「二二六事件青年将校 安田優と 兄・薫の遺稿」

二・二六事件青年将校安田優と兄・薫の遺稿

二・二六事件青年将校安田優と兄・薫の遺稿

先日、ETV・こころの時代の渡辺和子さんの特集の時に、二二六の青年将校の安田優少尉についてもその弟さんの御話など詳しくあり、それがきっかけで、この本を取り寄せて読んでみた。

安田優少尉の日記や書簡、学校での作文や、同級生や知人ののちの回想記などが収録されており、なんといえばいいのだろうか、いろいろと考えさせられる貴重な資料集だった。

二十四歳で死刑だったので、本当にまだ若かったにもかかわらず、文章はとても大人びた漢文調の文章をいくつか残しており、戦前の日本人の教養や文章力は今とはずいぶん違うものだとあらためて思わされた。

二二六事件が失敗し、獄中で書いた回想の文章(「序道」〜「殉道」)も、簡潔に自分の人生を詩のような口調でまとめてあり、胸を打たれるものがあった。

政治や財閥の腐敗を憤り、貧しい人々の窮状に胸を痛めていた様子も、それらの文章から伝わってきた。
大陸に勤務していた時は、たまたま知った同じ故郷出身の芸者に、自分の月給のほとんどを長期間にわたって渡して熱心に帰国するように勧め、しかも終始清い間柄だったという話が、当時を知る人の回想の文章に書かれてあったのを読んで、本当に優しい純粋な人だったんだろうなぁと思った。
颯爽とした様子も、文章の間から浮かび上がってきた。

しかし、二二六事件に関しては、いささか短慮に過ぎたと、この本を読みながらも思えてならなかった。
当時の貧富の格差や政治の機能不全に憤るのは良いとして、「天剣」、つまり軍事クーデターによって一撃を与えれば問題が一挙に解決できるという考え方は、あまりにも短慮に過ぎたのではないか。
そこまで思いつめ、追い詰められていたのかもしれないし、当時の時代状況を知らない後世の人間が一概には裁くことはできないのかもしれないが、二二六の青年将校たちの思惑とは全く別の方向のその後の事態が推移したことも考えると、やはり短慮であったと思えてならない。

もっと言えば、政治教育、今の言葉で言えば、「シティズンシップ教育」の欠如が、二二六事件の悲劇の原因だったように思う。
暴力に訴えることなく、社会を変えるためには、どうすればいいのか、その効果的な働きかけの仕方やセンスや知性を磨くための教育が、戦前の日本にはあまりにも欠如していたのではないかと思う(それは今の日本もかもしれないが)。
特に、軍人の教育においては、それらが欠如し、短絡的な暴力に不平不満が結びついてしまったように思う。
そのことは、安田少尉をはじめとした青年将校自身たちにとって、また渡辺錠太郎陸軍教育総監をはじめとして暗殺された人々とその遺族にとって、あまりにも悲劇的な結果を生じたと思う。

今の日本人が失ってしまったような、本当に純粋で姿勢の正しい、そういった精神と、一方であまりにも幼稚だった政治的知性や政治教育のあり方と、その両方について、深く考えさせられる。

あと、この本を読んでいて、二二六事件が起こる何年も前の、安田少尉が弟にあてた書簡が、なぜかとても心に残った。


「「弟にあたふる」

人生は奇跡に満つ。いたずらに自己を卑下するなかれ。
奇跡は愚人をして賢人たらしめ、君子をして俗人たらしむ。
しかも人の求めて必ず得らるべきもの。
これ、人生の奇跡とはいう。
人生回転の機は、けだし機微の間に存すればなり。
この機微たるや、博学識賢の士のみよくこれを把握す。
ゆえに、人は学を博め識を進めざるべからず。
しからば、必ずや人生回転の機微を求むるを得べし。
勉めざるべからず。励まざるべからず。
人にたよらず己が心をもって己の依頼者たらしめざるべからず。
天のあたえる才また恃むに足らず。
聞かずや、少年の才は愚にしかざるを。
勉めよ、しからば必ず与えられむ。

昭和八年を迎うるの日。

尚どの   安田優 (昭和七年十二月二十六日配達)」(171頁)


この文章は、二二六事件の三年ほど前だから、安田少尉は二十歳か二十一ぐらいだったろうに、どのようなつもりや思いで書いたのか、なんとも不思議な文章だと思う。

「人生は奇跡に満つ。いたずらに自己を卑下するなかれ。」

これは、なんとも、長く人生を生きた賢者がいうような言葉ではなかろうかと思った。

それでは、安田少尉に奇跡はあったのかというと、若くして死刑となり、なんらの奇跡も救いもなかったように一見思えるけれど、実は、ある種の奇跡はあったのではないかとも思える。

「はるけかり久遠の光り 青空の清き心に我へるかな
 かく余の心境はすめり。」(196頁)

と死刑を前にした獄中で記した「離世録」には記されているし、

「絶筆」には、

「某 閉眼せば賀茂川に投じて魚にあたうべし」と
南無阿弥陀仏に帰依し奉る。」(204頁)

と記してある。
この賀茂川の故事は、もちろん親鸞を踏まえてあるのは間違いない。

死を目前にして、なんらかの宗教的な救済が与えられたという意味では、それは奇跡だったのかもしれない。
そして、先にあげた奇跡についての手紙は、若いのに、なぜか宗教的救済について述べられている文章だと、読んでいて思えてならない。

おそらくは、絶筆にあるように、仏教・念仏に帰依して安心立命を得ていたようだけれど、獄中の文章には、キリストの十字架についての言及もある。(185頁)

獄中での文章の中には、自分は地獄に行くということもいくつか記されてあり、さまざまな思いや考えがあったのだとは思う。

安田少尉が宗教的救済にあずかったのか、あるいはそうではなかったのか、断片の文章からだけでは私には正直本当のところはよくわからない。
しかし、ただひとつ言えることは、これほどに八十年以上経っても、熱心にその文章を集めて書籍を刊行した弟さんがいたというだけで、どれほど家族から愛されていたか、また家族を愛していたかということは、間違いなく言えることのように読んでいて思われた。
それは、非常に稀有なことなのではないか。

そして、その弟さんの安田善三郎氏が、この本のあとがきにもあるように、また、先日、ETVのこころの時代の特集にもあったように、安田優少尉が殺害した渡辺錠太郎教育総監の娘の渡辺和子さんと、言葉を交わし心を通わせて和解しているということは、本当に奇跡としか思えないことである。

二二六事件のひとつの資料として、また、政治教育がいかにあるべきかを考えるための貴重なひとつの資料として、この本は、手にとる機会があって良かったと本当に思う。

なお、同書には、安田優・善三郎氏の兄で左翼運動に関係した安田薫氏の遺稿も収録されているが、まだきちんと読むことが出来ていないので、こちらもいずれきちんと目を通したいと思う。