Nスペ 「貧者の兵器とロボット兵器 〜自爆将軍ハッカーニの戦争〜」

Nスペで「貧者の兵器とロボット兵器 〜自爆将軍ハッカーニの戦争〜」という番組があっていた。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/101017.html

アフガンで、タリバン強硬派と米軍がいまどのような戦闘をしているかという様子のドキュメントで、自爆テロを盛んに行うタリバン強硬派と、無人のロボット兵器で闘う米軍のコントラストが描かれていた。

幼いころから過激な思想を洗脳・扇動し、若者を麻薬漬けにし、自爆テロをしないと喉を切ると脅かして自爆テロに駆り立てるタリバン強硬派。

地球の裏側のアメリカから電波で無人ロボットを操り、「私は高所恐怖症なのでここで安全なところで働けてとても良いです」「人を実際に殺す以外はゲームとほぼ同じです」とほがらかに平然と言う若い米兵たち。

両方とも、狂ってると思った。

アメリカのハイテク・ロボット兵器はただただ驚くばかりで、スターウォーズも真っ青というか、第二次大戦の時でもすでに米軍は強かったけれど、こんなんとてもじゃないけれど戦えんわと思う。

ただ、アフガンの人々は、戦友や、あるいはタリバンと関係ない一般市民が誤爆で死ぬごとに、アメリカへの怒りと憎しみをつのらせて、勝てる見込みはないのに、自爆でもって戦おうとする人は決していなくならないのだろう。

ロボットの遠隔操作で戦うのは、たしかにこちら側の人命を損なわず安全にするというメリットはあるが、戦闘に関するリアル感の喪失というとてつもない副作用を伴う気はする。
なんらの実感もなく、モニターに映る遠く離れた人を遠隔操作で殺害することは、操作する側にとってはテレビゲームと同じような感覚になりかねないと思う。
しかし、仏教的な見地から言えば、殺人は殺人であり、意業でとてつもない殺人の重い罪業を重ねていることは現地での戦闘と全く変わらないはずである。
リアル感を喪失し、戦闘や破壊に歯止めがかからず、あるいは安易な誤爆が行われれば、その方が罪としては恐ろしい事になるのかもしれない。

もうなんというか、あまりにもひどいSF映画を見るようで、救いもどこにもないのだけれど、我々には何ができるのだろう。
日本としては、局外に立つことができて良かったと対岸の火事を眺めるのみでなく、何かできることがあるとすれば、何だろう。

アフガンの民生が安定するように、生活の面から支援すること。
その結果として、絶望からテロに走る人がこれ以上増えないように努力すること。

また、アメリカに、いくらハイテク・ロボット兵器を使っても、それだけでアフガンを屈服させることは無理で、人の心から憎悪と絶望を取り除かない限り、ロボットにも彼らは自爆テロでいつまでも立ち向かってくるだろうことをなるべく悟らせ、軍事のみでない方策を説得して模索すること。

他に何かあるだろうか。

このところ、政治的な理由で選ばれることが多かったノーベル平和賞を、中村哲さんに選ぶだけで、まだしも少しは事態がましになるような気がする。
日本政府としては、もっと強く中村哲さんをノーベル平和賞にプッシュしていいのではないかと思う。
少なくとも、オバマさんよりは、かなり資格があるのではなかろうか。

アメリカとアフガンのあまりにも非対称の悲しい戦争を、どうにかして終わらせることはできないかと、半ば絶望的な気持ちながら、思わずにはいられない番組だった。