現代語私訳『福翁百話』 第七十二章 「教育の善い影響や利益は子孫にまで及びます」
穀物の農業を良くしていくために最も重要なことは、種を選んで養い増やすことに努力することです。
まず良い種を蒔いて丁寧に養い増やせば、前の年の種よりもさらに良い種を得ることができます。
毎年毎年その努力を怠らなければ、その進歩は著しいものです。
その反対に、最初は良い種を得ても、ただそれを蒔くだけで耕すことや養い増やすことに注意しない時は、種の性質はだんだんと劣化してしまい、そこから回復するのが難しいほどになってしまいます。
人間の子どもも、そのようなものです。
良い父母から生れた子どもで素質があり上部であっても、ただその子を産んだだけで、教育に注意せず、あるいは教育方法を間違えれば、さらにあるいは家庭のありかたが腐敗していて悪い習慣を成してしまうなどのことがあれば、その子の品格は落ちてしまいます。
二代、三代、同じような割合で品格が落ちていって、四代、五代に至れば、初代の遺伝は全く消滅して、ひ弱で愚かな子どもが生まれるばかりでしょう。
封建社会の時代の大名や大金持ちの名家の子孫において、暗愚でひ弱で最下等の人間に変わり果ててしまっている人が多いのを見ても、その証拠となることでしょう。
名家の子孫であってこのようになることを考えれば、字も読めず教育も受けておらず、貧しく地位も低い家の子どもが、この事例を逆にして、必ず昇っていく道があることも疑いありません。
先祖代々、全く一字も字が読めない極貧の家の子を教えるのはとても難しいことで、その一代で学問を成就するようなことは望めないとしても、ともかくどうしようもなく愚かな人よりはましであれば、その子を選んで多少の教育を授け、ついで二代目に至り、同様に三代、四代、と徐々に進んでいけば、ちょうど穀物の種の品位を進めるのと同じ法則に従って、極貧の家の子の四代目の子孫には偉大なる学者を輩出することも決して難しいことではありません。
ただ、その実際の効果が、短時間では現れないというだけのことです。
このことを、医学と照らし合わせて考え見るならば、遺伝と言われる中風、発狂、結核の体質、ハンセン氏病になる体質(最近の医学の学説では結核やハンセン氏病は遺伝ではないそうです。ですが、かかりやすい体質は遺伝と言えますので、ここに体質という言葉を付加しました。)といったような事例においては、その病気にかかった人の子孫はよく注意して、だいたい四代ぐらいを経過してもう病気にならず大丈夫であれば、遺伝的な痕跡はもう全然なくなったと言えます。
ですので、智恵ある人の子孫が愚か者になるのも、愚か者の子孫が智恵ある人に変わるのも、病気や怪我などの特別の場合を除いて、だいたい三、四代の歳月がかかることです。
随分ゆっくりしたことのようですが、ゆっくり進歩、あるいはゆっくり退化しているという事実は間違いありません。
そして、その進歩や退化は、ただ教育がどのようなものかという一点に左右されます。
ですので、教育の善い影響や利益は、単に教育を受ける人個人に止まらず、遠く子孫にまで及びます。
社会全体が進歩し、あるいは退化するのも、その国に行われる教育方法の努力や怠りに関係があることは明白に理解すべきことです。