(2010年 4月記す)
衛星第二で、「留用された日本人 日中知られざる戦後史」という番組があっていて見たのだけれど、とても面白かった。
第二次大戦後、中国共産党軍によって、医療・看護や、航空機、石炭、鉄道などの部門に、そうした技術を持っていた大陸にいた日本人が徴用され、従事させられたという。
そうした人々のいろんな体験談や証言のインタビューがあっていたのだけれど、なんといえばいいのだろう。
うまく言えないのだけれど、とても感動させられた。
国家によって自由が拘束され、いろんな理不尽な目にあっている人たちが、しかしながら、とても逞しく生き抜き、個人個人として国籍を超えて友情を築きあう場合がある、ということをそれらの体験談は如実に示していた。
共産党軍に連れられて医療・看護に従事していたある人は、ある時に、国民党軍が迫ってきたために共産党軍やその他の人がすべて逃げた中で、重傷で動けない共産党軍兵士を見捨てることができず、その場に止まったそうである。
幸い、国民党軍はそこまで進撃して来ず、あとで逃げた人々も戻ってきたらしいが、それから中国人たちの態度が変わり、親兄弟を日本軍にかつて殺されたという中国人の部隊長とも、深い信頼関係と友情を築いたそうである。
その部隊長は、あとで文革の時に日本人に親しかったということで職務を剥奪されて随分理不尽な目にあったそうだが、日本人の中にも立派な信頼できる人がいるのを自分は知っており文革の時にもそう言いはったことは間違っていなかったと思う、と回想して話している姿に、なんだかとても胸を打たれた。
また、元満鉄の技師だった人たちのかなりの人数が、シルクロードの鉄道建設に戦後携わったらしく、その技師たちの家族の子どもたちは天山というシルクロードの地域の地元の学校に通ったらしいけれど、中国人の優しい立派な先生がいて、日本人も中国人も同じ人間として接しあわなければならないということを両方の子どもたちにきちんと教えていたそうである。
また、日本人技師たちの活躍で、予定よりもかなり早く立派な鉄道が建設されて、地元の人々も大変喜んだとのこと。
あと、この話は以前別の番組でも聴いたことがあったけれど、空軍を持たなかった共産党軍に依頼されて、日本の元陸軍航空部隊の軍人たちが、破壊された航空機の部品を組み合わせて練習機をつくり、中国人のパイロットを養成して、中国空軍の基礎をつくったとのこと。
なんというか、歴史の不思議なめぐりあわせというか、敗戦後にいろんな分野で、日本人が果たした役割や遭遇した出来事というのは、なんとも事実は小説より奇なりということが多々あったのだなぁと感じさせられた。
しかし、戦後七、八年経ってから、やっとの思いで日本に帰った留用されていた方たちに、世間の風はしばしば随分と冷たいものだったらしく、共産主義者の疑いをかけられたり、就職もままならなかったり、いろんな理不尽な思いをさせられたらしい。
にもかかわらず、あの経験があったから今の自分がある、とか、隣の国の人たちのためにあの時期大いに働いてお役に立てたことは良かったと思う、と自負と誇りをこめて語る人たちの姿を見ていると、立派だなぁと思った。
おそらく、そこには国家や国籍の枠組みを越えて、今そこに目の前にいる周囲の人たちのために働き、ともに働くという体験と、それによって培われた個人同士の心のつながりがあって、そしてそれが何よりも尊いものとして実感されているからこそ、それだけの自負や誇りがあり、言える言葉なのだろう。
日本も中国も、いつの世も、政府は勝手なもので、政府の都合で個人を勝手に送り込んだり徴用するものなのだろうけれど、そんな中で、国籍の枠を越えて今そこに目の前にいる人々のために尽くし働き、信頼関係を築きあう個人同士というのは、たぶん国の枠組みを越えて響きあうものなのだろう。
国家やイデオロギーよりも、そういうものの前に、個人同士の響き合いというものが何よりも大事だし、それのみが真実ではないかと、番組を見ていて、改めて思わされた。
たしかに、そうした個人同士の思いや、庶民の個人としての力は弱い小さなもので、国家やイデオロギーの前にともすればもみくちゃにされがちなものかもしれないが、長い目で見たときに、人の心に本当に残ったり、充実感や誇りを与えるのは、空疎なイデオロギーや国家ではない、そうしたことなのではないかと思う。