二年ほど前、NHKで「最後の戦犯」というドラマがあっていた。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/senpan/
(以下はその番組を見た時の感想)
主人公は、玉音放送のわずか五日前、8月10日に、上官の命令で米兵捕虜を殺害したため、戦後、戦犯として追及される。
主人公は、三年半の間、逃亡するが、ついに逮捕されて巣鴨プリズンへ。
しかし、ちょうど朝鮮戦争が勃発したため、死刑ではなく、重労働五年の刑となる。
左田野修さんという実在の方の手記を元にしてつくられたドラマだそうだ。
GHQの手先として動く警察の様子を見ていると、戦前はあんなに共産主義者などをいじめていた警察が、今度は日本人の戦犯の逮捕に動き回るなんて、なんというか、体質は何も変わらずに対象だけが変わっているような、暗澹たる気持ちになる。
戦犯の家族は、世間からの白い眼や、警察の嫌がらせなどで、本当に苦労したらしい。
かつ、主人公が逮捕後の、裁判の様子での、元の上官の責任逃れの嘘の様子なども、暗澹たる気持ちになる。
そもそも、単に上官の命令に従っただけの人々に、無慈悲な追及と裁判と刑罰をしようとするアメリカも、本当になんというか、無茶苦茶と思う。
戦後も、戦犯指定された人々にとっては、決して戦争が終わったわけではなくて、「戦後の戦争」が何年も続いたんだなあと改めて感じた。
ABC級戦犯として処刑されたのは、1068人という。
戦犯指定され、重労働等の判決を受けた人は他にも大勢いたのだろう。
戦後も、アメリカや、その手先となった警察などによる横暴や暴力が、日本には何年間も吹き荒れていたということなのだろうけれど、案外と、そのことは我々の記憶から忘れられがちの気がする。
BC級戦犯の追及に動き回った警察や、あるいはGHQに唯々諾々と協力した政治家などは、なんというか、ろくでもない連中だなあと、戦犯指定された人々の苦労を見るにつけ、思わざるを得ない。
上官の命令に従っただけの人々が戦犯として処刑されていく。
これほどの不条理というのは、いったいどう考えればいいのだろう。
戦時中、日本の軍隊は、大西巨人が「責任阻却」、丸山真男が「抑圧移譲」と呼んだ、上官の責任は問われず、下級者になるほど責任や負担が重くのしかかる体質があったけれども、それは敗戦によって決して消滅したわけでなく、BC級戦犯の死刑などは、GHQやその太鼓もちの連中によって、さらにひどくその恐るべき原理が貫徹された事例だったと言えるのかもしれない。
BC級戦犯として死刑になった人々の無念を晴らすためには、どうすればいいのだろう。
「責任阻却」や「抑圧移譲」などの不条理なシステムを許さないこと、つまり上級者の責任が明確にされる社会をつくること、および、なるべくそうした不条理や極限状態を生むような事態の発生を回避すること、などだろうか。
あと、一番大事なのは、我々が歴史を忘れずに、なるべくそうしたひとつひとつの事例や記録を語り継ぎ、受けとめることなのだろう。
いろいろ考えさせられる、良いドラマだった。