恐米病について

今年の8月6日放映分のnews23に、広島の元市長さんの平岡さんが出て、こんなことを言っていた。


まだ平岡さんが市長だったときに、平和祈念式典で、日本が核の傘から出るべきだとスピーチしたところ、当時の首相の橋龍さんが近づいてきて、


「平岡さん、気持ちはよくわかるが、日本がアメリカの核の傘から出るなんて、そんなことできっこない」


と話しかけてきたそうである。


「なぜできないんですか?」


と平岡さんが質問すると、


橋龍さんは、

「あなたはアメリカの怖さを知らない」

と言ったそうだ。


「何がどう怖いのですか?」


とさらに質問すると、橋龍さんは黙っていたそうである。


北朝鮮や中国の核の脅威があるのでアメリカの核の傘から出ることはできない、というのであればまだしも、「アメリカが怖いから」とは、なんともリアルな話だと思った。


何がそんなに恐ろしかったのかはわからないが、橋本さんも、何かとても恐ろしいことがあったのかもしれない。


政権交代後の鳩山・菅両氏も、結局のところアメリカを恐れて、おびえているようである。


単純に言えば、アメリカを怖がらない人が首相にならないことには、何にも変わらないし、日本の意志やビジョンを世界に発信することもできないのかもしれない。


恐米病とも言うべきものが、日本の政界にも、ともすれば一部の国民にも、ずいぶんしみついているのかもしれない。
あまりにも悲惨な戦争の記憶や、その後も直接間接にさまざまなそうした思いをする理由や原因がひょっとしたらあるのかもしれない。
しかし、大切なことは、そうした恐怖心が、どこまで根拠があるか、冷静に見極めることと、道義や道理のあるところは、たとえ相手が恐ろしかろうと、毅然としてものを言うことが必要だということを弁えることではなかろうか。
勇気も理性もなく、ただやみくもに恐米病に振り回されるとしたら、そんな国民はご先祖様に対してなんとも恥ずかしいものだし、そんなリーダーを持った国民はなんとも哀れなものだと思う。


一概にアメリカを敵視しろとは思わないし、可能な限りは友好関係や提携関係を深め強めればいいとは思うけれど、恐米病からの脱却ということは、官民ともに、戦後六十年経った今、大事な課題なのかもしれない。