- 作者: 新井喜美夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 27回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
著者が、折々に瀬島龍三に質問し、得た返事がこの本には記されており、瀬島自身の本や保坂正康の本とはまた違う情報があって興味深かった。
瀬島龍三は、歩く軍人勅諭のような人だったそうで、質素な生活の清廉な人だったそうだ。
ただ、いくつかこの本を読んで、驚かされた。
そのうちのひとつが、東条英機はミッドウェーの敗戦を知らされず、連合艦隊が存在していることを前提にサイパン戦を指示し、サイパンが玉砕する趨勢になって「連合艦隊は何をしているのだ?」と尋ねて、はじめてミッドウェーの敗戦を知らされた、というエピソードである。
著者が星野直樹から直接聞き、瀬島からも確かめたそうだ。
ちなみに、瀬島龍三は、ミッドウェーの敗北の直後に、一応その事実を海軍から知らされていたが、自分のところで握りつぶして陸軍の上官には報告しなかったそうである。
大本営特有の体質のしからしむるところだったのだろうけれど、瀬島が東条に報告していれば、ひょっとしたらだいぶサイパンも含めて戦争のあり方が違ったのではなかろうか。
また、この本は瀬島とは関係なく著者の歴史論がけっこうなウェイトを占めるのだけれど、その中で、軍人は申告制であったためほとんど税金を戦前は払っていなかったことを知って、びっくりした。
もし軍人もきちんと納税していれば、ひょっとしたら軍ももうちょっと軍縮に大正時代など賛成していたのかもしれない。
あの野放図な軍拡主張は、自分たちが税金を支払っていなかったからだったのか・・・。
あと、杉山元が爵位が欲しかったから日中戦争の拡大をしたという話も、なんとも暗澹たる気持ちにさせられた。
ノモンハンの時に、陸軍の一部に生物化学兵器を使おうという意見があり、東条英機が断固反対して使用しなかったというエピソードも興味深かった。
瀬島自身は、この本を読んでも、やっぱりいまいちよくわからない、不思議な人だという印象を受ける。
ただ、とてつもなく優秀な、良くも悪くも軍参謀の鑑のような人だったのだろうと思った。
決して人の悪口を言わず、嘘も言わず、そのために適当に濁したような返事をする場合が多いというのも興味深かった。
著者が瀬島に書を頼んで、「守一隅照千里」と書いてもらったというエピソードも興味深かった。
これは最澄の言葉として有名だけれど、最澄の文章は「照千一隅」であり、「一隅を照らす」と誤読されていることが多い。
「守一隅照千里」は、中国の故事を踏まえたもともとの言葉で、「一隅を守るものは千里を照らす」という意味だけれど、瀬島さんがこの言葉をきちんと知っているとは、やはりすごい教養人だったのだろう。
あと、戦後、瀬島龍三は、韓国とスリランカとの友好に努めていたというエピソードも興味深かった。
(理由は、韓国は日本の国防上のパートナーとしての重要性から、スリランカはシーレーン防衛の重要地点として、というものだったらしい)
また、瀬島龍三は昭和天皇が靖国参拝をとりやめる以前に一度だけ参拝したきりで、靖国に参拝しなかったというエピソードも興味深かった。
そのことについて著者が尋ねると、「陛下がおいでにならないのに、私が行けるわけありません」というものだったらしい。
そういう考え方もあるのだなぁ。
なぜか、日本の保守派や右派からは、あまりこういう考え方や意見は聞かない気がする。
昭和史の人間として、瀬島龍三ほど多くの人が興味をかきたてられる人物もあまりいないかもしれない。
ちなみに、戦時中によく使われた「転進」という言葉は、瀬島の造語だったらしい。
シンガポールを戦時中に「昭南」と呼んだのも、瀬島の造語だったと聞いたことがある。
そうこう考えると、やっぱりなんだかとてつもない人だなあと思う。