梯実円 「教行信証の宗教構造」 読書メモ

梯実円 『教行信証の宗教構造』(法蔵館

生死一如、自他一如、怨親平等
それが実相であり、如来や浄土の領域であること。

しかし、凡夫である普通の人間は、自分を中心とした妄念の虚構の中で生きていながら、そのことに気づかず、実相・如来の領域については全く思いもよらない。

その凡夫の私が、如来のはかりしれない働きかけとおはからいのおかげで、念仏申す身に育てられ、本願をそのまま聴く信心をめぐまれるということの不思議。

親鸞聖人の説き明かした、はかりしれない深さと明るさとよろこびに満ちた風光。


メモ

p.143〜144

煩悩具足の凡夫とは、知らず知らずのうちに自分の都合を中心にして、是非・善悪の価値体系をつくりあげていくものである。自分に都合のいい、役に立つものだけを是として愛し、自分に都合の悪いものを非として憎み、敵と味方をつくり、われも人もともに深い傷を心にきざみこみながら生涯を送っている。誰しもみな、一生懸命生きていながら、ふりかえってみると、むなしい後悔と怨念だけが残るような人生であるとすれば「よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと」としかいいようがないであろう。

こうした自己中心的な想念によってえがき出した虚構の世界を虚構と知らせ、私の妄念煩悩の彼方に、きらめくような真実の「いのち」の領域のあることをよびさますものが、本願の声としての南無阿弥陀仏であった。念仏は愛憎の悩みを転じて仏徳を味わう縁とし、そらごと、たわごとの人生を、仏法の真実を確認していく道場といただくような心を私のうえに開いていく。そのことを「ただ念仏のみぞまことにておはします」といわれたのである。念仏は、うその人生をほんものに変えていくものであった。


p.206

三世を超えた如来の智願が招喚の勅命(南無阿弥陀仏)となって一人一人の上に印現しているのが信心である。信心はそのまま勅命であるというような信の一念は、時を超えた永遠が、時と接して時の意味を転換するような内実を持っていた。

このような信の一念において、私の時間の意味、すなわち私の人生の意味と方向が転換する。それは煩悩にまみれた、しかも悔いに満ちた過去の中にも、大悲をこめて私を念じたまうた久遠の願心を感じ、そこに遠く宿縁を慶ぶという想いが開けてくる。また次第に迫ってくる死の影におびえ、人生の破滅という暗く閉じられた未来への想いを転じて、臨終を往生の縁と聞き開くことによって永遠の「いのち」を感じ、涅槃の浄土を期するという「ひかり」の地平が開けてくるのである。こうして信の一念という「いま」は、新たな過去と将来を開いていくような「現在」であるといえよう。本願を信ずるただ今の一念は、こうして如来、浄土を中心とした新しい意味を持った人生を開いていくのである。それを親鸞聖人は現生正定聚という言葉で表されたのであった。

p.229

こうして親鸞聖人にとって信心とは、如来智慧が本願の言葉となって私にとどき、私をよびさまし、涅槃の領域に向かって導いていくことを意味していたというべきであろう。


p.247

親鸞聖人はこのような天親菩薩・曇鸞大師の真実功徳釈を承けて、「真実は如来なり」といわれたのであるが、そこから三つの事柄が明らかになる。第一は、真実は一面では如来・浄土として現われるが、一面では大悲本願の救いという形で万人の前に顕現してくるということである。そして救済の確かさを人々に信知させ、必ず救われるという疑いなき信心となって私どものうえに実現してくるということである。親鸞聖人が信心の徳を讃嘆して、「たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず」といい、信心とは如来の真実が私の上に顕現している姿であるから至心といい、真実信心といわれると釈顕された所以である。
第二には、法蔵菩薩の修行のありさまは、私どもに何が真実であり、何が虚偽であるかという、真実と不真実の判別の基準を示しているということである。自己中心的な想念に閉ざされている私どもは、是非、善悪の基準を自己におき、自是他非というゆがめられた価値感覚をもってすべてを計っていきがちである。こうした自己中心の想念を破って、万人が本来そうあらねばならない真如にかなった真実の生き方を聞くことによって、自分の生きざまの虚偽を思い知らされていく。いわゆる機の深信が呼び覚まされるのである。
こうして第三には、如来の真実を基準にした、正しい意味の是非・善悪の価値観が育てられていく。そして正しい生き方とは何であるかという道理の感覚が次第に育てられ、わが身の愚かさをつねに顧みつつ、み教えに導かれて生きようとするようになる。『蓮如上人御一代聞書』に「わが心にまかせずして心を責めよ」といわれるような生き方がが恵まれてくるのである。「責める」というのは、行いの過失や罪をとがめることであるが、ここでは、自分の犯した罪を恥じ、つつしむことを意味していた。私どもは、ともすれば人には厳しく、自分には寛容になりやすいものである。そしていろいろと言い訳をして、自分の罪を自分で許してしまいがちである。そうした自分勝手な考えた方や行動を厳しくたしなめ、私どもを悪から守ってくれるのが仏法の真実なのである。
如来の真実を仰ぐものには、自身の醜い行いを自己弁護したり、目を背けたりしないで、まっすぐに見つめて慚愧し、力のかぎり身をつつしみ、「和顔愛語」とか、「少欲知足」といわれた経説を、及ばずながらも実践していこうとするような行為の基準と方向性が明らかになる。それをたしなみというのである。そこにはいい意味での「いのち」の緊張感も生まれ、生きがいのある日々を送るようになる。それが如来のご照覧のもとに営まれていく人生というものである。

p.328

『観経』真身観には「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す」と説かれている。仏心とは、智慧と慈悲であるのに、あえて仏心とは大慈悲であるといわれているところに、阿弥陀仏とは、衆生の苦悩を共感し、救済しようとする大悲の願心を本体としている如来であることを顕していた。それゆえ善導大師は、仏道を学ぶということは「仏の大悲心を学ぶ」ことであるといわれたのであった。大悲心を学ぶということは、何よりも人の痛みのわかる人間になろうと努めることであろう。如来の大悲、すなわち痛みの共感ということをすべての価値の根源とし、それを思想と行動の原点にしていくものを菩薩と呼ぶのである。それを善導大師は「玄義分」に「われらことごとく三乗等の賢聖の、仏の大悲心を学して、長時に退することなきものに帰命したてまつる」といわれたのであった。
しかし、私どもの現実は、他の人と本当に痛みを共有しきることもできず、人の痛みを癒していくこともできないという、自他を隔てる厚い壁に遮られている。そしてまた、どんなにいとおしく思い、たとえわが身に代えてでも幸せになってほしい人がいたとしても、指一本の支えもしてやれないこともある。人生には、腸の断ち切られるような思いを懐きながらも断念しなければならないことがあるのである。人間の愛の手の及ばぬことがあるのだ。その人間の愛の悲しい断念を包み、支えたまうものは阿弥陀仏大慈大悲の本願だけである。人間の手のとどかぬところにまで、如来の大悲の手は確実にさしのべられているのだと聞くとき、自分の力なさを悲しみながらも、希望と光がさしこんでくる。その心を親鸞聖人は、
小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき
 と讃詠されたのであった。
 聖人がこの和讃をよまれたのは八十五、六歳のころであったと推定される。その前年、八十四歳のときには、断腸の想いをもってわが子善鸞を義絶し、父子の縁を切らねばならなかった悲しい事件があった。わが子一人を救い切れない自分の無力さが、どんなにつらかったことか。「義絶状」のなかに「かなしきことなり」と記された一語には万感がこもっていた。この事件の渦中にあって聖人は、我が力で人を救おうと願う人間の慈悲の空しさ、悲しさをひとしお深く感じられたのであろう。小慈小悲さえも行じえない愚かな身で、人を済度することができるなどと考えることは不遜な思い上がりである。力無き私ども一切の苦悩の衆生を救うて仏陀にならしめようと誓願された大悲の本願に身をゆだねて念仏を申すところにのみ、人間の愛の限界を超えて、自他ともに大悲に包まれて愛憎・生死の苦海を渡る大道が開かれていくのである。
 「大悲を行ずる」ということが、自他を分けへだてする「私」という小さな殻を破って、万人と一如に感応しあい、自在に人びとを利益することであるとすれば、それはただ、如来にのみ可能なわざである。しかし凡夫であっても、万人を平等に救うと仰せられる阿弥陀如来の大悲招喚に応答して、大悲の本願に身をゆだね、その広大なはたらきに参加することは許されている。いいかえれば、如来の大悲に呼び覚まされて、苦しみ悩む人々と連帯しつつ、自他ともに大悲に包まれていることとを讃仰するような身にならしめられることを「常に大悲を行ずる益」といわれたのである。


p.391

念仏しつつ浄土を目指す私の往相としての人生は、阿弥陀仏に護られ、無数の還相の菩薩に支えられていたのであった。

(抜粋は以上)


(至心についての解説のところで、法蔵菩薩の修行の箇所を、行為の基準と方向性だとはっきり示し、いのちの緊張感を与えるものと指摘していることは眼からウロコだった。)

「はじめに本願力あり」ということや、
凡夫の菩提心とは、如来の大菩提心に包まれていることを信知して慶ぶこと、という指摘も、本当に味わい深いものだった。