現代語私訳『福翁百話』 第八十六章 「今の時代は世紀末や終末の時代ではありません」
終末の時代の世界だと今を言い、世も末だなどと言うのは、数千年も昔から今に至るまで、世の中の人がいつも口にすることです。
今も昔もその口調は同じであり、毎年毎年ただ世の中は衰える一方で全く将来の希望がないように言っています。
はたして、もしそうならば、今の世の中の人々はすでに何の智恵もなく何の徳もない状態の極みになっているはずで、ちょうど悪魔や外道の成れの果てとなり、ほとんど動物と同じになっているはずです。
しかし、現実を見てみるならば、けっしてそうではなく、世界は進歩と改良の真っ最中であり、智恵も道徳も両方ともだんだんと高みに向かい、人間の心もだんだんと穏やかになり、だんだんと無知や殺伐とした苦しい世界ではなくなっているという事実は間違いありません。
たとえば、今の野蛮人と呼ばれる人々は、私たち文明人の昔の様子を代表しているものだと言います。
では、その野蛮人と呼ばれる人々の生活がどのようなものかと見てみるならば、弱肉強食であり人間の権利や義務はなく、ただ腕力の強い者が弱い者を使役し、多数の幸福を犠牲にして少数の安楽に役立たせるばかりだけでなく、ひどい場合は同じ人間を殺してその肉を食べ、弱肉強食という言葉を本当に実行している者さえいます。
野蛮から何段階か高い地位にいて、半開と呼ぶべき中国や朝鮮などの国の様子を観察しても、そのような状況はあります。
それらの国の人々は、口には思いやりや正義を唱えますが、現実には何の思いやりもない不正義を行い、支配者と被支配者とが向かい合って上下の境界線を明確に引き、権力が存在する場所がそのまま利益が集まる場所であり、最高の権力者が国民を奴隷としてみなすことはもちろん、国の中の草も木も君主の私有物であり、空の下、地の果て、すべてのものがちょうど最高権力者の身の周りのおもちゃ同然です。
そういうわけで、野蛮人と呼ばれる人々は最も古い時代の存在であり、中国や朝鮮のような国々はだいぶ末の世になりながらなおも古い様子を色濃く残したものだと言えます。
ですので、世の中の人が、古い時代を慕い、古い時代を尊ぶという、その「古い時代」というものは、どのような意味に理解すべきでしょうか。
古い風俗や習慣がはたして良いものと言うのであれば、今の時代の野蛮な人々はその最も良いものとなるはずであり、半開の段階の国々もまた良いものという結論にならざるを得ません。
荒唐無稽な話でなくていったい何でしょうか。
また、刑法に関しても、昔の時代は何事も残酷を極めたものであり、その痕跡は今なお野蛮な人々、あるいは半開の国々に存在していて観察できるものです。
ある種族の酋長が夫人を絞殺し、子どもを焼き殺すようなことは、いたって普通のありふれたことであり、半開の国においても、犯罪者の一族は連座したものとみなされて皆殺しにされるという法律は今なお存在しております。
結局、その国の君主が横暴であるがためだと言いますが、思いやりのある君主だと呼ばれる人物であってもこの種類の極刑を廃止することができないのは何故なのでしょうか。
学問が発達していない未開の国の人々は、その気風が荒々しくて、制御することが普通の法律ではできないからです。
法律だけに非があるわけではありません。
国民の性質が一般的に残酷であるために、刑法もまた自然と残酷にならざるを得ないという事情があるからです。
それとは反対に、文明開化の進歩とともに、刑法がだんだんとゆるやかになってくるのは、文明の開けた国の人々の心はだんだんと穏やかになり、そのために極刑が必要ではなくなってきたからで、事実が証明していることとして観察すべきです。
たとえば、今の日本の法律は極めてゆるやかなものであるのと反対に、三百年前の織田信長の時代は、一文のお金を盗んでも斬り捨てるという法律がありました。
信長が必ずしも冷酷だったからではありません。
今の法律をつくる人々が必ずしも思いやりがあるからではありません。
ただ、三百年前の国民は一般的に殺伐とした気性で人間らしい感情があまりなかったために、たった一文のお金を盗んだ者でも斬り捨てる刑罰を与えていただけです。
それに対して、今の時代はそのような過酷な刑法がないのに、特に世の中に悪事が増えたとは聴かないのは何故でしょうか。
人々の心がそうさせているのであり、今の日本の刑法は法律をつくる人が自分たちだけで考えてつくりだしたものではなく、世の中の人々の心がだんだんと穏やかになり、物事の利害や軽重を理解しているため、悪いことをなそうという思いもそんなにひどくはなく、自然と法律をつくる際にゆるやかな法律となるように議論させ、定めるようにさせているからだと言えます。
三百年の間、日本の人々は、智恵も道徳もだんだんと高く進み、無知や殺伐とした苦しい世界から抜け出してきたという事実は、議論しようとしても議論にならない、間違いのないことなのです。
人間の社会の進歩とは、だいたいこのような事情であり、本当にわかり切ったことなのですが、古い時代を理想化して尊ぶ人々は、とかく古い時代のありかたに執着して、前進する道を知らないということは、本当に奇妙なことでしょう。
ただ前進を知らないだけでなく、場合によっては前進を妨げるほどです。
その愚かさは、ほとんど計りようもないようですが、そもそもこうした人々の思想はとても単純なもので、特に数学や統計学を全く知らず、ただ単に日本や中国の歴史の本を読んで自分の心に感じたことをところどころ記憶し、これは良い、あるいは悪いと判断を下して、ささいな局部的な事柄に善悪の判断をそそぎ、視野は豆のように小さく、全体の利害を観察する智恵がないために、知らず知らずのうちに自然と迷いの淵に沈みこんでいるわけです。
それだけでなく、日本や中国の歴史と言いますが、そもそもその歴史を書いた人も、多くはその時代の儒教の流儀の人々で、ただ古い時代を信奉するばかりの人々です。
孔子の言葉に「述べて作らず信じて古えを好む」(述而不作信而好古)という八文字がありますが、儒教においてはこれは永久不滅の教えであり、後の時代において自分が自分より後の時代の模範となろうとする人がいれば、儒教の知識人や社会の中では罪人同然となるために、歴史の中に記載されていることは一から十まで、ただ単に古い時代の人、古い時代の出来事、古い時代の物を慕い称揚することばかりです。
漢の時代の歴史家は夏・殷・周の古代の三つの王朝を慕い、晋や唐の時代の学者は漢の時代を模倣しようとし、宋の時代以下の知識人たちは唐の時代の華やかさに心酔し、すべて物事を述べるにあたっても、時勢を論じるにおいても、君主を諌めることにおいても、世の中を風刺することにおいても、言葉や行為の善さの基準はすべて前の時代に存在しており、のちの時代に企画されたものは前の時代のものには及ばないということが、少しも疑われないようです。
古い時代の本にすでにこのように書いてあるのであれば、今の時代の学者はそれを見て、古い時代を理想化する思想を培われるのも、決して偶然ではありません。
冷たく批評するならば、腐った儒学者の目で腐った儒学者の本を読んでいると言っても、ある点に関しては言い過ぎではないことでしょう。
もちろん、数千年の間の歴史には、卓越した英雄や豪傑がいないわけではなく、志ある人物や思いやりある人物は少なくはありません。
しかし、そういう人物が少数いたからといって、そのことによって文明とは呼ぶことができません。
文明の進歩の目的は、国民全体が平均的に最大多数の最大幸福の状態にあるだけでなく、その幸福の性質をだんだんと向上させるところにあります。
歴史において、百年前や千年前と前後を比較して、この幸福の数量ははたして増えたか減ったか、幸福の性質ははたして向上したか低落したかということは、統計の数字によって観察すべきことであり、私は断固としてその増加と向上を明言しますし、さらに未来への希望を抱いています。
仮にも、この全体的な統計から観察するという思想を持たない人は、ともに文明について語りあうには不足な存在です。