二二六の日に

今日は、二二六事件があった日。

二二六事件は、思うと胸が痛む。
殺害された重臣たちも気の毒だったし、青年将校たちも哀れだった。

二二六で、渡辺錠太郎高橋是清が殺害されたのはあまりにも惜しかったと思う。
鈴木貫太郎も間一髪で死なずに済んだが、もし鈴木まであの時に殺害されていたら、終戦できずに日本が破滅していた危険性もなきにしもあらずと思う。

以前、鈴木貫太郎と妻の手記を読んで、鈴木貫太郎を二二六の日に襲撃して銃弾を撃ち込んだ安藤輝三大尉らに対し、一言も悪口も恨みも言わず、むしろ極めて礼儀正しかったと書いてあるのを読み、その武士道精神に驚いたことがある。
安藤も、鈴木の妻が重傷の鈴木をかばった時に、敬礼して去ったという。

二二六の頃は、重臣たちも、青年将校たちも、国を思う気持ちでは本当に真剣なものがあったんだろうと思う。
命がけで政治に携わっていたし、また政治を憂いて変えようとしていたのだろう。

三島由紀夫のように無邪気に二二六の青年将校を賛美する気にはなれないが、かといって単純に断罪する気にもなれない。
また、重臣たちも、単に腐敗した無能な指導者と断罪する気にはなれない。
どちらも気の毒だったとは思う。
歴史というのは、どうにもならぬ悲しさを持ったものだと思う。

ただ、世の中を一挙に変えようとしても、うまくはいかないということを、二二六を見ても、さかのぼって竹橋事件天誅組などを見ても、思わざるを得ない。
やはり、迂遠なようだけれど、世の中を変えるには現実の複雑さに耐えつつ、一歩一歩地道に少しずつ変えるしかないのだろう。

そして、その迂遠な道は、本当にとても真剣にやらなければならないのだと思う。