現代語私訳『福翁百話』 第三十四章 「中途半端な半信半疑のままでいてはいけません」

現代語私訳『福翁百話』 第三十四章 「中途半端な半信半疑のままでいてはいけません」


同じ医学という名称なので、中国伝来の東洋医学の医者も、西洋医学の医者も、同じく医者であるように一見見えますが、実際の治療に関しては、古来の東洋医学の医者に対しては医者と呼ぶべきではありません。


学問に関しても同様です。
中国伝来の古来からの東洋の学問と、西洋伝来の学問と、両方とも学問という名称ではありますが、人間が日常生活においてどのように振る舞い人生を生きるべきかという事柄から、現代文明において国家社会を独立させ経済的に成長させるという事柄について議論する時には、昔から日本においては行われてきた中国伝来の東洋の学問は学問としてみなすべきではありません。


私が長年主張してきたのは、現代文明における実学であって、中国において古来行われてきた空理空論ではありません。


私は、いくつかの問題に関しては、全面的に中国伝来の東洋古来の流儀に対して真っ向から反対ですので、そうした東洋古来の学問を信用しないだけでなく、その間違いを暴露し、その根拠のないところを明らかにして、そうした間違った根拠のない東洋古来の流儀を拒み、なくそうと努力してきた人間です。


ことこの問題に関しては、日本や中国の昔や今の学者に対してはもちろんのこと、孔子孟子に対してすらも黙って見過ごすことを私は許さない者です。
つまり、私は西洋文明の学問を学んで、適当に混ぜわせて中国古来の学問と牽強付会しようとする者ではありません。
東洋古来の流儀の学問を根底から覆して、新たに文明の学問の扉を開きたいと思う者です。


つまり、学問を以て学問を滅する、西洋文明の学問によって東洋の古い学問の流儀をなくしたいというのが私の心からの願いであり、生涯をかけて心を尽くすのはただこのことばかりです。


そもそも、宇宙の中のあらゆる存在を支配しているのは自然の真理や原則であり、人間社会の事柄も言うまでもなくこの自然界の科学法則から逸脱することはできません。


そうであるのに、今、東洋と西洋の学説を比較してそのおおよその趣旨を見てみるならば、この二つはその根拠や来歴が根本的に異なっています。


東洋古来の学説は、陰陽五行の空理空論を語ってあらゆる存在を覆おうとします。
西洋文明の学説は、数学や科学によって事実を計算し、微細なものから巨大なもので解剖し分析します。
東洋古来の学説は、ひたすら古代の理想の時代を慕って、自分で新しい理想を建てようとしません。
西洋文明の学説は、自分たちよりも前の時代の人々の妄想や根拠のない考えを排除して、自分たちが後世の模範となる時代を自ら進んでつくりだそうとします。
東洋古来の学説は、現在まで伝わってきたものを盲信するばかりで、改善しようとすることを知りません。
西洋文明の学説は、常に懐疑や疑問を起こし、根本から考えて物事を研究しようとします。
東洋古来の学説は、口数が多いにもかかわらず実験や実証が乏しいものです。
西洋文明の学説は、具体的な事実や経験に即し、データや統計を示して、空理空論を言うことがほとんどありません。


東洋と西洋の学問が、根本的に異なっていることは、大体以上のようなものです。
西洋文明の学問は、事実によって出発してさまざまな分野を究める実学となっていますし、日々に新たな発明や工夫がなされています。
蒸気の発見はさまざまな機械を動かし、蒸気船や汽車を動かす動力となりました。
電気はこの蒸気を超える勢いで普及し利用されています。
医学や衛生についての学問は、昔の時代の人々においては治らなかった病気を治せるようにし、また病気を予防して、平均寿命を伸ばしています。
化学は、物質の性質をよく分析して、さらに物質を変化させたり加工して、人間の役に立つようにしています。
動植物などの生命に関する学問は、動物や魚介類や草木の発育を助けて、牧畜や水産、林業、農業などをより便利にしています。
これらのことは、事例を数え上げれば数限りないほどです。


もしくは、物質的な事柄ではなく、形のない精神的な事柄について述べるならば、政治、法律、経済などの発達してきた歴史や来歴を見てみても、その進歩発達は数学や科学のおかげです。


西洋諸国の人が早くから統計学を重視し、人間のあらゆる行動や活動を観察する際に統計の実際の数値やデータを活用して、そのことによって最大多数の最大幸福をめざし工夫するなどの事例は、西洋文明の考え方がどこにあるのかを推し量る材料として十分なものでしょう。


こうした西洋の学問と比較した時に、古来中国の学説に耽る人々が、古代の人物こそが理想だ、古代の人物こそが理想だ、と繰り返して古代を理想化する夢想に耽り惰眠をむさぼり、物質的な面においてもちっとも改善や進歩がないばかりでなく、彼らが自負し自称する仁や義を大切にするという道徳の教えの面に関してさえ、ただ口先でもっともらしく述べるばかりで、実際にはなんらの思いやりもない不正義な行為を行い、言葉数は多くて教えは明らかで極楽のような世界になるはずなのが、冷酷残忍の地獄のような世界を実際に行ってきたようなことは、差が大きすぎて比べものにならないものです。


ですので、私はあらゆる学問学説について、古来の東洋のものを捨てて、西洋の文明の考え方に従おうとする者です。
しかし、古来の東洋の学説を捨て去ることにはおいては、私はほとんど惜しむところはありませんが、世間の人々はしばしばそうではなく、場合によっては古いものを思いきれずに執着し、儒教の流儀を目が覚めたのにまだ夢を貪るように貪っている人がいます。


世の中では文明開化の人だと言われていて、よく明らかに利害損得を理解し、身体には洋服を着て口には西洋料理を食べ、西洋文明の機械を便利だと言って利用し、工業や軍事に西洋文明の機械を採用してその利益を知っているだけでなく、政治・経済・法律についての事柄まで西洋文明のありかたを受け入れながら、その心の奥底を見ていると、儒教の考えが存在していて抜けきらない人々がいます。


たとえば、そうした人々の家庭の様子を見てみると、子どもたちが息子の場合に読ませる本にはまず儒教の古典である孝経を読ませ、女の子の場合には女大学こそ最も適切であろうなどと言っているような場合があり、小さなことのように見えますが、このことによってもその人の思想がどこにあるのかを十分知ることができることでしょう。


十数年前の明治中期、教育や社会において古来の学問の復活というおかしな現象の大きな波が生じて、いわゆる良い言葉や良い行動、実際のその中身としては君主への忠義や軍人における烈しい振る舞いといった極端な考えや主義主張が奨励されて、世の中の人々の心を刺激し、その影響はずっと時間が経った後まで続き、さまざまなはかりしれない問題や危険を生み出し、今日に至るまでなお拭い去れないでいることは、結局のところ儒教の考え方や心持が消えずに残っていることが原因と言えます。


このことが、つまり、私が西洋の文明の学問と東洋の古来の学説を混ぜ合わせるということを言わず、儒教的な考えを根底からしりぞけなくしたいと思う理由です。


酒に水を混ぜたものはまだ飲むことができます。
しかし、イワシやニシンからつくった魚油は、酒に混ぜることはできません。


儒教の本来の主義主張がどうだったかはとりあえず置いておくとして、この数千年間に腐敗してしまった東洋の儒教を採用して今の西洋文明の学問や科学と牽強付会しようとするのは、酒の中に魚油を混ぜるのと同じです。
私が採用しないことです。


かつての徳川幕府がまだあったころの時代に、一人の武士がいて、非常に西洋の新しく珍しい学問を喜び、なんでもかんでも西洋風を好む中で、薬に関してだけは漢方を好み、西洋の医者は外科には優れていて、また内科においても熱病については信頼できるけれど、他はすべて漢方医学の治療に限ると言って、家族に病人がいれば当時流行の漢方医だった浅田宗伯を呼ぶのがいつものことだったのは、今でもお年寄りならば記憶していることです。


今の世の中の人が、西洋文明の学説に従いながら、なおその心の中の深いところに儒教的な考え方が存在して、場合によってはためらいの様子があるのは、その徳川時代の武士が医者を選ぶときの感情と同じです。


文明が改まり進歩する今この時代、私は、中国伝来の古い学問を学問とはみなさず、中国古来の医学を医学とはみなさず、もし何かの学問を信用するならば大いに信用するけれども、信用しないならば全面的にしりぞけて、半信半疑の中途半端な態度では、自分自身の生活もすべきでないし、社会において適切に過ごすこともできない、さらには国家社会を維持することも十分にできないということを自覚して、独り西洋文明の学問に自分自身で安心立命している者です。