中岡慎太郎のことば

「丈夫、立志、学を為す、何ぞ一時貴賎を以って心を動かさんや、
継がんと欲する所の者は大道のみ、一家一族の比に非ず。

且つ又、人の世に在る、今朝貴といえども明朝賎を知らず、今朝賎といえども明日貴を知らず、また、家門貴しといえども君子に非ず。

君子・小人は人に在り、家に在らず、これらの儀は僕などの拙言を待たざるなり。」
(北川竹次郎宛書簡より)

(男子が学をなそうとする志を立てたならば、どうして近視眼的な成功・不成功や名誉・不名誉によって心を動かされたりしようか。

継ごうと願うのは、ただ「大道」のみだ。
「大道」の大切さは、家族とすら比べることはできない。

また、人がこの世に生きてる間を見てみても、今朝尊ばれていた人が明日に卑しくなるともわからないし、今朝軽く見られていた人が明日には尊ばれる身になるかもわからない、
家柄や肩書が尊いからといって、その人が立派な人だという証拠にはならない。

立派な人か、つまらない人かは、その人自身による、決して家門や肩書きにはよらない、こんなことは私が拙い言葉で言うまでもないことだ。)



「兵の強弱は大道の明、不明に係る。
あえて練兵機器に非るなり。
規則器械の如きは、その人に在って役立つ、
その人なければその規則、機械ことごとく死物となる。」
(論策三「愚論密かに知己の人に示す」より)





「筑紫灘を過ぎて感あり」

天涯に客と為って已に三歳
家書万金求む可からず
櫛風沐雨苦辛の際
微衷直ちに国讐に報ひんと欲す
豈図らんや一朝事大いに誤り
遂に大譴を将つて公候に帰す
吾身死す可くして未だ死せず
淪落且つ抱く生を偸むの羞