Nスペ 安田講堂落城あの日から40年

二年ぐらい前に、NHKで、安田講堂落城あの日から40年、という番組があっていた。

http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2008/h090117.html


興味深かった。

日大闘争の秋田明大さんの今の様子が映っていたけれど、その篤実な風貌に、なんというか、江戸時代の義民ってこんな感じだったのかなぁという印象を受けた。
いろんな不条理なことや、人生の辛苦をかいくぐってこられたのだろう。

秋田さんが、法治国家なので法には従うけれど、逮捕されたから反省しろと言われても、後悔できない部分がある、ということをおっしゃっていたのが印象的だった。
日大闘争については私は詳しくは知らないのだけれど、おそらく「義」があったのだろう。
毀誉褒貶はいろいろあるのだろうけれど、後世もその「義」を忘れないようにしないとなあと思った。

あと、今井澄さんという方は、数年前に亡くなったそうだけれど、全共闘の後は医師になって、地域医療のために地道にずっと努力されたそうである。
「心医」だったのだろうと、その思い出を語る方の話を聞いて思われた。

最首悟さんということは、闘争の時は助手で、そのあと定年までずっと助手だったそうである。
障害を持ったお子さんを懸命に育てながら、節を屈さずに今もがんばっておられる姿や容姿に、なんとなく尊いものを感じた。

武田和夫さんという方は、学生運動のあと、東大を中退して、山谷で一労働者としてずっと働き、そのかたわら死刑廃止運動に取り組んでこられたそうで、今はビルの管理の仕事をされているそうだった。
しっかりした目の光が、なんというか、印象深かった。

相原亮司さんという方は、全共闘のあとに三里塚闘争にずっと取り組まれたそうで、生活に根ざした運動というものを、実際に取り組んで地道に紡いでいかれたようである。

なんというか、それぞれに人生の年輪と重みがあるのだろうなあと、番組を見ていて思った。
それぞれに、御本とかは書かれているのだろうか。
今井さんは回想録を書かれているそうだけれど、いつか読んでみたい気がした。

おそらくは、安田講堂に篭城した学生の方たちは、とてもやさしい心の、良い人間だったのだろう。
だから、その方たちが、あそこで命を落とさず、その後苦労は多かったろうけれど、生きていかれたことはよかったと思う。

政権の退陣をきちんと目標に設定して、もっと巧みな戦い方はなかったのだろうかと、後世の無責任な立場の私は思ってみたりしてしまうけれど、おそらくはそういう考えは端から念頭になかったのかもしれない。
冷酷苛烈な戦いは、たぶんできなかったし、またしない方が正しかったのかもしれない。


ただ、番組の中で、テープで山本義隆さんの当時の演説が流れて、私ははじめて山本義隆さんの演説を聞いたのだけれど、なんといえばいいのだろう。
切迫した雰囲気と、若さと頭の良さと純粋さは感じるけれど、あれでは学生は動いても、大衆は動かないのではないか。
やっぱり、普通の庶民の心や言葉と、あまりにもかけ離れている気がする。
日本語は英語と異なって、あんまり演説に向いている言語ではないのかもしれないけれど、そうは言っても、もっと何か、煽動するにしても動員するにしても、落ち着いて普通の言葉で庶民の心も動かすフレーズを使っての、オバマみたいな演説のしようはなかったのだろうか。
それが、良くも悪くも、あの時代の学生の特色だったのかもしれない。


その後の人生については、いろんな重みも感じるし、立派さも感じるけれど、でもやっぱり思うのは、安田講堂に篭城した学生たちは、あまりにも純粋で良い人過ぎたような気もする。
それが「学生運動」というものかもしれないけれど、当時あれほどせっかく時代の機運が高まり、世界的にもフランスなどで政権を打倒したほどの大衆運動が高まりがあったことも考えれば、あの時代に日本も一度自民党政権に痛撃を与えることができていれば、その後の日本はだいぶ違ったのではなかろうか。

幕末の若者が、久坂玄瑞にしろ高杉晋作にしろ、時折悪魔に思えるほどに残酷で冷徹苛烈だったように、もし時代を変え、世直しをしようとするならば、もうちょっと他に闘いようがあったような気もする。

もっとも、当時の学生に比べても格段に不甲斐ない今の私たちが、そのように言うのは、無責任だし酷に過ぎるのだろうけれど。


いろんなことを考えさせる番組だった。