現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十節
また、観無量寿経には以下の意味のことが述べられています。
「釈尊は、アーナンダ尊者におっしゃいました。
「この経典を「極楽浄土と阿弥陀如来および観音菩薩・勢至菩薩を観想するお経」といいます。あなたはぜひともこの経典を受けて保ち、忘れないようにすべきです。
この観想の集中を実践する人は、この現在生きている身において阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩の御姿を見ることができます。」」と。
この経典の文章もまた証拠になります。
これも、阿弥陀如来の三つの力が加わり、阿弥陀如来の御姿を念じる凡夫の三つの心の力を増幅するために、阿弥陀如来の御姿を見ることができるようにまでなるのです。
凡夫の至誠心・信心・願心(真実の心・阿弥陀如来へのゆるぎない信・浄土に往生したいと願う心)が内なる原因であり、阿弥陀如来の大誓願力・三昧定力・本功徳力(阿弥陀如来の本願の力・集中の力・功徳の力)の三つの力が外からくわえられる縁です。内なる原因と外からくわえられる縁が合わさるので、阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。