以前、亀井俊介「アメリカ文化と日本 「拝米」と「排米」を超えて」(岩波書店)という本を読んだ。
面白かった。
著者が言うには、とかく日本のアメリカ論は、「拝米」か「排米」に偏りがちだった。
現実にあるアメリカというよりも、アメリカをモデルや理念としてみなして、そこからの距離やスタンスをとるような議論が多かった。
とのことである。
これは、実感として、よくわかるような気もする。
著者は、そのどちらでもなく、現在、日本とアメリカは共通の地盤や共通の生活スタイル、共通の利益も増えている。
そうした共通の地盤の拡大に努力しながら、なお残る異質なものを理解することが大事ではないか、
そして、現にそこにある「生」、ライフの多様な現われを、現実に即してそのつど見て理解していくことが大事ではないか、と述べていて、なるほどーっと思った。
なお、著者が言うには、アメリカの特徴は、普遍的なものを求める傾向や、自然人を賛美する傾向にあるそうである。
日本はそれに対し、特殊化を好む傾向があるそうである。
これも、なるほどーっと思った。
また、ホイットマン研究についてや、翻訳者としての福沢諭吉などについての話も、とても面白かった。
アメリカは二つの意味でワンダフル、すばらしいという点とよくわからぬ点があるという話も、なるほどなあと笑えた。
アメリカ文学、アメリカ文化というのは、まだまだこれからもっと研究されねばならない領域であり、日本人にとっても欠けているところを補ってくれる極めて興味深いものなのかもしれない。
自民党的な拝米主義でもなく、戦争中の鬼畜米英的な排米主義でもなく、お互いの共通の地盤をよく踏まえて、なおのこる異質なところもよく理解して面白がり、ごく自然にアメリカと接して対等平等の間柄となれたら。
夢だけれど、二十一世紀は、本当はそういう世紀にしなければならぬのだろうと、この本を読んで思った。