石川三四郎 「マフノの農民運動」を読んで

(2009年11月記す)


石川三四郎の「マフノの農民運動」を読んだ。
面白かった。

この本は、主にアルシノフというマフノの同志だった人の本に依拠しているらしいが、短くマフノ主義運動の顛末がまとめてあって、なかなか面白かった。

マフノはウクライナの貧しい百姓の家に生まれ、鍛冶工なったが、少年の時に1905年のロシアの革命運動に触れて革命を志し、1908年に逮捕された。
それから獄中で苦しい生活をしながら自分の思想と意志を鍛錬し、1917年にロシア革命が起こって釈放されると、郷里のウクライナに帰還。
地主や富豪の土地や財産を平等に小作人たちに分配し、自発的な農業共同体や自由区をつくる「マフノ主義運動」を推進して、ウクライナの民衆に絶大な支持を得た。

その後、ウクライナではドイツ・オーストリア軍に後押しされた地主やブルジョワの反動があったが、マフノは百姓たちを集めたパルチザンを結成、数や装備で圧倒的に劣勢だったにもかかわらず、神出鬼没の用兵によってウクライナの革命運動をよく守護した。

その後、列強に後押しされた白軍がウクライナに侵攻してきたのに対しても、後方のボリシェヴィキが頼りにならず、自力でマフノらがウクライナを防衛、死闘を白軍と繰り広げた。

こうした戦闘の最中にも、着実にマフノらによるウクライナの革命運動は支持され、各地に自発的な農業共同体がつくられ、庶民たちは危険も顧みずにマフノの軍をよく支持し、志願したという。

しかし、ボリシェヴィキはマフノ運動を危険視し、白軍との対決ではたびたび利用しながら、徐々に白軍の脅威が去るとマフノ軍への補給を停止し、補給がない中で前線で白軍と戦い疲弊しきったマフノ軍に対して、さまざまな奸謀を仕掛けてマフノの家族や幹部たちを銃殺、マフノは単身パリに亡命し、窮乏死したという。

この本の末尾の方に、マフノとともに戦った人々の簡単な略歴が名前とともに淡々と記されているのだが、それが泣ける。
みんな百姓や貧しい労働者の子で、マフノと生死をともにし、戦場で抜群の勲功をたてながら、白軍との戦闘で戦死したりボリシェヴィキに騙し討ちにあって死んでいる。

マフノについてまったく知らずに得々とロシア革命について語り、しかも何も知らないのにマフノなど大したことがないなどと言ったり、名前すら間違えて論じている人がいたが、せめてこの石川の一文ぐらいは読んでから論じて欲しいものだ。

マフノ主義運動を徹底的に弾圧し、各地でマフノ主義運動による自発的な農民共同体を破壊し、マフノらを粛清したのはトロツキーだったそうである。
トロツキーは、晩年はスターリンに追われて随分かわいそうな生涯だったが、マフノやクロンシュタット反乱に対する己の業の報いだったのかもしれない。
因果の道理というのは、やっぱりあるのだろう。

ロシア革命の本当の英雄は、レーニンでもトロツキーでもなく、マフノだったのかもしれない。
そんなことを、あらためて思った。