以前、重松明久「念仏者としての福沢諭吉」(探求社)という本を読み終わった。
なかなか、面白かった。
福沢諭吉が蓮如上人の御文章を愛読していて念仏者だった、ということは知っていたけれど、
この本によれば、福沢諭吉の娘の回想録に出てくるそうなのだけれど、
福沢諭吉は、よく寝ながら、
という言葉を、よく言っていたとのこと。
また、東京で暮らすようになってからも、一ヶ月に一度は浄土真宗の僧侶を自宅に招いて法話を聴いていたそうだ。
築地本願寺に家族そろって参ったりもしていたそうだ。
空華学派や豊前学派についても、相当よく学んで知って、部分的にはかなり鋭い批判をしているそうである。
あと、何より面白かったのは、この本の主題ではなくて、わき道のところで紹介されていたエピソード。
福沢諭吉は、イギリスからの帰り道、スリランカに立ち寄ったことがあったそうだ。
その時に、日本でもついぞ見かけたことがないような徳の高そうな僧侶が弟子を四、五人連れて歩いているところに出くわしたので、いろいろ質問したそうである。
それで、「南無阿弥陀仏」という言葉はスリランカの仏教にもあるか、と尋ねたら、いまいちよく意味が通じず、話が伝わらなかったそうだ。
だが、その徳の高そうな僧侶が、梵文で「至って尊い仏よ、信心せよ」という意味の言葉を二枚紙に書いてくれて、日本に帰ってから一枚は自分の母親に、もう一枚は自分の菩提寺の明蓮寺という浄土真宗のお寺にプレゼントしたそうである。
おそらく、それは梵文ではなくて、パーリ語文で、たぶん、「ナモー・タッサ・バガワトー・アラハトー・サンマサンブッダサー」という、テーラワーダでよく称える文章だったのではないかと、私には思われる。
気になるのは、その高徳の僧侶って誰だったのだろう。
グナーナンダやダルマパーラだったりしたら、とてつもなく面白い歴史の一幕ではなかろうか。