Nスペ 引き揚げはこうして実現した  〜旧満州・葫蘆島への道〜

二年ほど前、Nスペで「引き揚げはこうして実現した  〜旧満州・葫蘆島への道〜 」という番組があっていた。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/081208.html

(以下はその番組を見た時の感想)


満州からの日本人引き揚げについての特集だった。

引き揚げの苦労は、いろんなドラマやドキュメント番組や小説で聴いてはいたけれど、あらためて、本当に苦労だったろうなぁと思う。

技術者など一部の人は、「留用」として、引き揚げが遅らせられ、国民党などに徴用使役させられたらしく、それらは戦時賠償として国民党などには意識されていたとの証言もあった。

あと、米軍は、LSTなどの艦船を使って、中国南方の国民党軍を旧満州地域に移送し、日本人引揚者を乗せて日本に運び、日本で中国・朝鮮の帰国希望者を乗せてまた運ぶ、という三角形の移送をとても急いで行っていたという話もあった。

そうしたことに焦点があててあって、格別引揚者の苦労にばかり焦点をしぼった番組ではなかったけれど、ひとり苦労して引き揚げた方の体験談が語られていて、さぞかし大変であったろうと、胸がつまった。

うちの母方の祖父母も、戦時中は北京に住んでいたため、引き揚げの時は米軍のLST(上陸用舟艇)に乗って帰ったという話を聞いたことがある。
ただ、うちの祖父母は、出航する港は、葫蘆島ではなく、天津からだったと聞いた。
おそらく、旧満州地域と華北は、引き揚げのルートが違ったのだろう。
うちの祖父も鉄道技術者だったから、旧満州地域に住んでいたら留用させられてさらに数年帰国が遅れたのかもしれない。
北京周辺ではそういうことはなかったらしく、留用なしに無事に帰国できたそうだ。

本当、旧満州と北京って、ほんのすぐ近くだ。
ちょっと場所が違っただけで、ずいぶん運命が違った。
それは、ほんの紙一重だったろう。
うちの祖父は、華北交通という国策会社につとめていたらしいけれど、もともと華北交通は満鉄の一部で、うちの祖父も満鉄から華北鉄道が分かれる時に華北交通に移ったらしい。
大連にもしばらく住んでいたことがあったらしい。
それを考えれば、旧満州地域の人々の受難は、決して他人事ではなかった。

にしても、今更ながら、満州地域で民間人を見捨てて逃亡した関東軍将兵(一部の例外は除く)と、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して攻撃したソビエト軍には、あらためて憤懣やるかたない気がする。

何故、満州の日本人はあれほどの受難を蒙らなければならなかったのだろう。
暗澹たる気持ちになる。

満州国の末路というものを見るにつけ、私は満州国というのは、かりそめにも肯定したり賛美したりする気にはなれない。
満州国の可能性や理念の良さを説いておられる方と、以前ネット上でやりとりしたことがあるけれど、やっぱり相容れないというか、満州国の末路における筆舌に尽くしがたい人々の受難を思うと、とてもそんな風には整理も評価もできないような気がする。

引き揚げの苦労というものも、後世の者も忘れずに語り継がないといけないかもしれないと、あらためて番組を見ていて思った。