国旗損壊罪 刑法新設の是非の前に考え論じるべきことは

国旗損壊罪 刑法新設を目指す
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011030200586

たしか、五年ぐらい前、アメリカの上院で国旗を侮辱することを禁止するための憲法修正が一票差で否決されたことがあった。

その時、日系で米民主党の長老のダニエル・イノウエが、

「(国旗焼却は)低俗で非愛国的な表現だが、すべての国民は自らを表現する権利を持っている」

と言ったらしい。

アメリカも、一票差で否決だったのだから、国旗を侮辱することを取り締まろうという動きも強いのだろう。

1989年にアメリカではいったん成立した国旗保護法に対して、翌年最高裁違憲判決が出て、同法が廃止になったことがある。

アメリカではこのようにいろんな経緯があり、随分もめてきたようだが、日本ももし国旗損壊罪をつくるとすれば、いろんな問題点が提起され、議論になるかもしれない。

そのような法律をつくることが良いか悪いかは別にして、考えられる問題点を考えてみるのは良いかもしれない。

まず、いま現在刑法に存在する、外国の国旗を損壊した場合を罰する法律は、刑法九十二条の以下の条文である。

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(外国国章損壊等)
第九十二条  外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
2  前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
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つまり、外国政府の請求がなければ公訴にならない。

仮に、日本の国旗を対象とする場合は、日本政府が自国民に対して訴えるということになるのだろうか?

その場合の、保護法益とは何なのだろう。

仮に、国旗損壊罪を取り締まる法律をつくったり賛成したりする人は、保護法益が何なのかということについてきちんとした根拠はあるのだろうか。


極端なことを言えば、国民国家というのは、その国民がどのような思想・信条の持ち主であろうと、国民である以上は、その生命・財産を保護しなければならないものである。
わが国の憲法にも、十三条にそう規定してある。

もちろん、国民の側も国家に対して義務を果たすべきであり、納税や勤労や教育の義務はある。

ただし、なんらかの思想・信条・表現を理由として、国家が国民を保護しなかったり、あるいは罰することは、どのように正当化されるのだろう。

もちろん、もしきちんとした理由があれば、それはそれで良い思うし、私も納得するかもしれない。

しかし、ただ情緒的に、きちんと理論的根拠がないまま、漠然としたムードで法律がつくられてしまうとしたら、それでいいのだろうかという疑問はある。

人として、自国を愛し、誇りを持ち、尊重することに反対の人は、おそらくあんまり多くはないだろう。
私もまた、日本をこよなく愛し、誇りに思う一人である。

しかしながら、国を愛し思う気持ちは、いろんな形があるかもしれないし、きちんとした理由もなく少数派を排除していいのかという疑問はぬぐえない。

かつて、沖縄で、日の丸を燃やす事件があった。
多数派にはわからない、複雑な感情や深い悲しみが、少数派にはある場合があると思う。

そのような悲しみを頭ごなしに法律で罰したり、少数派を許容する自由が無い国は、はたして本当に愛するに足る国だろうか?

むしろ、少数派を排除せずに許容する懐の広さや自由を持ち、様々な人々の多様な声に注意深く耳を傾ける国家社会であってこそ、多数派も少数派もともに心から、表現の方法の違いはあれど、愛し、大切にすることのできる国家社会なのではないかと思う。

一概に、国旗損壊罪を法律で設けることに賛成や反対ということではなくて、もし法律をつくるとすれば、何を法益と考えるのか、つくらない場合はどのような弊害があるのか、その弊害を法律以外の方法で改善したり除去することはできないのか、など、注意深く真摯に議論を重ねることが、大事なのではないかと思う。

私は、ダニエル・イノウエのような考えが、案外と日本にも大きな参考になるのではないかと思うが、どうだろうか。