現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第三十三節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第三十三節



下品下生の凡夫たちは、
(浄土への往生を願います)


十悪(十善戒に違反する罪)や五逆罪をことごとく行います、
(はかりしれない喜びよ)


このような愚かな人は、多くの罪を造って、
(浄土への往生を願います)


地獄を経めぐって、どれほどはかりしれない時が流れるかわかりません、
(はかりしれない喜びよ)


臨終において善く導いてくれる人(善知識)にたまたま出遇い、
(浄土への往生を願います)


その人のために仏法のすばらしいみ教えを説いてもらい、安穏にしてもらいます、
(はかりしれない喜びよ)


臨終において、身体がバラバラになるような痛みを感じる時には、なんとか痛みを耐え忍ぶこともできず、
(浄土への往生を願います)


念仏を教えて念仏させようとしてもできません、
(はかりしれない喜びよ)


念仏を教えてくれる善き友が、「ただ手を合わせて合掌し、
(浄土への往生を願います)


ただただ南無阿弥陀仏と正しく称えなさい」と、
(はかりしれない喜びよ)


声をかけ続けて十声念仏をさせると、
(浄土への往生を願います)


一声一声の念仏が五逆の罪業の障りを消し除いてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


仏法を誹謗し(謗法)、仏法を聴かず悟りを求める心がなく(一闡提)、十悪を行う人も、
(浄土への往生を願います)


回心し、念仏すれば、罪はすべて除かれます、
(はかりしれない喜びよ)


臨終で重い病に苦しんでいた人も、身体と心が目覚めて起き上がると、
(浄土への往生を願います)


眼の前に金色の蓮の花が現れています、
(はかりしれない喜びよ)


金色の蓮の花の光明がその人を照らします、
(浄土への往生を願います)


身も心も歓喜して、蓮の花の台(うてな)にのぼります、
(はかりしれない喜びよ)


花に乗ると、一回の念仏の間に阿弥陀如来の浄土に至り、
(浄土への往生を願います)


ただちに宝の池の中で阿弥陀如来の眼の前で説法を聴いている大きな集いに入ります、
(はかりしれない喜びよ)


まだ残っている罪や過ちが消えておらず、蓮の花の中に入ると花びらが閉じます、
(浄土への往生を願います)


十二劫もの長い長い時が経った後に、はじめて蓮の花が開きます、
(はかりしれない喜びよ)


蓮の花の中に坐っている時には、ほんのかすかな苦しみもありません、
(浄土への往生を願います)


色界における第三禅定の喜びを超えた喜びがあります、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


地獄に入ることから逃れて金色の蓮の花の上に坐りなさい、
(はかりしれない喜びよ)


金色の蓮の花が閉じてはかりしれない時が経とうとも、
(浄土への往生を願います)


地獄はわずかの間耐えることもできないような場所なので、はるかにましです、
(はかりしれない喜びよ)


観音菩薩勢至菩薩は慈悲の光で照らしてくださり、
(浄土への往生を願います)


徐々に仏法を説いて心を安らかにしてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


その人はめったに聴けないすばらしい教えを聞くことができて、
(浄土への往生を願います)


真理を明らかに見る智恵のまなこが大きく開きます、
(はかりしれない喜びよ)


智慧のまなこが開く時、阿弥陀如来の説法を聴きに集まっている集いを見て、
(浄土への往生を願います)


この上ない悟りを求める志を起こします、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は坐り、ある者は立ち、歩いて観察してみると、
(浄土への往生を願います)


いたるところ、ただ真理を説く声だけが聞こえます、
(はかりしれない喜びよ)


身にも心にも毛孔から真理が染み透り、悟りを得ます、
(浄土への往生を願います)


菩薩や浄土の聖なる方々が大勢満ちておられます、
(はかりしれない喜びよ)


その人は神通力を発揮して、自分からその集いに入ります、
(浄土への往生を願います)


こうなることができた原因を思い出すと、娑婆世界で教えてくださった釈尊のおかげだったことを思い出します、
(はかりしれない喜びよ)


もし釈尊が念仏を勧めてくださり、念仏させてくださるのでなかったならば、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の浄土をどのようにして見ることができたでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)


心にお香や花を念じてあまねく供養し、
(浄土への往生を願います)


はかりしれない長い長い間にもずっと、み仏の慈悲の御恩に報いなさい、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく十方あらゆる方角の迷いの輪廻の世界の方々に勧めます、
(浄土への往生を願います)


心を同じくして、悪を断ち、皆すべて浄土に来るべきです、
(はかりしれない喜びよ)


一たび常永久(とことわ)の涅槃の浄土に入ったならば、
(浄土への往生を願います)


はるか未来の果てまでも何の心配がありましょうか、ありません、
(はかりしれない喜びよ)


一声一声の念仏の間にいつも悟りを開いて、
(浄土への往生を願います)


菩薩の十地(法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の十段階)の願いと行いが自然に成就します、
(はかりしれない喜びよ)


十地のそれぞれにおける慈悲の心や生きとし生けるものを助け救うための巧みな方法のすべてを、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来を師として学ぶので、誤って悟ることなく、すべて完全に悟ります、
(はかりしれない喜びよ)