現代語私訳『福翁百話』 第三十五章 「女性の教育と権利について」

現代語私訳『福翁百話』 第三十五章 「女性の教育と権利について」


女性の教育は言うまでもなくおろそかにしてはなりません。


学問の理解がなれば、ご飯を炊くこともできないはずです。
ましてや、それ以上に難しい、裁縫や料理、病気の人の看護介護、子どもの教育など、あらゆる家事に関して、学問がなく教養がなければ、とても家の中でやっていくこともできません。


しかし、学問や教育が大切であることは、男性も女性も両方とも同じことで違いがないことではありますが、結婚した後は女性に限っては、家の中をうまく治めて、あるいは子どもを教育するという仕事があって、家の外の事に関係することがあまりない場合が多いので、自然のなりゆきとしてなんらかの分野の専門の学者となる機会も少なく、またその必要もないとされています。
ですので、多少の例外はあるとしても、ごく世間の平均的なところでは、女性のために特に奨励されることは、ただごく普通の教育や知識のみであり、高度で専門的な学問や教育をひとまずは副次的なことだと言って差し支えないことと言えるようみ思います。


ですが、世の中の自称教育家たちは、日本における男性と女性の関係を見て、男尊女卑の悪い習慣があることを非常に憂慮し、女子教育の必要性や力点もこの男女の関係の不平等を暴きたてることに主に意をそそいでいるようです。


たしかにその主張はもっともなことであり、女性の権利が振るわないことに関しては、なんとしてもその古くからの弊害を一掃して正当なありかたに正すべきです。


ただ、その方法については良いアイデアがなかなかないことに苦しむばかりです。
私の考えでは、男性と女性の間において行われている数限りない悪い事柄を数えあげて、しきりにそのことについて多く論じるよりは、何よりもまず、日本における公然とした一夫多妻のありかたを禁止することこそが、大いに実際の効果があることだと確信しています。


そもそも、人間の世界では、なかなか得ることが難しいものは貴重な尊いもので、簡単に得ることができるものはありがたみがなく価値の低いものになってしまいます。
今の日本における一夫多妻制は、男性にとっては妻を得る方法を簡単にすることです。
そして、簡単に得ることができるものは、ありがたみのない価値の低いものになってしまいます。


それに対して、女性が一度嫁げば、簡単にその家を去ることができず、貞淑な女性は再婚しないものだという通念は、女性にとって夫を得る方法を非常に困難にしています。
つまり、女性にとっては夫を得ることが難しい状態ですので、男性が貴重な尊いものになってしまうのは自然の成り行きです。


ですので、社会の風潮がだんだんと変わり、人々が皆、一夫多妻制は人として嫌い避けるべきことだと自覚し、男性の醜い行為だと理解して、妾を持ったり娼婦を買うようなことを完全にやめる(たとえ表面だけであろうと)だけでなく、すでに結婚した男性が妻と死別した場合再婚をしようとすることも世間を憚って多少の困難を感じるぐらいの習慣ができるようになれば、女性の力もどんなにそれに反対しようとも自然と大きくなることでしょう。


西洋の諸国おいて女性の権利が発達したなどと言われますが、べつに西洋の男性に限って特に女性を重視する持って生まれた性質があるというわけではありません。
その現実的な理由は、早くから一夫一婦制の習慣ができて、その習慣の外に逃げることができず、結果として男性が女性を得る方法が困難だと感じられてきたからです。
ですので、ただその得難いものを尊んできたというだけのことです。


わが日本国の男性が、お金さえあれば妾を養い、芸者を招いて、近所の人々や友人たちから別に咎められることもなく、再婚や再々婚もごく普通のことで、亡くなった妻の葬式の帰り道でもう次の妻を誰にするかということを話しているというとんでもないエピソードさえ時にはあります。


日本の男性とっては、女性はあたかも店頭で客を待つ商品のようなもの、あるいは道端に散らかっている落し物のようなものです。
その数が実際に多いか少ないかに関係なく、欲しいと思えば娼婦を買い、あるいはお金を払わなくてもひっかけたり拾うことが非常に簡単です。
また、そのような女性を獲得したあとは、西洋諸国のように別段隠す必要もなく、公然と世間に吹聴して、家で囲ったり、子どもを産んだりします。
その生まれた子どももまた、ごく普通の子どもとして、他の人々と並んでいます。
このように、無造作に得ることができる女性に対して、男性と対等に拮抗させようとすることは、そもそも難しいことだと言えます。
ですので、女性に対する教育は、普通の男性に対する教育と同様に決しておろそかにしてはならないことは言うまでもありませんが、しかし、その教育だけをもって女性の権利を論じようとするようなことはどうしても無益な議論になってしまいます。


もしも、今の世の中に一夫多妻の醜い習慣があることを禁止するか、あるいは禁止するまでは至らなくても一夫多妻制を醜いものだとみなす風潮を形成して、男性の専横の道を塞がない限り、社会における女性のありかたは依然として昔と同じままのようなものであり続けることでしょう。