- 作者: 伊藤之雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/11/06
- メディア: 単行本
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すばらしい名著だった。
膨大な資料から伊藤博文の実像を浮かび上がらせており、従来の伊藤博文像を大きく修正する、本当に入魂の伝記と思う。
従来、伊藤博文は、軽佻浮薄だとか、保守反動、植民地主義、などのイメージで語られることが多かった。
しかし、この本では、非常にすぐれた現実感覚と柔軟性の持ち主であり、時代を適切に先読みし、適切に国家社会を導く理念を持ち、その実行に強い責任感と使命感を持って果敢に取り組む「剛凌強直」な人物だったことが丹念に描かれている。
「国会開設は維新創業よりも難なるべし」という認識に立ち、単に条文をつくるだけでなく、運営をきちんとできてこその憲法だとはっきり認識し、ドイツやイギリスのモデルをしっかり学んで大変な準備をして大日本帝国憲法をつくったこと、
そして何よりも、憲法ができたあとの、議会政治の成熟のために、伊藤がどれほどの苦心と努力をしたか、この本を読んでいてはじめて如実に知ることができた。
政党政治に対して嫌悪感や反感を抱く山県有朋や黒田清隆らを抑え、政党と妥協したり、政党政治を積極的に育成しようとする伊藤の存在がなければ、たとえ憲法ができても日本の議会政治・憲法政治が根付くことはなかったかもしれない。
伊藤は「秩序的進歩」という言葉を使い、漸進的な進歩や改良を常に目指し努めた。
その姿勢は、伊藤よりも保守反動的だった山県らの軍部・官僚勢力や、あるいはより急進的理想的だった板垣ら自由民権勢力からは、どちらからも批判され、日和見あるいは妥協し過ぎと思われていたようだけれど、そんなに一朝一夕に何もかも変えることはできないだろうし、かといっていつまでも時代の趨勢に背くこともできないだろうから、伊藤の「秩序的進歩」こそ明治の日本に最も必要な姿勢であり、そうした伊藤の姿勢や理念・行動があってこそ、明治の日本はその宜しきを得たように私も本書を通じて思えた。
憲法政治の定着に向けて、また条約改正や、そのつどそのつど起こる政治上の危機や難題の処理において、伊藤は非常にすぐれた現実感覚と対処能力を持っていたと思う。
藩閥にこだわることなく、陸奥宗光や井上毅や末松謙澄らすぐれた人材の協力を得、使いこなすことができたことも、伊藤の功績だったろう。
大津事件の時に、後藤象二郎や陸奥宗光が犯人を暗殺して病死ということにしたらロシアにも良いのではないかと主張したのを、伊藤が断固として退けたというのも、知らなかったエピソードで、とても感心させられた。
日露戦争についても、伊藤はなるべく戦争を避けて、ロシアと妥協して平和裏に共存しようと努めたそうである。
安重根に暗殺される直前、旅順を訪れ、日露戦争での日本軍の一万八千の戦死者を悼む漢詩を詠むの同時に、ロシア側の戦死者を悼む漢詩も詠んでいるという。
韓国統治についても、なるべく韓国の自発性や自主性を重んじた近代化を進めようとし、司法制度改革や国制改革に精力的に取り組み、できれば併合は避けようとしていたらしい。
あとからは、あまりの韓国内部の頑迷さに最終的な併合はやむをえないかもしれないと考えるようになったそうだが、性急な併合には反対し、併合した場合も韓国人自身の選挙による議会と韓国人の閣僚による責任内閣制を制度として保障するかなり高度な自治と間接統治を構想していたそうだ。
安重根も知的で立派な人物だったかもしれないが、伊藤について大きな誤解をし、伊藤を暗殺してしまったのはなんとも日韓双方にとって悲劇だったように思う。
なお、伊藤は日本の軍部が政治のコントロールの効かない存在になってきたのを危惧し、「公式令」を制定して首相の副署のない軍の命令を無効にすることによってシビリアンコントロールを貫徹しようと工夫していたそうだ。
また、清に憲法政治を勧め、欧米列強ともより協調外交を推進する事も目指していた矢先の非業の死だったそうである。
伊藤があと十年以上生きていれば、のちの軍の暴走を招くような軍部統帥の独立を適切に正しシビリアンコントロールを確立し、日本によりスムースに政党政治が強力に確立し、韓国も高度の自治や近代化を達成し、日韓中ともによりマシな状況になっていたかもしれない。
あと、この本を読んで、伊藤の短期間での英語の習得やドイツやイギリスやアメリカの憲法や制度やその歴史を学ぶ意欲と集中力は本当にすごいと思った。
家族の病気を抱えながらも、国事を担当し続けた精神のタフさもすごい。
私もちっとは、「秩序的進歩」を「剛凌強直」の精神で目指す姿勢を見習わんとなぁと思った。
人生やリーダーシップについても考えさせられる名著と思う。