たまたまテレビをつけたら、「山田顕義物語」というスペシャルドラマがあっていたので見たら、とても良いドラマだった。
http://www.mbs.jp/yamadaakiyoshi/index.shtml
あらためて、松下村塾というのはすごいところだった、
吉田松陰はなんと偉大な魂だったかと、甚だ感動。
今年は、また萩に行ってみたいと思った。
ドラマの中、吉田松陰が、主人公の山田顕義に、こう諭すところがある。
ちょっと不正確かもしれないが、だいたい以下のような内容だった。
「人の行動にはすべて原因があります。
ある者は欲に駆られて、人を傷つけたりもします。
どのような人の行動にも、原因が、理由があるのです。
その理由が、欲からのものか、本当に世の中のためのものか、
その理由となるものの、深さや清らかさや尊さによって、人の値打ちは決まります。
その理由となるものを、志といいます。
学びとは、志を深め、学ぶことです。
しっかり学びなされや。」
もちろん、フィクションかもしれないし、あるいはこれのもととなった言葉があって、それをわかりやすくした言葉だったのかもしれないが、ドラマを見ながら、とても感動して、不覚にも涙。
あぁ、俺もあの時代に生まれたら、松陰先生に師事したかったものだ。
しかし、松陰は死んでも、その魂は、その弟子や、のちの時代の者の心の中にも、生き続けているのだろう。
しっかり、そうした精神を学び、人の行動のもととなる、志をしっかりと学び、明らかにし、究めれば、そこに松陰の魂は脈々と受け継がれることになるのだと思う。
吉田松陰が山田顕義に贈った扇子に書かれていた詩の言葉も、とても胸打たれた。
立志尚特異 立志は特異を尚(たっと)ぶ
俗流與議難 俗流はともに議し難し
不思身後業 身後の業を思はず
且偸目前安 且(か)つ 目前の安きを偸(ぬす)む
百年一瞬耳 百年は一瞬のみ
君子勿素餐 君子 素餐することなかれ
(大意)
志を立てたならば、人と異なることを恐れてはならない。
世俗の意見に惑わされてもいけない。
世の中の人は、死んだ後の業のことを思うこともなく、
ただ目の前の安逸を貪っているだけなのです。
人の一生は長くても百年、ほんの一瞬のことです。
君たちは、どうか時間を無駄にせずに過ごして下さい。
本当に、この精神で生きていかなくてはなぁ。
ドラマは、山田顕義の青春時代の、松下村塾での日々がほとんどで、松陰とのことや、高杉晋作が何事にも本音で自分の心の垣根を取り払って自由に生きる姿に顕義が影響を受けることが描かれたあとは、一足飛びに晩年に今の日大を山田顕義が創設したエピソードが紹介されていただけで、あまり詳しく山田顕義については取り上げられていなかったが、いろいろ詳しく調べてみたら面白そうな人物だと思う。
新春早々、良いドラマを見た。