- 作者: 不破哲三
- 出版社/メーカー: 新日本出版社
- 発売日: 2008/07
- メディア: 単行本
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だいぶ前に読んだ本。
不破さんの本なので、良くも悪くも、思いっきり共産党から見た小林多喜二なのだが、なかなか面白かった。
興味深かったのは、小林多喜二は、創作にあたって、以下の三つのことを特に強く意識していたという指摘。
一、「時代を概括した、時代に透明した」小説を書きたい、ということ。
一、人物の性格を、諸事情の中で「発展するもの」として書くこと。
一、 諸事件をその断面だけでとらえるのでなく、弾圧や失敗に屈せずに立ち上がる連続的な流れとして描きたい、ということ。
なるほどーっと思った。
また、小林多喜二は、特にバルザックとディケンズとショーロホフを好んでいたということも興味深かった。
「大河の悠(ゆる)やかな流れのような」長編小説を書きたいと多喜二はずっと念願していたそうだ。
実際は、あまりにも若くして非業の死を遂げたため、その念願は十分な完成を見ることはできなかったのだけれど、心ひかれるエピソードである。
多喜二のいろんな中小編小説を長編にやがてまとめあげるつもりだったとして見るべきと不破さんは言う。
そういう視点も大事かもしれない。
また、そうした念願を、後世の人間が受けとめて、引き継いでいくという営みも、大事なのかもしれない。
不破さんが言うには、小林多喜二の文学の特徴は、
・ 日本資本主義の典型的な諸関係や状況に迫っている。
・ 人民の苦悩をとらえた革命的気迫
・ 労働者階級と人民の闘争、科学的社会主義の党を描く
といったところにあるらしい。
良くも悪くも共産党的な表現だけれど、要するに、今の経済システムのもとでの人間関係をリアルに描き、庶民の苦しみや悩みをとらえようと気迫をもって文学に臨み、庶民や勤労者の生活や社会運動の様子、共産党の姿を描いた、ということが、小林多喜二の特徴ということなのだろう。
共産党に限らず、自民党や公明党や民主党の様子を、小説に描いてみたら、それはそれで面白いかもしれないし、多喜二が志したような、社会的な諸関係や状況をとらえて描く小説というのは、今日でも本当はとてもニーズのあることなのかもしれない。
小林多喜二は、政治と文学を分離して考える「敗北主義」を批判して、社会変革と文学は不可分という態度だったらしい。
それについては、いろんな考え方があるのかもしれないが、魅力的な考え方だとは思う。
小林多喜二が、反戦運動を描く小説の中で、必ず愛情問題や女性問題を小説にとりあげているという指摘も興味深かった。
小林多喜二について違う切り口でとらえるにしろ、あるいは参考にするにしろ、面白い一冊なのではないかと思った。