二つを離れた悟りとは、阿羅漢の悟りです、
(はかりしれない喜びよ)
阿羅漢は回心して、大乗に向かいます、
(はかりしれない喜びよ)
ひとたび大乗の心が起ってからは小さな心は滅して、
(浄土への往生を願います)
悟りに至るまで退くことはなくなります、
(はかりしれない喜びよ)
この理由から、天親菩薩は「浄土論」を書かれてこう説かれました、
(浄土への往生を願います)
「大乗と小乗という二つの種類の心はもはやずっと浄土においては生じません、
(はかりしれない喜びよ)
なので、浄土は、大乗善根界(大乗の善根功徳の世界)と言い、
(浄土への往生を願います)
もはやついに謗り争いや嫌い合うような過ちが絶たれています。」と、
(はかりしれない喜びよ)
大乗を学ぶ凡夫も小乗を学ぶ凡夫も、阿弥陀如来は平等に摂取して、
(浄土への往生を願います)
六道輪廻、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の苦難を避けるようにさせてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)
願って、阿弥陀如来の浄土の中に住みなさい、
(浄土への往生を願います)
生と死の二つを離れた悟りを得た人も、まだそうでない人も、どちらも心は静かです、
(はかりしれない喜びよ)
念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)
すぐに迷いの輪廻を超えてこの娑婆世界から出なさい、
(はかりしれない喜びよ)