雑感 二二六について

ネットをたまたま見ていたら、阿南惟幾が、当時陸軍幼年学校の生徒に、二二六事件を批判した訓話という文章が載っていた。

阿南惟幾の二二六事件批判
http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum69.htm

現代語訳はこちら。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1399.html

たしかに、もっともな指摘も多く、よくわかる気もする。

たぶん、二二六事件の青年将校を批判するならば、阿南のような、あるいは他の、もっともな合理的な、良識的な、指摘はいくらでもできるのだと思う。
たぶん、それが正しいのだろう。
二二六は、罪深いことでもあったのだと思う。

だが、いかに方法が間違えており、短慮で、罪深い行為であったとしても、後世の私たちが忘れてならないのは、二二六事件の青年将校の、彼らなりの、純粋な国や社会や同時代の苦しんでいる人々への深い愛だったのだと思う。

だから免罪されるとは言わないし、だからこそ短慮が惜しまれるとしても、その愛情の深さや尊さは、やはり忘れてはならないし、後世の人間は、ある種の痛みや愛惜とともに、思い出すべきなのではないだろうか。

少なくとも、自己責任論や、自分だけが生き残り、立身出世すれば良いという、適者生存・競争社会の考え方よりは、農村の荒廃や貧窮にやむにやまれぬ気持になった青年将校たちは、私は人間として大事な心があったと思う。

しかしながら、だんだんと、そういう心はもはや蒸発してしまい、合法や遵法や常識ばかりの、そして人のことよりも己のことという、索漠とした、冷たい社会や歴史というものが、これから積み重なっていくのかもしれない。
昭和は本当に遠くなってしまったのだろう。

できれば、熱い、深い愛情を持ちつつ、短慮ではない、責任倫理に基づいた慎慮があって、世の中を地道に平和的な方法で良く変えていくことができれば、それが一番いいのだろうけれど、人はなんと熱い心と冷たい頭脳を両立させることが難しいことか。

阿南は、おそらくは、当時の陸軍の中では、本当に私心のない、立派な人だったと思う。
二二六批判も、基本的には、良識的なものだと思う。
しかし、阿南は、陸軍大臣として、敗戦の日に責任を負って自決する時に、どこで日本は間違えたのか、どこで変えるべきだったのか、そういうことは考えなかったのだろうか。
阿南のように私心なく、良識的に、組織の中で、遵法精神と合法性に貫かれた非の打ちどころのない生き方をする人ばかりだったら、二二六事件は起こらなかったかもしれない。
しかし、そういう人々ばかりだったために、敗戦も回避できなかったのではないか。

時代の呻きや苦しみに、とても繊細に、敏感に反応し、自前で農地改革や財閥解体をあの時期にやろうとして、果たせずに死んでいった二二六の青年将校たちは、阿南達に比べて、時の法律には違反した不法の存在だったかもしれないが、時代を先取りしたものだったとも言えるのではないか。

難しい問題ではあるが、どうもそのようなことを考え込まざるを得ない。