現代語私訳『福翁百話』 第二十九章 「成人になったならば独立すべきです」
「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」「死ぬまで親の恩は忘れてはいけません」ということはもちろんのことではありますが、もうすでに適切な教育を受けて成人の年齢に達したならば、人は独立して生活していくようになるべきです。
つまり、成人になったということは、父母の膝元から離れるべき時が来たということであり、これから先は一切両親に生活の世話で迷惑をかけることは許されないということです。
すでに子どもが生活の世話で両親に迷惑をかけないという状態になったならば、たとえ両親はこの上なく子どもにとって尊いものだとしても、むやみやたらと親はその子どもの行動や発言の自由を邪魔するべきではありません。
ですので、親が子どもに命令し指図して自分の思いの通りにしようとすることは、ただ子どもの生活の面倒をみて養育している間のみあって良いことであり、子どもが独立した後は、そうした指図などはせず、ただ愛情からお互いに付き合うだけにすべきです。
もっとも、子どもが成人に達した後も、親と子のどちらかが病気の時には看護することはもちろんのこと、思いもかけない事故や災難にあった時は、お金を惜しまずに親と子がお互いに助けあうことは当然あってしかるべきです。
親と子は特別な間柄です。
とはいえ、もともと子どもというものは、自分たちとは世代が異なる人間です。
新しい世代には、おのずから新しい世代の生活のやりかたがあります。
ましてや、時代の移り変わりは想像以上に速いものであり、年寄りの生活のやりかたを新しい世代が再び繰り返すことはできない事情が多いことを考えれば、世代間の違いは本当に大きなものだと言えます。
特に、その新しい世代の男女がもう結婚したならば、つまり新しい家がそこにできあがったわけであり、その新しい家の夫婦が自分たちの生活や暮らしのために働きがんばっているのであれば、もはや両親は余計な口をはさむ余地はありません。
子どもたちが自分たちの方法で進んでいくことを叱ったりせず、自分たちから去っていくことを悲しんだりせず、子どもたちの自由に任せて、子どもたち自身の力で逞しく生きていけるように陰ながら願いサポートするだけにすべきです。
そのようであってこそ、社会の進歩というものも期待できることでしょう。
家族が仲良く、家族だんらんであることは、楽しいことではありますが、子どもたちが新しい家庭を築き、今までの家族と離れて二つの家庭ができることになれば、その家族だんらんの楽しみもまた二つの場所に分かれるようになったと考えるべきです。
新しい家庭の新しいだんらんは、以前の家庭の以前のだんらんを離れ去ってできたものですが、この新しいだんらんは新しい生活の苦労を十分に慰めるものになっていくことでしょう。
故郷を遠く離れて海外で仕事をしたり、あるいは未開の地に移住するようなことは、要するに若い世代が新しい家庭をつくり、その新しい家庭のだんらんの喜びがあればこそできることです。
年寄りがとやかく干渉すべきことではありません。
ただし、この新しい世代の人々が未熟で、現実にまだ独立できておらず、場合によっては老いた父母の指示やアドヴァイスを必要とし、父母の保護を受ける必要がある場合もあります。
あるいは、親と子どもの間に智恵や経済力の程度に大きな違いがある場合などもないわけではありません。
こうした場合には、例外として例外にふさわしい処置があるべきです。