現代語私訳『福翁百話』 第八十八章 「昔の人が必ずしも卓越しているわけではありません」

現代語私訳『福翁百話』 第八十八章 「昔の人が必ずしも卓越しているわけではありません」




六十、七十歳以上のお年寄りは身体が丈夫で、起きるのも生活するのも何の不自由もない人が多いので、世の中の人は、昔の人は特別なもので、とても今の人は及ばないなどと言って、あたかも不思議なもののように言いはやすことがよくあります。
しかし、これは別に不思議なことではありません。
もともと、そういう老人は生まれつき遺伝で身体が丈夫であり、かつ摂生の方法も適切であるために、同年代の人々が先に死んだあとに生き残っている存在だからです。


年をとっても丈夫というわけではなく、丈夫だからこそ長生きしている存在なわけです。
今年今月産まれた子どもは日本中に何万人といることでしょう。
将来、六十、七十年が過ぎてから、その時のお年寄りを調べてみるならば、不思議なほど丈夫なお年寄りが見いだされることは、今から確かに保証できることです。


こうした類の話は世の中に珍しくありません。
昔の力士は強くて、今の相撲は見るに堪えないとか、昔の芝居は名人が多くて今の役者は拙いだとか、昔の詩歌はすばらしい詩句が多くて今の人のものは詩歌の体を成していないだとか、今と昔を比較して過ぎ去った昔を慕うのは人間の心情としていつものことです。
ですが、いまだかつてその証拠を見ることができないものであり、困ったものです。
百年前の力士の小野川や谷川は力が強かったのでしょうけれど、今の時代の陣幕梅ヶ谷と比べてはたしてそんなに違いがあるのでしょうか、証拠がないので断定することが難しいものです。
また、芝居において、先代の市川団十郎尾上菊五郎は名優だったことは間違いないことなのでしょうけれど、今の団十郎菊五郎と比較した場合、明白に巧い下手と言うことはできないものです。
それだけでなく、今の梨園には、団十郎菊五郎市川左団次を名優として、その他には役者がいないような状態ですが、この三人が年老いて去るならば、すぐに第二の名優が出現することは簡単なことです。
今現在も本当はそうした存在があるのですが、ただ老優のために遮られて、その光を放つことができていないだけです。
また、昔の詩歌にすばらしい句が多いと言うのは、昔から何百年何千年という間に、何百何千何万という詩人や歌人が限りなく無数の詩句を詠んで、玉石混交、むしろ下手なものの方が多い中で、その中でも粋の粋、最もすばらしいものを選んで抜き出して、のちの世が記憶しているものを、古い時代の詩や歌としているわけで、そのために素晴らしい作品ばかりあるのは当たり前です。
大多数の下手な詩は忘れられて、ごく少数の巧いもののみ残っているのです。
平均数から見れば、昔の人が必ずしも素晴らしい作品をつくっていたわけではありません。
明治の今の時代の作品であっても、今から千年の後に伝わるものは、きっと絶妙に素晴らしいものばかりで、のちの時代の人を感服させることだろうとひとりで確信しています。


そうはいっても、相撲や芝居や詩歌などは、もともと人の感情や心に訴えるものであり、人それぞれの好みもあることでしょう。
ですので、昔と今と、老いと若きと、どちらが巧いとか下手とか言うのは、これは水掛け論ということでしばらく脇に置いておくこととしましょう。
ですが、ある事柄については、のちの時代の人の技術や力量は昔の時代の人をはるかにしのいでいくという事実について、のっぴきならない証拠こそあることでしょう。
つまり、将棋の道がそれです。
日本の将棋の開祖は大橋宗桂と言われており、織田信長に仕えて当時は卓越した将棋の名人だったわけですが、初代の宗桂が死んだ後は、将棋はだんだんと進歩しており、五代目の宗桂は初代に優っており、十代目は五代目よりも強いものです。
また、大橋家の支流に大橋宗英という人物がいて、将棋の世界の神様と呼ばれ、自ら将棋の定跡をつくり将棋の道の奥義を示し、二代目宗英(柳行きとも言います)もまた名人であり初代にひけをとらず、このようにだんだんと進歩して、もはやこの道の極みかと思うと、さらに江戸末期の弘化・嘉永の頃になると、天野宗歩が現れたことこそ将棋の道に新たな画期をなしたものでしょう。
宗歩はかつて二代目の宗英に学んだ人ですが、青は藍より出でて藍よりも青し、新機軸を打ち出しはるかに抜きんでて、当時の天下に敵がいないだけでなく、さらに進んで自分より前の人が定めた定跡を廃止し、自ら後世の模範となって新しい方式を編み出しましたが、その神技や絶妙な指し方は人の意表に出るものが多くて、初心者の勉強にはかえって難しすぎると言われています。


というわけで、宗英、柳雪、宗歩は将棋の世界の三傑であり、宗歩は三傑の中でも最もすごい人物です。
ですので、もし、将棋の世界におけるのちの時代の人を、開祖の宗桂を尊び崇めさせて、儒教における昔の学者に対するような、あるいは仏教において各宗派の宗派を開いた上人に対するような状態にさせたとしても、仮に三百年前の宗桂を甦らせて宗歩と闘わせるならば、勝利は必ずのちの時代の人物である宗歩に帰し、さすがの開祖も顔色を失うことでしょう。
その事情は、のちの時代の学者が昔の時代の学者と議論し、のちの時代の小僧さんがその宗派を開いた上人と問答して、千年の間行われたてきた崇拝や信仰をひっくり返すのと同じようなものでしょう。
今、それらがそのようでないのは、どうしてでしょうか。
将棋においては、昔の人の戦いの記録を棋譜として記録しており、将棋の駒の一進一退によってその作戦を行った人の巧い下手を見ることができ、そのためにのちの時代の将棋をさす人は、ただ昔の戦局がどうだったかを批評するだけであり、その人が誰かを問わず、本家も分家もなく、開祖も末流もなく、将棋の局面において強い人を強いとし、すべて実際の成果を踏まえて判断する気風を養ってきたために、儒教や仏教のような昔の人をただ崇拝するような悪い習慣を免れてきたからです。


要するに、儒教や仏教の風潮は、人物を信じてその教えがどうであるかを問わず、将棋の世界は技術の巧い下手を論じてその人物を見ないというわけで、そのことによって両者の違いを知ることができます。
将棋の道はもちろん小さな分野ではありますが、小さな道によっても大きなものは計ることができるものです。
この世界の中のひとつひとつのものごとは、もしも世の中において人々がその必要を感じて励まし勧めるものならば、進歩し向上しないものはありません。
私は、宗教においても、道徳においても、学問も武道も、はたまた政治、経済、商業や工業、美術などにおいても、今までもすでに数多くの天野宗歩がいたことを信じていますし、将来さらに続々と宗歩のような存在が現れ、第一の宗歩は第二の宗歩に及ばず、第三第四と、その進歩に際限がないことを信じて疑いません。