現代語私訳『福翁百話』 第九十一章 「人間における出来事は難しいものだと覚悟すべきです」
人間の社会における物事は、すべて交互に交換するという原則に基づいており、苦痛や快楽や労働や安逸は相互に関係しあっていることが決まっています。
毎朝早く起き、寒さや暑さや雨風も厭わずに労働し働くことはとてもきついことですが、その苦痛の代わりに朝の食事は特においしいと感じるものです。
深夜まで酒を飲むのは楽しいといえば楽しいかもしれませんが、翌朝の二日酔いは言葉には言いあらわせない苦痛です。
若い時に苦労して勉強するのは苦しいことですが、年をとってから知識もなく文字も読めない不自由さや世間における肩身の狭さは、苦労して勉強する苦しみよりもはるかに苦しいものです。
働き盛りの年頃において、いろんな旺盛な欲望や欲求を控えて、よく注意して家庭生活や社会生活を行うのは、人に語ることができないぐらい苦痛も多いことでしょうが、年をとってから心に一点の曇りもなく晴れ晴れとした心境であることの喜びは、若い時の苦労を償ってあまりあるものでしょう。
ですので、人間が生きていく上での道のりは、多くのつらいことや苦労があるものであり、辛いことや苦しいことを切り抜けていくことはとても難しいことですが、世の中の人はともすればなぜ難しくなるかという理由に気付かず、あらゆることを簡単に考えて安易に世の中を渡っていこうとする人が多いようです。
学生は学問を簡単なものと思い、実務にあたっている人は実務を簡単に考え、本来逃れることができない苦労を苦労せずに、ちょうど苦労を軽蔑したりしています。
そのような態度では、怠慢の心が生じざるを得ない状況になります。
つまり、このことが、学業が成就しない理由であり、実務が達成されない理由です。
人間が生きていく上での物事の難しさや大変さは文明の世界においては決まっていることであり、ひとつとして簡単で安易なものはないことでしょう。
召使いやメイドの仕事も心をこめて働くならば決して簡単なものではありません。
昔、豊臣秀吉が木下藤吉郎と呼ばれていた頃、織田信長の馬の世話係に雇われて、主人の信長を満足させるほどの働きをしていましたが、その当時は秀吉も馬の世話係の仕事を決して簡単なことではない大事なことだとして勤めていたことでしょう。
ましてや馬の世話係以上の仕事に対しては、言うまでもないことです。
書類を模写する係、書記係、会計係などの小さな仕事から、局長、総裁といった大きな役職に至るまで、ひとつとして難しくないものはありません。
もしも、これは簡単なことだと言うものがいるならば、本当はその仕事が簡単なのではなく、ただその仕事に当たっている人が怠慢で仕事をおざなりにしていて、自分で苦労するべきことを苦労していないために簡単に感じているだけのことです。
現に、今日、行政や企業の事務の仕事、あるいは個人の家において、作業が行き届いていないと言われるものはすべて、必ずしもその仕事をしている人が才能がないわけではないのです。
才能ある人がたくさんいると呼ばれるところであっても、仕事を軽視して注意を怠っているために失敗する場合が多いことを観察すべきです。
こうしたことから考えるならば、鋭敏な才気ある人よりも、むしろ根気強い努力家の方が頼もしいと言いたくなります。
それだけでなく、仕事を怠って暇をつくることは、さまざまな欲望や煩悩が発生するきっかけとなるものであり、ただその仕事がうまくいかないだけでなく、暇であるがために大きな弊害が起こることもあることでしょう。
暇でいると悪いことをするというのはただつまらない人間だけに限ったことではありません。
忙しく働いていると自称している人が、しばしば夜を徹して酒を飲んだり、ひどい場合は風俗嬢に戯れて女遊びをするような、忙しく働いている人にはあるまじき振る舞いをして平気でいます。
これは、忙しい中にも暇を見出す、などということではなく、本当は各自の本来の仕事を怠りなおざりにして肉欲に耽っているものです。
結局のところ、人が生きていく道のりの難しさや苦しさを知らず、物事を簡単に軽く見ているという罪です。
人間の社会の構造や組織も、何かと何かを交換するという原則に間違いなく基づいてることを考えれば、そうした人々の行く末は簡単に占えることで憐れむべきものです。