宮本顕治「敗北の文学」を読んだ。
筑摩の現代日本文学大系の54巻に収録されている。
この評論、タイトルはよく聞くし、有名なのだけれど、今まで読んだことがなかった。
言わずと知れた、芥川龍之介を若き日の宮本顕治が「敗北の文学」として批評した一文である。
読む前は、もっと杓子定規で教条的な感じかと思っていたら、意外と面白かった。
なるほどな〜。
小林秀雄を押さえて、懸賞論文で一等になったというのも、あながちわからなくはない。
芥川を、ブルジョワ文学の限界において自殺してしまった、としていて、プロレタリア文学を主張している、と簡単にまとめられなくはないのだけれど、この評論はそんなつまらないだけのものではなくて、もっと面白いことをいろいろ言っているように思えた。
要するに、宮本の用語だと、自我を根拠として社会と対面するのが「ブルジョワ文学」で、社会を変える気がないのに社会に対して批判的な態度が、必然的に自滅や停滞を招く、ということらしい。
それに対するオールタナティブとして、社会的な意識を持ち、社会を変える意識を持った生や文学を主張している、ということなのだと思う。
あんまり共産主義やプロレタリア文学評論というレッテルをはらずに、独我論とその乗り越えの問題として読んだら、けっこう面白いんじゃないかなあと思えた。
もちろん、芥川の文学が、宮本の評論するとおりなのかどうかには、いろんな意見があるし、私にはよくわからない。
私は、むかし芥川の主だった作品をちょこちょこ読んだ程度でさほどのファンでもなければ批判意識を持って読んだこともないし、芥川についての戦前戦後の批評の流れをよく知っているわけでもない。
ただ、芥川の、「発狂か自殺か」とまで追い詰められた最後は、なんとも悲惨だなあとは思う。
宮本顕治の提示する方法かどうかは別にして、その芥川の「敗北」を乗り越える方法は、おそらく似たような問題を抱える各人が自分で探しつかまねばならないのだろうと思う。
もし宮本のその後のあり方を批判するのであれば、別の選択肢を提示する必要もあろう。