2012年の二二六の日に

今日は、二二六事件があった日。


後世、二二六事件は、三島由紀夫のように熱烈に支持する一部の人と、大半は政党政治を葬り去った暴力テロ、という見方の二つに分かれることが多いようだ。


たぶん、賛美することも、無下に切って捨てることも、どちらも必ずしも妥当ではないと私は思う。
事件の被害者の側も、事件の中心となった青年将校たちも、どちらもとてもかわいそうな事件だったと思う。


当時の日本の置かれていた閉塞的な状況や、実際に困窮していた貧しい人々のために、青年将校たちはやむにやまれぬ思いで決起したのだと思う。
ただ、いかに動機が純粋であろうとも、結果としては大変に悲しい結果となったし、青年将校たちが思い描いたのは全く逆の方向に日本はかえって突き進むことになってしまった。


高橋是清渡辺錠太郎など、この人が生きていれば、という人物が事件で殺されてしまったことも、結果としては日本にとって多大な損失だったと思う。
六発の銃弾を撃ち込まれながら奇跡的に鈴木貫太郎が一命をとりとめたのは不幸中の幸いで、もし鈴木貫太郎までこの時に死んでいたら、日本はその後一体どうなっていたのかと本当に思われる。


ただ、私が昔読んでいて、とても印象に残っているのは、青年将校たちに殺されかかった鈴木貫太郎も、その妻の足立タカも、回想録の中で、決して青年将校たちを一言も悪く書いておらず、とても礼儀正しく立派な態度だった、と述べていたことだった。
鈴木貫太郎夫婦の懐の広さや人間的な大きさということもあるのかもしれないが、実際に青年将校たちは礼儀正しく、おそらく一点も私怨や個人的な濁った感情がなく、あくまで国家のためを思って動いていたことが、実際に伝わったのだろうと思う。


後世の我々があの事件を思う時に、はたして青年将校たちほどの国を愛し、国を思う気持ちを自分は持っているのか、また同様に、高橋是清鈴木貫太郎たちほど国を愛し、国を思う気持ちを持っているのか、そのことに我が身を省みて衿を正すことがなければ、到底この事件を論じることはできないような気もする。


政党政治というのは、時にあまりにもテンポが遅く、腐敗して堕落しているように見える場合がある。
しかし、一挙に暴力で解決しようとしても、決して良い方向には進まない。
むしろ、そういう時こそ、議会やデモクラシーを通じて、地道に一歩一歩解決を図らなければならない。


しかし、あまりにも政治が貧困である場合、場合によっては大変な悲しい出来事も起りうる。
できうる限り、政党政治というものは、命がけで常日頃から問題の解決や国家百年の計に努力しなければならない。


昭和初期の政党政治の失敗という苦い教訓をはたして後世の我々はどれほどしっかりと学び、活かすことができているのか。
二二六の日には、あらためてそんなことを考えさせられる。