上野英信『天皇陛下万歳 爆弾三勇士序説』(筑摩書房、1972年)を読み終わった。
爆弾三勇士は名前だけは知っていて、詳しいことを知らなかったので知りたいと思い、読んでみた。
最近、久留米の招魂社を訪れたところ、爆弾三勇士の碑があった。
それで、ずいぶん昔、生前の祖父が、戦争中の話をする中で、「肉弾三勇士」(祖父はこう呼んでいたと記憶する。こちらの呼称も当時一般的だったようである)について話していたのを思い出したからである。
爆弾三勇士は、第一次上海事変の時に、敵の鉄条網を破壊するために自ら爆弾を抱えて自爆して突破口を開いた三人の兵士たちのことである。
いずれも炭鉱や林業や運送業の、片親あるいは親が伏せっているなどでとても貧しい家庭に育ったそうである。
かつ、とても家族思いで、親孝行だったそうである。
つまり、貧・孝・忠の三つを兼ね備えていたので、その壮烈な爆死とともに美談として当時もてはやされ、小学校の教科書にも採用されたそうである。
爆弾三勇士は「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったと当時の国語の教科書には載っていたそうだが、この根拠は何かを上野英信は丹念に取材し、結局確たる根拠はないことを浮かび上がらせていた。
と同時に、近代日本において、理不尽な死のあるところ、「天皇陛下万歳」のこだまがあったことも浮かび上がらせていた。
また、爆弾三勇士の中の一人、あるいは二人が、被差別部落の出身だという噂についても上野は丹念に取材し検証している。
しかし、これもどうも根拠はないようで、爆弾三勇士の一人の家がとても篤信の浄土真宗の家庭で、その死のあとに西本願寺の大谷本廟に墓がつくられたことから、あまり根拠もなく広まった噂のようである。
ただし、そのような噂が当時から存在し、部落差別への批判を陸軍がかわし、かつ被差別部落も戦争に積極的に動員するために、またそれ以外の人々には部落出身者でもこれほど勇敢に闘っているのだからという理屈で戦争に根こそぎすべてを動員するために、爆弾三勇士の話が使われたことも指摘している。
私にとって特に興味深かったのは、最後の章で記されている、具体的な爆弾三勇士をめぐる戦闘状況や作戦状況だった。
霧が多く、視界が悪く、かつ準備も乏しく、戦略・戦術的にはっきり言って失敗している中で、無理な強行突破を目指す中で爆弾三勇士の出来事があったことを、上野英信は丹念に資料を引用する中で浮かびあがらせていた。
これは、昔私が聞いた祖父の話と一致することだった。
というのは、爆弾三勇士の話は1932年の第一次上海事変のことで、祖父が従軍したのは1937年の第二次上海事変のことなので、その間に五年のタイムラグがあるが、こんな話を生前祖父から聞いたことがあった。
祖父は、肉弾三勇士が戦死したという上海の場所(地名も言っていたのかもしれない。この本で知ったが、廟行鎮という場所)を、従軍中(おそらくはその合間の暇な時か?)訪れたそうである。
そうすると、しばらく行けばクリークの切れているところがあったそうである。
つまり、迂回して攻撃すればいいものを、正面から突っ込んだからあのようなことになった、本当は美談でもなんでもなく軍の作戦のミスだった、ということを話していた。
この本にも、クリークが多い地形で、その中で廟行鎮のトーチカと鉄条網を正面攻撃することになったが、七了口方面から迂回して上陸した後続隊が勝敗を決したことを記し、廟行鎮の正面突破が困難な上あまり戦略的意義がなかったことを記していた。
祖父の言っていたことがおそらくは正しいことが確認できたように思われた。
そうこう考えると、爆弾三勇士は二重三重に悲劇だったのかもしれない。
軍の無謀な作戦の中での戦死が美談とされたことは、のちの特攻隊の先駆のような側面がある。
また、貧乏な家庭に育った中で、あまり十分な教育も受けられなかったのに、素直に忠君愛国の教えを受け入れて、親には孝行に天皇には忠義に、素直に戦い若くして亡くなった姿は、なんとも悲哀を感じずにはおれない。
また、噂の真偽はともかく、その中の一人ないし二人が被差別部落出身という噂がつきまとったために、美談化される反面貶められて差別の対象となってきたのも、日本の歴史の暗部に関わる問題と思われる。
しかし、上記のとおりであればこそ、今なお大谷本廟のお墓には花や香が途切れることがなく、貧しく苦労した人々が自分と重ね合わせて、爆弾三勇士への批判や悪口は絶対許さないと意気込む様子も、上野英信は浮かび上がらせていた。
とはいえ、戦後八十年近く経ち、本書の書かれた時点からも五十年以上が経った今、爆弾三勇士のことを覚えている人も知っている人もあまり多くないように思われる。
私自身、この本を読むまでほとんど知らなかった。
詳しい歴史の情報をきちんと伝えているという意味で、本書はとても貴重なものと思われた。
もう一つ、興味深かったのは、第一次上海事変を描いた作品として、直木三十五の『日本の戦慄』という作品と、火野葦平の『魔の河』という作品が紹介されていたことである。
前者は、底辺の生活で苦しみ、社会に対して批判的で階級意識を持っていた主人公が、上海の戦争に身を置くことで、突如日本への愛国心に目覚めて感激し勇戦敢闘するという物語だそうである。
後者は、スト破りのための労務者として上海に派遣された先で戦争に巻き込まれた作者の実体験だそうで、日中の貧しい者同士の連帯というよりは、ナショナリズムと敵愾心によって断絶されて、翻弄されていく絶望を描いている作品だそうである。
おそらく、その二つの作品とも、私は題名すら知らなかったし、いまはめったに読まれることもないと思われるが、いつか探して読んでみたいと思った。